2014年11月29日土曜日

日常のようなメルボルンでエスニック街歩き(2014年11月29日)

慣れ親しんだメルボルンの街歩きはやはり旅というより日常に近い。
仕事をしているわけではないし、
寝泊まりは自分のアパートでなくホステルのドミトリー、
物価高もあって外食と自炊が半々。
どちらかというと、旅の延長線上にある日常と言うべきかもしれない。




思えば、東京で生活していた時も休日は新宿、銀座、上野、大久保なんかを街歩きしたり、
特にあてもなく自転車で東京を廻り、適当に自転車を停めてはぶらぶらと探索した。
メルボルンでは13年前のワーホリ生活を懐かしみつつも
以前歩いた地域をぶらぶらとしてみる。
気温は南半球の太陽が出ると20度以上、曇りの日や朝晩は10度近くと肌寒いが、
サマータイムにより時差は日本時刻+2時間。
日の入りが20時半近くの11月下旬は外気が暖まってからホステルを出ても
十分に長々と街歩きができる。




メルボルン市街から少し北に歩いていくとノースメルボルンとなり、
ワーホリ時代はそこで30歳くらいの韓国人カップル、
韓国人の同年代の学生とアパートをシェアしていた。
とはいえ、寝室と居間、キッチン、バスルームのみのアパートなので、
カップルが寝室を共有し、韓国人学生は居間に置かれたベッド、
自分はソファを毎晩ベッドにして眠っていた。
その分家賃はメルボルンで格安だったと覚えている。
クイーンビクトリア•マーケットから北に向かって歩いていくと、
ワーホリ生活の思い出が詰まっているアパートがそのままあり1人笑いそうになる。
もちろん、13年も経てば学生ビザで働きながら大学に通っていたカップルや
自分と同じようにワーキングホリデーで語学学校に通っていた若い学生のシェアメイトはいない。



ノースメルボルンの東側にはCarlton(カールトン)と呼ばれるイタリア人街がある。
カールトンの目抜き通りのLygon streetでは
小洒落た人々がピザやパスタを食べ、グラスワインを飲むイタリア料理店が並んでいる。
イタリアの食材やワインを売る商店のウィンドウを眺めているだけで
メルボルンから遠いイタリアの香りを味わえる。
当時通っていた語学学校の仲間の誕生日やちょっとした食事会には
Lygon streetのレストランPapa Gino’sで美味いピザやパスタを食べたものだ。
オーストラリアなのでワインボトルはBYO、店内に持ち込みOKである。





移民の都会メルボルンにはエスニックタウンが多い。

メルボルン市街の中心、Little Bourke streetは中華街。
物価高のため格安中華は見つからないが、
それでも700〜900円でランチを食べられる中華食堂があったりする。
中華門もあり、北米や西欧の都市によくあるチャイナタウンの代表格のようである。



メルボルン市街の東にはベトナム人街まである。
ホーチミンシティにあるベンタン市場のコピーが目立つ。
Richmond(リッチモンド)という地域の北側、
Victoria street沿いにいくつものベトナム料理店、
安い野菜スーパー、またベトナムで馴染み深いバインミーという
フランスパンを使ったサンドイッチを安く売る店も目にする。




8ヶ月前にはベトナムを旅行していた懐かしさもあるし、
せっかくなのでリッチモンドにベトナム料理を食べに行く。
4ドル程度で食べられるバインミーにも惹かれるものの、
ここはケチらずにフォーを食べる。
数が多すぎる中から適当なレストランに入り、
スペシャル•ビーフフォーという牛肉と牛の臓物入りのフォーを食べた。
9.5ドルと1000円近い出費。
本場ベトナムなら100〜200円で食べられる。
でも、メルボルンのベトナム人街で食べるフォーは量が多く、
牛肉のボリュームもオーストラリアサイズで美味かった。




メルボルンのエスニック街を探索しながら
東京でも住んでいたアパートの近所にあるエスニック街の大久保に通っていたことを思い出す。
やはり東京での日常生活のスタイルに近いメルボルン滞在である。
メルボルン滞在のクライマックスは
世界遊牧住み渡りの始まりに向けて東京生活の最後にスカイツリーに登ったように
メルボルン最高峰のユーレカタワーから夜景を眺める。
かつてのシェアメイトや語学学校の仲間がもういないメルボルンだが、
美しい輝きは当時と変わらないと思った。
13年が経ち、新興国の観光客が増えたようで、
展望台は中国人、インド人、マレーシア人の観光客で賑やかだった。
これまでも上海やバンコク、シンガポールなどのアジアの都市で夜景を見てきたけれども、
地平線へと続く街灯り、澄んだ空気に残る西日の明るさはアジアにはないものだった。




2週間近く滞在したメルボルンは12月1日に去り、
2001〜2002年のワーキングホリデーで合計5ヶ月間過ごし、
ワーホリ生活開始早々スーパーマーケット兼土産店での仕事を見つけたり、
2階建ての一軒家で韓国人、日本人、ブラジル人の7人のシェアメイトと楽しんだり、
一人でもあちこちを歩き回った大都会シドニーに夜行バスで向かう。







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2014年11月24日月曜日

13年ぶりのメルボルン(2014年11月24日)

バリ島を離れ、飛行機でオーストラリアにたどり着く。

13ヶ月に及ぶアジアの旅をいったん終え、
オーストラリアの第2の都市メルボルンに到着すると、
旅そのものが終わってしまい、日常に戻ってきた錯覚に陥る。
アジアのどの町よりも整然としており、清潔で居心地のいいメルボルンでは
バイクタクシーの客引きがいなければ、安い食事ができる屋台はないし、
鳴り響くクラクションやモスクからのアザーンもない。
広々とした歩道を歩く人々は誰一人日本人を珍しがって眺めたりしない。
個人の生活で忙しい都会人であり、
小綺麗なファッションに身を包んだ白人や中華系がほとんどである。
移民からなる大都市メルボルンだけあってインド系やアラブ系、
馴染み深い東南アジアの人々や黒人も見かけるが、
当たり前のように小洒落た都会の空気に溶け込んでいる。
バリからクアラルンプール経由のエアアジアで1日半かけてたどり着いたメルボルンは
あまりにもアジアとはかけ離れた世界でたじろいでしまった。






でも、碁盤の目で分かりやすいメルボルンを歩いていると、
アジアから今回の世界周遊で初めての西欧社会にやってきた戸惑いよりも
2001年の9月末から2002年の1月までワーキングホリデー中に3ヶ月ちょっと滞在し、
語学学校に通い、学校の仲間と遊んだり、歩き回っていた慣れ親しんだ街なので
懐かしさの方が大きくなってくる。
13年分ぶりに見るメルボルンは高層ビルが増え、
好景気なのか新しい高層マンションの建設が進んでいるものの、
かつてと同じようにトラムが走り、同じデパートがあり、
13年前と同じフードコートがあったりと変わらない部分が多く安堵を感じる。
街の発展スピードが速すぎて、
わずか1、2年で大きく変貌してしまうアジアの大都会バンコクやシンガポールよりも
安心感を抱けるのが西欧の大都市なのかもしれない。
じょじょにメルボルンの空気にかつてのワーホリ時代のように溶け込んでくると、
思い出探しのように碁盤の目を歩き回った。







アジアとかけ離れた世界と感じるのは空気の違いもあるだろう。
今年3月に中国からラオスに入ってからずっと東南アジアの熱帯気候に浸っていたので、
夏が近いのに涼しく、汗がにじみ出るような湿気がなく、
南半球の日光によって気温のアップダウンが激しいメルボルンは
予測不能な天候のわりに身体に優しい。
空も広く感じられ、空気が透明なのか、流れる雲も朗らかに感じる。
午前中は快晴だったのに、午後から曇りだすのもメルボルンらしい。






13年ぶりのオーストラリアはかつてないほど物価が高い。
特にインドネシアで1000円前後の快適な宿に泊まり、
屋台で200〜300円のエキゾチックで美味い食事をとってきたアジアの旅人にはこたえる。
ペットボトルのジュースは3ドル(300円)以上するし、
マックなどのハンバーガー、ファーストフードも8〜9ドル(800〜900円)。
救いとなると信じていたフードコートの中華系のぶっかけご飯、
炒飯や焼きそばにおかずを2品載せたものが9〜11ドルもする。
それでも頑張って見つけた
チャイナタウンのパラマウントのフードコートにある6.5ドルの中華丼や8.9ドルのセルフサービス盛り放題、
フリンダーズ駅近くにあるベジタリアンのインドカレーを6.5ドル(650円)で食べ放題のOM vegetarianを昼飯にし、夜は宿の小汚いキッチンでパスタをゆでる。




メルボルンの滞在期間は2週間。
宿泊先はオンラインで予約したクイーンビクトリア•マーケット近くのElizabeth hostel、
10人用のドミトリーで1泊26ドル(2600円)もするのにお世辞にも快適とは言えない。
部屋ではメルボルン長期滞在のイギリス人やフランス人が騒いでいたり、夜遅くまで飲んでいたりする。
唯一静かにネットサーフィンできるロビーが短期旅行者の居場所だろうか。
一番安い部屋で26ドルもするのに、共同キッチンやバスルームは先進国とは思えない汚さで失望してしまった。
すぐ近くにクイーンビクトリア•マーケットがあり、
安く食材が買えるのと、市街まで徒歩圏内なのが唯一のメリットかもしれない。





メルボルンには13年前のワーホリ時代に同じ語学学校に通い、
現在ではオーストラリアの永住権を取得して夫と2歳の息子と暮らしているタイ人の友人Jayがいる。
当時一緒に英語を学んだ日本人や韓国人、タイ人、ブラジル人の仲間の中で
唯一メルボルンを生活の舞台にしている友人で、
Jayはメルボルンのドックランドに自身のデンタルクリニックをオープンしている。
もともと努力家のJayだから成功したとはいえ、うらやましいライフストーリーである。

週末の金曜日と土曜日はメルボルンで数年前に購入したという自宅に泊まらせてもらい、
近くのタイ料理レストランでご馳走になったり、
郊外のイチゴファームに連れて行ってもらったり、
お礼としてはしょぼいが日本男児として手巻き寿司を作ったりして楽しんだ。
13年前は一緒に英語を学び、学校が終わってから遊んだり、
週末に郊外にエクスカージョンに行った仲で、
東京やバンコクでも何度が再会したが、
2歳半の息子と一緒にアットホームな生活をしているJayを見るのは初めてで
家族愛に包まれた居心地いい家庭で幸せそうだった。





Jayの家にお世話になり、週が明けると、
メルボルン滞在の後半の一週間が始まる。







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