2017年5月20日土曜日

バックパッカーの聖地カオサンの終わり(2017年5月8日)

かつて世界一の安宿街、バックパッカーの聖地と呼ばれていたバンコクのカオサン通り。
ネットで予約できるLCCの発達により安い航空券を販売する旅行会社は消え、
安宿の値段の上昇で長期滞在旅行者が減ってしまい、
2014年に訪れた時にはすでにバックパッカーの聖地としての役目を終え、
レジェンドを背負ったテーマパークと化していたが、
それでも深夜まで鳴り響くEDMと世界中からの旅行者が集まる独特な雰囲気に魅せられて30代後半の自分もカオサンに滞在し続けていた。
しかし、規制により露店が少なくなり、明らかにバックパッカーよりも観光客だらけのカオサンは名前は変わらなくてもすでに終焉に近づいていると言って過言でないだろう。



そもそも、カオサンの発祥自体はそれほど古くない。
アジアを旅する日本人バックパッカーが最もカオサンで多くなったのは1990年代後半。
バラエティ番組で猿岩石がユーラシア大陸を横断したのが引き金になったそうだ。
猿岩石や番組のオリジナルというべき沢木耕太郎の『深夜特急』に影響されてちょうど20年前のカオサンに滞在していた日本人バックパッカーはすでに40代、50代。
今回の世界周遊中に中央アジアで出会った旅仲間の中にまさに猿岩石世代の方がいて話を聞いてみると、当時はクラブや洒落たレスオランはおろか、露店も少なく、
小汚い安宿や旅行会社が集まるだけの界隈がカオサンだったという。

自分が初めてバンコクのカオサンを訪れたのが2002年。
高校時代に猿岩石のヒッチハイク番組を見たことがなければ、
『深夜特急』も読んだことがないオーストラリアのワーホリ生活を終えたばかりで東南アジアを放浪し始めた自分がカオサンに向かった理由は世界一と呼ばれるほど宿代が安かったことであり、世界一航空券を安く購入できると手元のガイドブックに書いていたからだった。
実際、下水の臭いが漂い、小汚いカオサン通り沿いに100バーツ(300円)以下のゲストハウスが多く、
初めてのカオサンで無難に選んだCH1ゲストハウスという安宿の窓なし独房シングルルームの値段は150バーツ(450円)。
後にカオサンを少し離れた路地で80バーツ(240円)のゲストハウスを見つけると150バーツすら高く感じられてしまった。
安宿ほど数が多い旅行会社も同様で、インド行きや香港行きの安い航空券を無数に取り扱っていた。
2002年以来、2003年、2004年、2005年、2007年と海外旅行に出るたびにあえて日本でバンコク行きの航空券のみ購入し、
カオサンに2〜3週間滞在しつつニューヨークやマニラ、ロンドン、上海、イスタンブール行きの格安航空券を旅行会社から買っていた。
旅行会社の前に張り出された世界中の街の名前と片道、往復航空券の値段を眺めているだけでまだ見ぬ国への旅への思いを馳せたものだ。


また、カオサンはタイだけでなく東南アジアのハブでもあり、
ラオスやベトナム、カンボジアを一周してバンコクに戻ってくると、
カオサン通りでばったり他の街で一緒だった旅行者と再会することが驚くほどあった。
カンボジアの思い出話を肴に安いビールをカオサン路地裏の怪しいレゲエバーなんかでのみ語るのが最高に面白かった。
2005年にロンドンからユーラシア大陸を横断してタイにたどり着いた時にもバンコクでイランやパキスタン、バングラデシュ、ミャンマーで出会った旅行者たちと偶然再会したり、
2009年に2年間の世界周遊後に再びバンコクに戻ってきた時も他の国、大陸で出会った旅行者と何の前触れもなくカオサン通りのバーや屋台、路地裏で再会した。
もちろん屋台で一人飯を食べている時に声をかけられて他国の旅行者と打ち解け飲むこともあった。
2002年〜2009年まで何度も長居し、旅の疲れを癒し、次の旅のための準備をしてきたカオサンはまさに世界一の安宿街であり、バックパッカーの聖地だったと思う。



世界のニーズにあわせて高速に移り変わっていくカオサン。
1年離れれば以前のゲストハウスが消え、新しいバーやレストランができ、
馴染みの旅行会社が夜逃げし、インターネットカフェの数が増え、屋台が変わったりしていた。
同時に当たり前のように最新ハリウッド映画を海賊版VCDで流すカフェやレストランが減ってきたと思ったら壊滅し、
静かだったカオサン一本北のランブトリ通りやチャナソンクラーン寺院が賑やかになったりした。

バックパッカーの聖地と言われていたカオサンに変化が現れたのは2007年に訪れた時だろうか。
航空券は安い航空会社で買うのが当たり前だった東南アジアで、
ヨーロッパのLCCブームが押し寄せるようにエアアジアという看板を見かける。
どうやら航空券をウェブサイトで購入できるらしい。
ヨーロッパ旅行中に利用したことがあるLCCをカオサン通りに溢れるインターネットカフェでも予約できるようになった。
バスに乗る感覚で安く飛行機に乗れるというLCCは間違いなく革命だけれども、
バックパッカーの聖地カオサンにも異変をもたらせた。
何度か利用して日本人御用たちの旅行会社も気がついたら夜逃げして潰れてしまったのもこの頃だった。

カオサンはさらに大きな転機を迎えていく。
2007〜2009年の世界周遊中に初めて目にしたiPhone。
日本で資金を貯め、4年ぶりに訪れた2014年のタイでは日本同様、
スマホを持っている人がほとんどだった。
スマホというものを目にするのが珍しかった時代からほんの数年でスマホを持って旅行するのが当たり前の時代に変わってしまう。
ノートパソコンもスマホも持っていなかった2009年の旅行で自分に無縁と思っていた「WiFi」という表記がとても重要なものになり、
片手にスマホ、あとWiFiさえあれば旅に必要な情報を集められ、
簡単にLCCの航空券を予約できるようになった。
特にLCCを含めて大手の航空会社の安いチケットも検索できるスカイスキャナーのおかげでいつでも好きな時に安い航空券を調べられ、行き先を自分自身で検討し、
値段や日程の相談相手は旅行会社のスタッフでなく、スマホの画面であり、旅行会社が無縁となる。
そして、これまでのカオサンになくてはならなかった安い航空券を扱う旅行会社が急激に減り、スマホの出現でインターネットカフェはほとんど見なくなった。
もはや旅の情報や安い航空券を購入するためにカオサンを訪れるメリットはなくなる。


2000年代半ばあたりからカオサンの知名度と並行して若いタイ人がカオサンに目をつけるようになってきた。
外国人バックパッカー向けの安いレストランやカフェを追いやるように洒落たバーやクラブが増え、週末になると外国人よりタイ人の方が多いのではと思うときもあった。
カオサンで営むタイ人にしても小汚くて金を落とさない節約型バックパッカーよりも金を持つタイ人向けのビジネスを展開するようになり、安宿街と呼べなくなるほどカオサンの物価は上がる。
レストランやバーはもちろん、屋台、露店、カオサンの象徴でもあった安宿の宿泊代も高くなってくる。
2007年に長期滞在していた頃、メインの通りでは120バーツのシングルルームを探すのも一苦労だったし、
10年経った今、水シャワー、ファンだけの昔ながらの木造ゲストハウスの最安値は200バーツ前後だろうか。
2014年、2015年、今回の2017年の定宿になっているカオサンのクラブ裏手のATゲストハウスはなんとか200バーツを保っている。


カオサンの物価、宿代の上昇は収まることを知らない。
若いタイ人が集まる洒落たバーやクラブが増えてくると、
おのずとカオサン通りに集まる西欧人も貧乏バックパッカーよりパーティー好きの西欧人が多くなる。
そもそもスマホで航空券が簡単に買える時代、貧乏バックパッカー自体死語かもしれない。
安宿は次々に消え、西欧人が好む高めのホテルが次々にオープンしていく。

さらに自分も今回の3年半の世界周遊中に何度も使っているbooking.comなどのホテル予約サイトが世界一の安宿街にとどめを刺したと思う。
ロンプラで紹介しているゲストハウスに西欧人旅行者が集まる時代が終わり、
誰でも、どんな国籍の人でも簡単にホテル予約サイトでカオサンにある宿を予約していく。
かつて西欧人ばかりのカオサンに数年前から急に中国人旅行者が増え、
バックパッカーからかけ離れた洒落た韓国人の若者や家族連れ、
LCCの恩恵を受けるようにマレーシアやインドネシアなどの東南アジア周辺国の観光客もバックパッカーの聖地と呼ばれていたカオサンを見ようと訪れる。
そして、すでに節約型バックパッカーが拡大していくカオサンの脇へ脇へと追いやられ、
メインのカオサン通りはかつて世界一の安宿街だったというブランドを味わうためだけにやってくる俗な観光客で埋め尽くされる。
子連れの東ヨーロッパ人が屋台風マッサージを家族皆で受けるのは当たり前。
中南米からの若者や中国人、韓国人がセルフィー棒で撮影して騒ぐ。
爆音のEDMが鳴り響く夜のカオサンを乳母車を押すインド人夫婦や湾岸諸国からのカップルがあっけにとられたように歩いている。
メインの通りがクラブと化すラッキーバーやカオサンセンター前では若い西欧人だけでなく、
インド人や中国人の観光客が踊る姿も見るようになった。
伝説のバックパッカーの聖地だったという思いに浸りながら騒ぐ人は皆無かもしれない。

安宿街としての役目を終えたカオサンにそれでも自分が居座り続けたのは
200バーツの定宿が存続していたこと以上に夜な夜な流れるEDMが好きだったことがある。
30代後半の旅行者は俗な観光地に成り代わってしまったカオサンで新たな出会いを求めることなく、
たまにタイの友人が遊びに来て一緒に飲む以外は好きなEDMが流れているカオサンセンターなんかで爆音に体を任せながらビールを飲む日々が続いている。
どんなに目を凝らしても日本人旅行者をほとんど見かけない深夜のカオサンで一人バーでビールを飲んでいる。
かつてのカオサンを思い出しつつも、最近ハマっているEDMを聞くのがカオサンの唯一の楽しみと言えるだろうか。

しかし、それさえも変わろうとしている。
タイの規制は年々厳しくなっており、昨年王がなくなったこともあり、
かつて夜明けまでクラブがオープンしていたようなカオサンでバーが閉まるのが午前2時になり、今はなんと午前1時。
時刻になるとパトカーがカオサン通りをゆっくり進みバーが閉店して客が外に出されていく。
2014年のクーデターの時も同じ光景はあった。
が、頭がいいというか、ずる賢いタイ人は24時頃にパトカーが来る時に一度店を閉め、
パトカーがいなくなったら再びオープンして午前2時まで爆音を流すことが多々あった。
それが2017年の現在、パトカーの後に装甲車も通るようになり、
クラブ、バーはもちろん、路上のビール売りもクローズを余儀されるようになる。
レジェンドとしてのカオサンにさえ浸ることができない健全すぎる今のカオサン。
15年以上付き合っていたカオサンをついに離れる時がやってきたと思う。
200バーツのシングルは他に見つからないが、ホテル予約サイトで検索すれば、
400バーツ前後で立地が良すぎるスクンビット通り沿いでエアコンが効いたカプセルホテルもここ1年くらいで急激に増えているようだ。



バックパッカーの聖地カオサン終わりに向かっている2017年。







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