2017年7月29日土曜日

ヒマラヤ山脈の秘境スピティ谷をゆく マナリ〜カザ(2017年6月30日)

ラダックよりも壮大な景色が広がり、
地獄の山道を通らなければ辿り着けないという秘境がヒマラヤ山中にあるらしい。
当初は訪れる予定がなかったスピティ谷。
マナリからスピティ谷の中心の町カザまでのバスが毎日運行されているので行ってみることにした。


レーからマナリに着いて早々、
バンコクで虫歯を治してもらったはずの歯が痛み出し、
ヴァシシュトの宿で紹介してもらった歯医者通い。
詰めものの中で感染が進んでおり根管治療が必要になったり、
治療中に歯が欠けてしまったりと4回も街中の小さなデンタルクリニックを往復する羽目になり、
まさか12日間も足止めを食らっているマナリ。


今後の旅程としてデリーからネパールを経由して東インドのシッキムを訪れるはずだったが、
ネパールでのんびりしている余裕がなくなってしまった。
ネパール旅行を泣く泣く断念する代わりに、
ヴァシシュトの宿で教えてもらったスピティ谷を治療の待ち日数を利用して訪れる。
次の歯医者予約日まで3日間なのでスピティ谷の奥地まで踏み込めないけれども、
中心の町カザなら往復できそう。
マナリ〜カザで12時間かかるという超ハードな悪路をローカルバスに揺られ、
ラダックを超えるかもしれない絶景を求めてみる。

カザへの行き方は二つ。
ローカルバスかシェアタクシー。
シェアタクシーは移動時間が短いものの1000ルピーかかるので論外。
早朝4時発と出発時刻に問題があるローカルバスを選ぶ。
前日のマナリのバススタンドでカザ行きのチケット購入。
窓側の席を選んで360ルピー(600円)。
オンシーズンだと西欧人、若いインド人のバックパッカーで人気ルートなので、
予約なしで直接バスに乗り込んだ場合、席に座れない可能性が大きい。

出発前夜21時に消灯したもののさすがに眠れない。
どこからともなく太鼓の音が聞こえてくるヴァシシュトの夜。
深夜前から宿のスタッフたちの酒盛りが始まったようで、
笑い声が気になってますます睡魔から遠くなる。
ようやくスタッフの酒盛りが終わったかと思ったら雷鳴と豪雨。
結局、一睡もできずに気がつくと午前2時半だった。
二日後にまた戻ってくるTajゲストハウスにバックパックを預け、
リュックと軽装で午前3時に出発。
豪雨がおさまっても傘なしで歩けないほど。
ヴァシシュトからマナリのバススタンドまで30分以上。
さらに深夜で真っ暗でスマホの懐中電灯で道を照らしながらゆっくりと歩き、
少なからず靴の中が濡れてくるのに苛立ちながらマナリへ下っていく。
途中、吠えてくる犬や羊の群れにびびりつつバススタンドに到着。
深夜なのに野宿している人がいたり、軽食の露店が開いているのがインドらしい。

4時が近づくにつれちらほらと西欧人バックパッカーが増えてくる。
それ以上にインド人のバックパッカーが多い。
6月はインドの夏休みシーズンであり、避暑地のヒマラヤ山脈は大人気でどこも激混み。
マナリは毎日下界からやってくるインド人観光客で汚染されている。
出発予定の4時になってもバスは現れず、同じくカザに向かう西欧人の連中と気長に待つ。
大小のグループを合わせて20人くらいのインド人バックパッカーもスピティ谷に向かうようで、
事前チケット予約をしていない若者も多く、昨日チケットを買って席確保しておいて良かったと実感した。
午前5時前にようやく現れたクル始発のカザ行きのバスの8割の座席はすでに埋まっており、
チケット予約していない連中は通路の立ち席。
ローカルバスを諦めてシェアタクシーを探しにいくインド人バックパッカーばかりだった。

定員オーバーのバスは5時過ぎに出発。
スピティ谷の風景を楽しむ前にキーロンからマナリに来る際も越えた4000mのロータン峠に向かう。
マナリ宿泊のインド人観光客が雪を見るために訪れるロータン峠だけあって朝6時前から大渋滞の山道。
全然進まないバスで徹夜明けの疲れを癒すべく眠るしかない。
多くの一般車、シェアタクシーが足止めを食らっているロータン峠前のチェックポイント脇をバスがノーチェックで過ぎれば道がすく。
2500mから4000mに一気にジグザグ道を登っていく。
深夜の豪雨により山から流れ落ちる雪解け水はあちこちで滝となっている。


マナリに来る時も見た緑溢れる渓谷に睡魔も一時的に消える。
ラダックと違い、なかなか青空が出ないのが悔やまれる。


ロータン峠の頂上の登りつめ、
インド人観光客でごった返すカフェが集まる界隈を過ぎてからバスストップ。
ロータン峠からの景色を眺めるべく乗客が次々に降りだす。



バスに乗り込み、ジグザグ道をひたすら下っていく。
最後まで下るとキーロン行きの道になるようで、
途中でUターンし、車一台しか通れない細いガタガタ道に進入する。
崖っぷちの細い道でも対向車は来るもので、
なんとか二台が通れるスペースを見つけて車体と車体がすれすれぶつかるところでやり過ごしていく。
場合によってかなりバックしないと通過スペースがない時もある。


確かに舗装された道が多いラダックに比べると悪路のスピティ谷への崖の道。
ドライバーがハンドル操作を誤れば一気にあの世行きの地獄の道が続く。


道の悪さに反比例するように雄大な渓谷の景色が広がっている。


滝と化した雪解け水の勢いがすごい。


と思っていたら立ち往生。
なかなか前のトラックが動き出す気配がなく、
他の乗客同様、バスを降りて何が起こっているのか見に行く。
雪解け水がエンジェルフォールズのように山から流れ落ち、
滝を挟んで進行方向の車との対向車の列が止まっている。
水量を増した滝が道を遮断しているようだ。


モーターバイクは何人かで押して冠水している道を進み、
アクセルを踏んで突入したはいいものの、水と岩だらけの道にはまって動けなくなった車はシャベルカーで引率されている。
膝上まで水に浸かりながら車にロープをつけたりしている作業員が素晴らしい。


ゆっくりとだがエンジェルフォールズの氾濫を通過していく車。
ジープやトラックはガタガタ揺れながらも一気にクリアして脚光を浴びる。
ローカルバスの番が近づく。
念のため多くの乗客は降りている。
靴を脱いで裸足で冠水した道を歩いていく人が多い中、
自分ら数人はひとつ前のトラックの荷台に乗り込む。
タイヤが大きなトラックなら大丈夫だろう。


大きく揺れながらも見事に通過。
同じくトラックの荷台に乗っている西欧人、インド人バックパッカーから拍手喝采がわく。
とりあえず濡れずに済んだ。
そしてバスがやってくる。
ボロいバスだが頑丈なインドのバスは躊躇なしに突っ込んで瞬く間に通過した。


なんとかトラブルを回避したけれどもすでに正午近く。
スピティ谷に入ると、灰色の空のもと雪山が続く。
氷河でえぐられたような渓谷に見入ってしまう。


小高い山から流れ落ちるいくつもの滝。


断崖絶壁の山道は相変わらず細く、慎重に対向車をかわしていく。
車一台用の道を羊とヤギの群れが通行止めする場合もある。
クラクションを鳴らしても退かない羊と山羊たちはようやく崖を登り始める。
バスが進むにつれて群れが山肌に移動していき、
モーゼが海を切り開くように道が現れる。


午後2時頃にようやくランチ休憩。
午前5時からチャイストップもなかったので多くの乗客が拍手。
雄大な山々に囲まれた休憩所で豆カレーとライスを食べた。


マナリを経ってからすでに7時間経ったのにまだ3分の1も進んでいない。



雨が舞う中、スピティ谷を進んでいく。
昼食で温まると睡魔がやってくる。
夢うつつを彷徨いながらスピティ谷の風景に目をやる。
深い緑に包まれていたマナリから遠く、
ラダック同様荒涼とした岩山が広がっている。


2時間以上渓谷に沿った山道を走ってからバスはジグザグ道に入っていく。
ロータン峠より標高が高い4500mのクンズム峠へ。
先の雨がやんだのに急激に寒くなる。
レーからマナリに降り、
もう経験しないと思っていた標高4500mの世界に再び戻ってきた。


バスを降りると空気が薄い。
地面に雪がなくても雲が地表すれすれを流れている。


マナリで見かけなかったゴンパがあるチベット圏でもあるスピティ谷。


カラフルなタルチョーも冷たい風になびいている。


すでに日の入り前のカザ到着を諦めた頃、パスポートチェックがある。
人里離れた秘境にふさわしい渓谷の村を一望する。


荒涼とした絶景を眺めながらのローカルバスの旅はひたすら続き、
暗くなってからも断崖絶壁に沿った山道を進んでいく。
乗客は皆ヘトヘトだが、それ以上に悪路を運転し続けるドライバーがすごい。
結局、カザに到着したのが午後9時。
たった200kmなのにカザから16時間もかかる悪路移動となった。


再び午前4時発のローカルバスでマナリに戻るまでカザに2泊する。
秘境といえどもインド人のバイカーが多く宿代が高い。
バスステーションに近いZambalaゲストハウスでWiFiなし、お湯なし、清潔といえない部屋で500ルピーもした。
早朝4時発カザ行きのバス移動16時間の疲れを癒し、
翌日の午前4時発マナリ行きに備えて寝るだけの宿。

小さなカザの町は2時間歩けば十分。
久しぶりにチベット圏の町をぶらついてみる。



世界の終わりのような荒涼とした町であり、雪をかぶった山々が壁のごとく迫っている。


カラフルなゴンパがあり、これが唯一の観光名所かもしれない。


氷河から流れ出す川に向かってみる。
黄色い高山植物が鮮か。


仏塔の先に流れる川は水量が少ない。
マナリ周辺の濁流や滝と化した雪解け水と雲泥の差である。


まさに秘境感が漂うスピティ谷を眺めてわずか1日のカザ滞在が終わる。


ラダックを超えるかどうかは別にして、
片道16時間も地獄の山道に揺られて往復する価値があるスピティ谷と言えそうだ。














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2017年7月22日土曜日

レーからマナリへヒマラヤ山脈を越える(2017年6月22日)

8日滞在したレーを離れてマナリへ移動。
ヒマラヤ山脈を北から南へ越える。
レー早朝発のローカルバスで途中キーロンに一泊して二日間かけての移動となる。


レーからマナリへの移動手段を旅行会社やバススタンドで聞きまわったところ、
シェアタクシーだと午後3〜4時出発で翌日マナリ到着。
旅行会社に手配してもらった場合、後席、窓側によるが3000〜3500ルピー。
レー市街から2キロほど南下した場所にあるシェアタクシー乗り場からでも2500ルピー(4500円)と高い。
それでいて午後4時発の夜行便になるので、レー〜マナリ間の絶景を見れないのが惜しい。
またローカルバスの場合、バススタンドから早朝5時発のキーロン行きが一本ある。
18時間くらいの移動で550ルピー(1000円)と安い。
キーロンからマナリへは数本バスが運行されているので、
キーロンで一泊し、翌朝マナリ行きに乗ることになる。
キーロン行きのバスチケットは前日の午前中にバススタンドに停車しているバスのドライバーから直接買うシステムで、
下調べに行った日の正午には翌日分が完売していたので、午前10時に買いに行った。
窓側を予約してもらい、何も印字されていないレシートの紙切れに4時半集合と席番号だけボールペンで書かれて渡された。



厄介なのは午前4時半に町の中心から少し離れたバススタンドへ行くこと。
暗いと無数の野良犬が吠えているレーなので、宿泊していたChowゲストハウスから30分以上歩くのは現実的でない。
バスドライバーからチケット購入時にバススタンド正面にゲストハウスを見つけ、
600ルピーの部屋にチェックイン。
Chowゲストハウスをチェックアウトして、荷物をバススタンド正面のゲストハウスに移動させる。
宿を出て30秒のところにバスが止まっているので早朝起きで犬の心配もない。
600ルピーも払ってWiFiなし、お湯もない部屋にて早朝4時起きに備えた。
が、バンコクで治療した歯のあたりが急に痛み出し、
バススタンド正面だけあって暗くなってからの野良犬の合唱がやかましく、2時間くらいしか睡眠がとれなかった。

ほぼ徹夜状態で4時20分に宿を出て、暗い中人が集まっているキーロン行きのバスへ。
西欧人旅行者が8人、韓国人が一人、日本人旅行者も自分を含めて3人いた。
バスの荷台へバックパックを上げるのはセルフサービス。
各自ハシゴを登ってバスの屋根にバックパックを置く。
ロープもないし、カバーもないのでバックパックの転落や雨で濡れるのが怖い。

カシミールからラダックまで一睡もせずに車窓を楽しんだバスと違い、
さすがに寝不足で居眠り続きの移動。
ときおり目覚めると、ヒマラヤ山脈の5000m級の峠越えに向かって雄大な渓谷が目に入る。


マナリの後は夜行バスでデリーに移動するので険しい山々を見るのも間もなく終了だろう。


何度か検問でのパスポートチェックと記帳があり、
ちょこちょこ止まりながらバスはいくつかの峠を越えていく。
大きな食事休憩はなく、乗客は軽食や菓子を食べている。
午後になってもスローなバスでの夢現つが続く。
キーロンに向かって標高を下げていき、午後の日差しを浴びた絶景を食い入るように眺める。


18時頃に最後の休憩。
さすがに朝から何も食べていなかったのでチャイをすする。


結局山岳の村キーロンに着いたのは午後8時前。
すでに暗くなる頃だった。
バスで知り合った日本人旅行者二人と1200ルピーのゲストハウスの部屋をシェアし、
屋台で鳥の唐揚げを食べたり、小さな酒屋で買った缶ビールを標高3300mのキーロンで飲んだ。


キーロンからマナリへのバスは早朝4時半、5時半、6時半、次が9時半、10時半。
なぜかバスチケットは事前予約できないらしく、出発30分前に窓口に来いと言われる。
仕方がなく早めに眠り、5時半のバスに乗るべく起きるも3人ともだるかったし、
マナリまでそう遠くないので少し遅い9時半のバスに乗るべく二度寝。
ヒマラヤ山脈の旅最後に備えて朝飯を食べ、
8時50分にバス乗り場の窓口に行くと理不尽だけれども、9時ちょうどまでチケット購入を待たされた。
それなのにマナリ行きのバスは10時過ぎに現れ、10時20分に出発したので訳がわからない。
今回も前日同様、バックパックのバス屋根運びはセルフサービス。
前日のレーからのバスで一緒だった西欧人も次から次へと屋根に登ってバックパックを置いている。
事前に窓口でチケット購入して席確保できたからいいものの、
定員オーバー、山道なのに立ったままの人がいるバスが出発。

今日で見納めのヒマラヤ山脈。
雪解け水が滝になって流れ落ちるのをぼんやりと眺める。
小高いところから落ちる滝はベネズエラのエンジェルフォールズのようだ。


ヒマラヤ山脈越え最終日はあいにくの曇り空。
どんよりとした雲の下に色を持たない川が流れている。
ラマユルあたりで見た青い乳白色の水が流れるインダス川が懐かしい。
これまでいくつか越えてきたヒマラヤ山脈の峠。
レーからマナリへの移動のハイライトであり、クライマックスであるロータン峠に向かう。
標高3300mから一気にジグザグの山道を登り、4000mに突入していく。


ジグザグ道に入るとヘアピンカーブごとに車窓が崖から渓谷に切り替わる。
悪路に揺られながらの山々の風景は同じだが、
エレベーターのようにゆっくりと上昇していき、頂が迫ってくる。


バスはノンストップで山道を登り、不思議と上に行くとアスファルトのマシな道になってくる。
雪解け水や土砂崩れのせいで下の方が悪いのかもしれない。
標高4000mのロータン峠に近づくと、雪が残る世界になり、雲が地表すれすれを流れていく。



ロータン峠の最高潮4000mを通過したと思ったら、
休むことなく下り始める旅行者に冷たいローカルバス。
急勾配の崖で羊の群れを見た。


マナリに向けて雲が眼下を流れる天空の世界がしばらく続く。
ここを過ぎるとヒマラヤ山脈も終わり、
下界の入り口となるので名残惜しみつつ車窓を眺める。


途中断崖絶壁と滝、雲に覆われた渓谷が視界に広がる。
乾いた岩山ばかりのラダックから樹木に覆われたインドの渓谷に降りてきた。


山道を下ってからバスの故障があり、小雨があり、
マナリが近づくと30分以上の渋滞があり、
17時近くにようやくマナリに到着した。
マナリのメインバザールは一気に嫌悪感が芽生えるほどのインド人観光客の数。
どうやら6月はインド人のホリデーシーズンらしく、
デリーに近い避暑地のマナリはインド人の家族連れや若者たちでごった返していた。
まったく興味が芽生えないマナリの中心を去り、
北に3キロほど歩いたところにある小高い村ヴァシシュトへ。
温泉でも有名なヴァシシュトもインド人観光客がいるものの、マナリのバザールほどのカオスはない。


観光客用のフィッシュスパなんかがあるのは興ざめだが。


それでも西欧人、日本人の長期滞在者が多いヴァシシュトの村はローカルな雰囲気も漂っており、
観光客が温泉に浸かるかたわら、お湯で洗濯する村人もいる。


宿泊した日本人経営のTajゲストハウスはホリデーシーズンのせいか、
1泊700ルピーと高め。
部屋のベランダからの展望のエクストラ料金として納得したいところ。


Tajゲストハウスで約2年前、2015年夏にビシュケクのサクラゲストハウスで出会い、
長らく中央アジア諸国のビザを一緒に待っていたみのるさんと再会。
当時自転車で中国から中央アジア、イラン、トルコとユーラシア大陸を横断していたみのるさんは
現在バス移動でも過酷なラダック、カシミールのヒマラヤ山脈を自転車で周遊中。
久しぶりの再会でローカル食堂でカレーを食べたり、
日本人経営のフジ食堂で和食を食べつつ、
サクラゲストハウスの思い出話や旅話、旅のきっかけや人生などいろいろ語り合った。



特に見所はないが風光明媚なマナリで3泊し、
すぐ頭上に見えるヒマラヤ山脈に別れを告げる。











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