2014年10月27日月曜日

ティモール島のクパンからフローレス島のエンデへ(2014年10月27日)

街歩きもろくにせずに4泊したクパンを発つ。
クパン到着翌日に購入したPelniのフェリーでフローレス島のエンデに向かう。
バリ島のデンパサールから東ティモールのディリまでsriwijaya airでわずか2時間で移動した距離を
4週間かけて船とローカルバスで遡っていくインドネシア東側の島巡りである。

クパンの滞在は退屈だった。
東ティモールのディリよりは人口が多く、賑やかなクパン。
海も確かに美しい。
それでも、気分的にローだったからか、特に見どころがないクパンの街歩きは楽しめず、
日差しが強い日中はプリペイドSIMの3G回線も満足に繋がらないので、
バックパックの奥底に眠ったまま1年間取り出すこともなかった文庫本を読んだりした。
友人から出発前にもらい一度も開いていなかった本を読み出すと面白く、
2回も熟読してしまう。
また、自分が宿泊しているLavalon Bed & Breakfast近くにある
海沿いのLavalon Bar & Hostelにて遅いWiFiを利用して、
来年のオーストラリアからニュージーランドの往復航空券、
オーストラリアからシンガポールへの格安航空券を早めにネット予約しておいた。
ある程度旅程が決まっていれば、早めの予約の方がプロモーションやセールがあっていい。




10月25日のPelniフェリー出港は15時。
チケット購入の際、正午にフェリーターミナルに来るようにと言われているので早めに宿を発つ。
自分とインドネシア人2人しか宿泊していなかったLavalon Bed & Breakfast。
4泊も滞在すると、ちょっとした宿でも去るときに感慨が湧いてくる。

クパンのフェリーターミナルまでは40000ルピア(360円)とぼったくってくるオジェ(モーターバイクタクシー)を断り、
ローカルなミニバン、ベモで向かう。
街中のベモ停留所で一度ベモを乗り換えてBolokにあるというフェリーターミナルへ。
ミニバンを運転するのは青年で、乗客からお金を集めるのは中学生くらいの少年。
少年は開け放たれたミニバンに小さな椅子を置いて座り、タバコを吹かしていた。



Bolokのフェリーターミナルに到着後に少年に50000ルピア(450円)と言われるも、
苦笑いをしつつ10000ルピア(90円)を手渡す。
まったく文句を言われないのは10000ルピアでも多すぎるからかもしれない。

いざフェリーターミナルにチケットを見せて入ろうとすると、
ゲートの係員にエンデ行きのPelniのフェリーターミナルはここではないと言われる。
訳が分からないまま呼ばれたオジェの後席にまたがり、
来た道を少し引き返したところに別のフェリーターミナルがあった。
フェリーは行き先や会社により利用するターミナルが異なるそうで、
エンデ行きのPelniフェリーはBolokではなくTenauの港からだった。
早めに宿を出たおかげで正午前にTenauのフェリーターミナルのゲートに到着。
オジェに払った20000ルピア(180円)は無駄な出費だった。
正午前から港のゲート前で待つ人々がいる。


正午を過ぎてしばらくしてからゲートが開き、
チケットチェック後せかされることなく待合室に入っていく。
かつてのインドや中国、エジプトのように押し合い、わめき合いがないのは
のんびりとした温厚なインドネシア人の国民性かもしれない。


待合室から見える船着き場は数人の売り子たちがいる平和的な光景。
空港の搭乗口や鉄道のプラットフォームのような慌ただしさは港にはない。
フェリーターミナルといえば汚染された海水をイメージしてしまうが、
クパンのTenau港の海は海水浴を楽しめそうな透明度である。



13時過ぎくらいにようやくフェリーが現れる。
想像していた小さめの船とは違い本格的なフェリー。
1年前に福岡から釜山に渡った時のビートル号や
韓国の仁川から中国の大連に渡った時のフェリーを思い出してしまう。
もちろん、清潔さや快適さやまったく別物だとすぐに分かるのだが。


地元のインドネシア人と共にゆったりとした足取りでフェリーへ。
タラップに向かって走っていくような人はいなかった。
都会からかけ離れた島人の気質が時間もゆったりとさせているのだろうか。


フェリーに乗り込み、他の人を見習って雑魚寝するマットレスをバックパックで確保する。
エコノミークラスはクパンからエンデまで99000ルピア(900円)と安い反面、
雑魚寝スペースはファンもない暑苦しいものだった。
起きてる時はデッキに出て潮風を浴びていればいいものの、
眠る時は熱気がこもり、逃げ場のないタバコの煙で喉が痛くなり、
しかもマットレス近くの壁には大小多くのゴキブリが這いずり回ってひどかった。
多くの人々が汗をかきながら横になるエコノミークラスの大部屋はいい香りもしない。



フェリー出港には暗黙の了解があるようで、定刻通りに動き出すのはまれ。
出航時刻の15時を過ぎても、のんびりと港の待合室から荷物を持って向かってくる人々がたくさんいた。
あまりにものんびりしているため、デッキのベンチで居眠りしていると汽笛で起こされ、
16時過ぎにようやくタラップを離して、フェリーは出港した。


ちょうど夕暮れ時。
どういうわけかフローレス島とは反対側の南方向にフェリーは進み、
進行方向の右側、西側の空に眩しい夕日が沈んでいくのが見える。
これから24時間かかるらしい船旅の始まりとしては幸先がいい。
また、退屈だったが合計2週間過ごしたティモール島での日々を思い起こし、
若干感傷的になったりもする。
インドネシアのフェリーだけあって船内にモスクがあり、
日が沈む直前に船内にアザーンが響き渡る。
キリスト教徒が多いティモール島ではあまり耳にしなかったアザーン。
船旅の旅情はやはりいい。






夕日が沈み、暗くなると食事タイム。
韓国や中国のように簡易食堂での給食のようなプレート食が支給されると思っていたら、
プラスチックケースに入ったご飯と炒めたインスタント麺とフライドチキンのみ。
しかも、20000ルピア(180円)もするのだからやはり船内のぼったくりはひどい。
食後はすることもなくひたすら雑魚寝スペースで蒸し暑さと空気の悪さに耐えつつ眠るのみ。
思えば、Pelniのフェリーには日本人や中華系の人はもちろん、
西洋人旅行者や外国人の姿を一切見かけることはなかった。
フェリーは途中、ティモール島南東の小さな島に2回停泊し、
やがて方向を北に換えてフローレス島に向かっていった。

暑さと空気の悪さに体もますます衰弱した感があり、
9時過ぎまで雑魚寝スペースで仰向けになる。
夜中一度だけデッキに出ると、暗黒の海からの風は心地よく、
長らく見上げることがなかった星空は美しかった。
南半球の星座はよく分からないが、オリオン座をくっきりと見つけ出すことができた。


ぼったくり料金でうまくないフライドチキンライスは1食で十分で、
翌日はカップ麺を食べながらひたすら大洋を眺める。
波は穏やかで海はひたすら海であり、
ときおり海面を飛び跳ねるトビウオ以外に静寂を乱すものはない。

デッキのベンチで何度も居眠りをし、気がつくと遠方に山々が見えている。
フローレス島が近づく。
すでに午後3時近く。
何もすることがない船での時間は意外と早い。


ほぼ24時間の航海の末、エンデに到着。
ちなみにこのPelniフェリーはエンデが最終地点ではなく、
雑魚寝の隣のマットレスの家族はジャワ島のスラバヤまで向かうらしい。
今回の島巡りの最終地であるバリ島よりも西側にあるスラバヤ。
暑苦しく、満足した食事もとれないフェリーであと何泊過ごせばスラバヤに到着できるのであろう。
ほんとご苦労様である。
とはいえ、自分もこれからはローカルバスでフローレス島を横断し、
スンバワ島への船に乗り、スンバワ島をバスで横断し、
再び船でロンボク島、バリ島と3週間以上かけて移動するのだから他人事ではない。

船から見えるエンデは文明を感じさせる港町というより
コロンブスが長い航海の上でたどり着いた島の小さな村のようで若干テンションが下がる。
マンディの溜め水を小さなバケツですくって体にかけるのではなく、
たまには豪快にホットシャワーを全身に浴びたくなる。
特に船旅の後にはそう感じてしまう。


船を降り、港を出てから声をかけてきたオジェのおじさんと交渉し、
10000ルピア(90円)でロンプラに載っているIkhlas(イクラス)ホテルへ。
50000ルピア(450円)の扇風機だけの部屋でも24時間の船旅の後では快適に映った。


翌日、エンデの街を歩いてみると、
確かにディリやクパンのように何もない街とはいえ、
何もないを通り越して田舎の雰囲気が溢れており、
2泊といわず、3泊するには快適そうに感じる。

東ティモールの首都ディリの交通の多さや
クパンのスピーカーから爆音を流してベモが走る光景はない。
フローレス島の漁村のようなゆったりとした空気が流れており、
疲れもとれそうである。




街の子供たちはシャイだけど陽気で、
外国人の自分を見て手を振ってくれる。
カメラを向けると、撮られ馴れていないからか、
一斉に自分の後側に回り込んできてカメラのビューファーンダーを覗こうとする。
いや、まずは正面から写真を撮らせてほしいんだけど…。
なんとかジェスチャーで伝え、
不可思議な表情をする子供を撮影し、
カメラのスクリーンを見せるとようやく喜んでくれる。





イクラスホテルのロビーのWiFiはまったく機能せず、
Telkomselの3G回線はクパンよりも遅いけれども、
来月から先進国のオーストラリアに向かう前に
純粋に旅を楽しむ舞台としてフローレス島は良さそうな気がする。
旅のデジタル三神器と勝手に名づけたデジタル一眼レフカメラ、
iPhone、ノートパソコンの類を一切持っていなかった6年前の世界周遊のときみたいにあてもなく街歩きを楽しみたい。






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2014年10月23日木曜日

東ティモールから西ティモールのクパンへ(2014年10月22日)

東ティモールのディリで休養をかねて9日間滞在し、
一気にインドネシアに戻る。
2013年10月22日に福岡からフェリーで韓国の釜山に入国し、
世界遊牧住み渡りと勝手に名づけた世界周遊をスタートしてちょうど1年が経つ。

インドネシア東遠方にあるティモール島は2つの国に分かれており、
東半分はポルトガル語が公用語の東ティモールという小国。
西半分がはインドネシアの西ティモール。
正確にはインドネシアの西ティモールにも東ティモールの飛び地があったりと複雑である。



東ティモールの首都ディリから西ティモールのクパンには
事前に予約したTimor Travel & Tourのバンで向かう。
朝8時に宿泊先までピックアップが来るという。
ディリの定宿、イーストティモール•バックパッカーズで出会った人々と別れ、
国境越えのバンを待つ。
ディリでは失ったもの(体力衰弱による抜毛)もあるが、
NGO関係の日本の方や世界を放浪している貧乏バックパッカーのインド人、
西洋人バックパッカーと出会えて充実していた。


ピックアップはなかなか現れず、
8時半過ぎにようやくTimor Travel & Tourのバンが宿の前に現れた。
ディリではいろいろお世話になり、話しをしたNGO関係の日本と方に見送られ、
バンに乗り込む。
東ティモールから西ティモール西端の街クパンまでは13〜14時間かかると
逆方向からディリにたどり着いた西洋人に教えてもらっていた。
不思議なことに乗客は自分と途中から乗ってきた女性の2人しかいない。



ミニバンは途中から未舗装の道、あるいはアスファルトがあっても崩壊している道を進んでいく。
乾燥した山道を土埃をあげながら走っているが、
海岸線に沿っているために美しい東ティモールの海が見えた。
後席の女性の大声で海の方向に目をやると、巨大なクジラが海面から背中を海面から出して泳いでいた。

バンは途中に一度辺鄙な村で停車した。
かつての西アフリカの旅を思い出させるような土埃におおわれた村だった。
村の子供たちや犬や豚が戯れている。
バンは1台だけではなく、Timor Travel & Tourが3台走らせているようだった。
他の2台は満員なのに自分が乗っているバンだけ2人である。



正午過ぎに東ティモールとインドネシアの国境に到着。
東ティモールの出国は簡単で、その場で出国カードを書くのみ。
バックパックはバンに置いたままでインドネシア側まで連れて行ってくれる。

インドネシア側の入国も簡単だと思ったが、
アライバルカードを書いてパスポートにスタンプを押してもらってから荷物チェックがあることを知り、
慌ててバンに戻りバックパックを取りにいく。
路上に放置されていた自分のバックパックはちょうど少年が背負って持っていかれるところだった。
急いでバックパックを取り返し、イミグレ隣のカスタムに戻って荷物チェック。
現地人は軽いチェックなのに、なぜか自分はバックパックのそこまですべてチェックされる。
パソコンやポータブルハードデスク、ガイドブックの中身までチェックされたのは
今回の1年間の旅では初めて。
以前南アフリカからナミビアや、スペインからモロッコへの国境越えの際に
金品はもちろん、パンツの中までチェックされて屈辱だった時よりはマシだが。

無事インドネシアに入国し、風景も一気に変わる。
整備されたアスファルトの道路が続き、物が溢れた店が並んでいたり、
なつかしのインドネシア麺バクソのカートも目につく。

ここで時差マイナス1時間。
これまでの旅で唯一日本と同時差の東ティモールは特別だった気がする。
インドネシア時刻午後1時くらいに国境を越えてからの最初の街、
Atambuaの道路沿いの食堂でランチタイム。
2008年に西アフリカの国々を点々したときもそうだったが、
国境を一本またいですぐに人種が大きく変わることはない。
東ティモールからインドネシアの西ティモールに入っても、
目にする浅黒いメラネシア系のような人々はインドネシア人なのか東ティモール人なのか区別できなかった。
ジャワ島で見てきたインドネシア人よりはメラネシア系に近く、
東ティモールと同様ムスリムよりもキリスト教徒が多そうな雰囲気だった。

インドネシアに入ったとはいえ、西ティモール西端のクパンまでは遠かった。
Atambuaからクパンまでは直線距離で200キロくらいに思われたものの、
曲がりくねった山道をバイクやトラックを追い越しながら走るので時間がかかる。
午後2時過ぎにはAtambuaの食堂を出発してから、
真っ赤な太陽が沈み、午後6時になってもクパンはまだまだだった。
エアコンがなく、土埃とタバコの煙が充満するバンでは
日本を出てからちょうど365日ということもあってこれまでに訪問した街を思い出したり、今回の世界遊牧住み渡りを思い立った2011年から2013年までの東京生活を回想したりした。
子供たちや犬が駆け回る山道沿いの村の風景を眺めながら想う大都市東京はあまりにも遠い。

日が完全に暮れ、暗くなってからの宿探しが不安になってきたころ、Soeという街に到着。
すでに午後6時過ぎ。
それでも標識ではクパンまで110キロだそうで、
曲がりくねった道で時速40キロしか出ないバンではさらに時間がかかった。

ちょっとした巨大スーパーマーケットや海沿いのホテルが見えたのは午後9時。
Timor Travel & Tourは有り難いことに宿泊先まで送迎してくれる。
土埃で汚れまくり、ずっとリュックを膝上に置いていたため足がむくみ、
ようやく西ティモールのクパンに到着。
ロンプラにも乗っているLavalon Bed & Breakfastにチェックインする。
ディリで教えてもらった情報とは異なりWiFiは繋がらなく、
シャワーの代わりにインドネシア式の水溜めのマンディしかないローカルな宿だった。
それでも汚くはない部屋で55000ルピア(500円)と安い。


翌日分かったことだが、自分が止まっている海岸道路脇の路地のLavalon Bed & Breakfastとは別に海岸線にもLavalon Bar & Hostelがあり、
後者はWiFiが繋がり、西洋人も多く泊まっていた。
でもドミトリーで50000ルピア、個室は150000ルピアだったので前者に泊まり続ける。
WiFiが繋がらないのは残念だけど、
インドネシアのプリペイドSIMはすでに持っているので新たにインターネットデータプランを申し込んでネットサーフィンできる。
個室でのんびりネットサーフィンと目論んでいたのも束の間、
クパンではなぜかTelkomselの3G回線がよく遮断され、
満足に宿でネットが繋がることは期待できないと知らされることになる。


クパンに到着した翌日には早速、
次の目的地フローレス島へのフェリーを予約するためPelniのオフィスへ。
インドネシアの島と島の移動手段となるPelni社のフェリーは週に1便あるかどうか。
フローレス島のエンデという街への次のフェリーの日にちが気になりドキドキだった。
実際にPelniオフィスに行くと次のエンデ行きは3日後の10月25日。
クパンに夜到着したのが10月21日なので4泊クパンでのんびりできる。
15時頃出航して翌日の15時頃エンデに到着着くらしいフェリーチケットを購入できて一安心。
24時間の船移動で99000ルピア(900円)は安い。
エコノミークラスの雑魚寝なのである程度の覚悟は必要だが。



ティモール島では東ティモールの首都ディリよりも大きく、活気のあるクパン。
とはいえ、コンビニやショッピングモールはなく、
3G回線でのインターネットもよく遮断される街では海を眺めながら過ごす。
来月オーストラリアに向けて出発するまでの4週間のインドネシア島巡りは始まったばかり。





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2014年10月19日日曜日

東ティモールのディリでの休養中の観光(2014年10月19日)

ディリでの休養は一週間を過ぎ、すでにインドネシアビザも取得。
日本を出てからちょうど1年が経つ前日、
10月21日に陸路で東ティモールのディリからインドネシアの西ティモール、
クパンに移動するまで休養だけで過ごすのももったいないので街歩きをする。

ディリは東南アジアの小国、東ティモールの首都だけれども、
特に観光名所や見どころ、活気溢れるローカルマーケット、屋台街はなく、
アジアの喧噪やエキゾチックな旅情を1年間満喫してきた身には退屈すぎる。
はっきりいって、マレーシアの何の変哲もない街やラオスのど田舎の方が歩いていて面白い。

実際、イーストティモール•バックパッカーズ滞在の旅行者は山登りに行ったり、
船で島に行ったりと大自然の中のアドベンチャーを楽しんでいる様子だった。
自分は残念ながら医者にゆっくり休養するように言われているので、
山登り等は禁止でディリでのんびり。
のんびりとはいえ、ネット回線が遅すぎてネットサーフィンも満足にできないので暇を持て余す。
食事をとる以外は奇麗な海を眺めたり、町中に溢れる子供たちをぼんやり見たりした。




東ティモールは若い国だからか、東南アジアのどの国よりも外で遊ぶ子供が目立つ気がする。
カメラを向けてみると、撮られ馴れていないらしくレンズギリギリまで迫ってくる。
東南アジアの子供というより西アフリカのマリやブルキナファソの元気な子供たちを思い出させる。




街中は埃っぽく、シャッターを閉めている店も目立つ。
路上ではTシャツや帽子を売る露店がちらほらあり、
街中の雰囲気も東アフリカや西アフリカの小さな街のようだった。
東ティモールの刺繍を売る小さなバラックのようなマーケットもあった。




退屈なディリにおいて唯一観光名所かもしれないと思われるのは
街の中心から海岸線を東に7キロほど進んだ岬にあるキリスト像。
話によると世界で2番目に大きなキリスト像だとか。
一番はブラジルのリオデジャネイロ、コルコバードの丘に立っている。
街中の海岸からの遠方の小高い丘に立つキリスト像が見える。

体力的には大丈夫だと思うが、
ドクターストップがかかっているので無理せずに行きはタクシーで向かう。
途中までローカルなミニバンで向かい、
子猫が寛ぐキオスクのような小屋で1ドルの食事を済ませてから3ドルのタクシーに乗る。
東ティモールは東南アジアの最貧国と言われているようだが、
ローカルな食事は肉や野菜があり、バランスがとれており美味しい。
残念ながらベトナムのハーブやタイとスパイスからは程遠いけれども。
西洋人が砂浜に並べたチェアで寛ぐ光景を見ながら一気に北東にある丘のふもとへ。
キリストが立つ丘のふもとにはクリストレイというビーチがあり、
土曜日の午後だけあって地元の人で賑わっている。




丘には舗装された石段を上り、すぐにたどり着ける。
キリスト像は間近で見ると確かにでかい。



何よりも小高い丘から見渡せる東ティモールの海は
様々な青やエメラルドグリーンで色とりどりだった。
ついこの前眺めたバリ島の海よりはるかに美しい。





帰路はせっかくなので、
美しい海岸線をゆっくりと歩いてみた。
7キロを感じさせない海辺の散歩のようである。




東ティモールではローカルな人々を眺めたり、
海しか見ていないが、悪くはないと思ったりした。





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