マンハッタンのチャイナタウンやリトルイタリー、
32丁目のコリアンタウン、レキシントン•アヴェニューのリトルインディア。
クイーンズにある中国瓜二つの街のようなフラッシング、
ネパールやバングラデシュ、チベットなどの南アジア系、
さらにエクアドルやコロンビア、メキシコからのラテン系が集まるジャクソンハイツ。
移民街だらけのニューヨークでよりディープなエスニックタウンを訪れてみる。
クイーンズのギリシャ人街アストリアや水タバコを吸えるシーシャバーが密集するリトルカイロと呼ばれるSteinway通り、
サウスブロンクスにあるプエルトリコ人街、
ウクライナを中心とした旧ソビエトの人々が暮らすブルックリンのブライトンビーチ、
カリブ海に面した南米のマイナーな国、ヒンドゥー教徒が多いガイアナ人のコミュニティーがあるリッチモンドヒル。
世界周遊してすでに訪れた国々やこれから訪れる国を思いつつ移民街を歩き回るのは楽しい。
大都会ニューヨークに滞在しながら世界一周の気分が味わえる。
クイーンズのアストリア。
Astoria-Ditmas駅、Astoria Boulevard駅周辺は青と白の縞のギリシャ国旗がなびいており、
ギリシャ風のカフェがめにつく。
ギリシャだけでなくアルバニアの国旗も見かける。
視覚的に特徴がないギリシア人街なのでクイーンズの高架下の町並みに馴染んでいる。
どう見ても普通の住宅街に入っていくと、ギリシャ正教の教会が佇んでおり、
黒い衣装をまとった年配のギリシャ系の人を見かけたりした。
ギリシャ料理を出す食堂タベルナやジロス屋もあるものの、
本場ギリシャでも安くないギリシャ料理をニューヨークで食べてみようと思わず。
また、ジロスはホットドッグやファラフェル同様、ニューヨーク中のカート屋台で食べられる。
アストリアを西に向かうとアストリアパークにぶつかり、
クイーンズからWards Islandに架かる橋が現れる。
まるでシドニーのハーバーブリッジのレプリカのような荘厳な橋である。
残念ながら電車専用の橋で歩行者は通れないようだ。
アストリア南部のリトルカイロ、アラブ人街。
Astoria Boulvard駅を東に進み、高架下をくぐってSteinway通りを南下すると、
懐かしい香が鼻孔をつく。
水タバコのフルーティーな香り。
グランド•セントラル•パークウェイと30丁目に挟まれたsteinway通りはリトルカイロと呼ばれているそうだ。
普通に歩いていれば素通りしてしまいそうな周囲に同化したモスクがある。
訪れた日はイスラム教徒の休日の金曜日とあってモスクから出てくるムスリムの人々が多かった。
リトルカイロと呼ばれているが、エジプト人だけが集まっているわけでなく、
モロッコ料理店やイエメン料理店、トルコ風のケバブ屋もある。
ただ、何かとムスリムに冷たいニューヨークだけあってロンドンやパリなどのヨーロッパ都市のアラブ人街に比べると活気がなかった。
サウスブロンクスのHunts Point(ハンツポイント)。
治安が悪い地域と言われているので、気を引き締めてサウスブロンクスにも寄ってみる。
サウスブロンクスの唯一の見どころというべきヤンキース•スタジアム。
立ち寄った4月5日はちょうどヤンキースの開幕戦が行なわれており賑わっている。
ちらっと覗いてみると、スコアは2対2であり、二年連続開幕戦先発の田中はすでに降板していた。
ヤンキース•スタジアム目の前のバス停からハンツポイント行きのバスが出ていたので乗り込む。
市バスから見るサウスブロンクスの町並みはお世辞にもマンハッタンにように綺麗と言えないけれども、
シェアハウスがあるジャクソンハイツ周辺の界隈とあまり変わらない気がする。
建物の前で黒人がたむろしている光景はハーレムに似ている気もする。
降り立ったハンツポイントの地下鉄駅周辺をぶらついてみると、
黒人よりもヒスパニック系が目立ち、住宅地の壁にはプエルトリコの旗が描かれていたりする。
昼間歩く分には問題なさそうだけれども、イーストハーレム以上に寂れた雰囲気があり、
シャッターを降ろしたままの店も目につき、日が暮れてから歩き回りたい衝動に駆られない。
ニューヨークの後、中米を北上してから立ち寄るプエルトリコ。
すでに予約したカリブ海クルーズの発着地でもあるプエルトリコを先取りしてみたいものの、
ハンツポイントでプエルトリコの雰囲気を味わえそうな安食堂など見つからず早めに去る。
尚、ネット情報によるとハンツポイントは売春により赤線地帯となっており、犯罪発生率が高いそうだ。
ブルックリン南部、ブライトンビーチにあるウクライナ人街。
ウクライナをメインに旧ソ連からの移民が住んでいるそうで、リトルオデッサと呼ばれている。
オデッサとは黒海に面したウクライナの港町。
ジョージアのバトゥミからオデッサまで黒海を航海するフェリーも運航しており、
ユーラシア大陸をコーカサスからヨーロッパに向かう旅行者には少なからず知られている。
ちなみに、ブライトンビーチのすぐ近くには遊園地で有名なコニーアイランドがある。
ニューヨークの夏の週末は人が集まりそう。
風が冷たい3月下旬でも厚着の人々がルナパークで遊んでいる。
有名なファーストフード店も長列なものの家族連れが多く、
寒い中おじさんバンドが一生懸命演奏しており、
ちょっとばかり場末な週末の雰囲気も感じる。
いや、古き良きアメリカを垣間みれたと言った方がいいかもしれない。
当然誰もいないブライトンビーチ。
波が高くなくても見ているだけで骨の髄まで凍えそうだ。
閑散としたビーチと旧ソ連のウクライナにありそうな無機質なマンションがよりリトルオデッサの風情をかき立てる。
ブライトンビーチ駅周辺がリトルオデッサの中心で英語よりもキリル文字が目立つ。
クイーンズのエスニックタウンでは当たり前だったラテン系やアジア系、アフリカ系もほとんどいなく、
ロシア人のような金髪の人々が映画で目にしたような高架下の街を歩いている。
少なくともブライトンビーチを初めて訪れたアジア人にはロシア人もウクライナ人も見た目の違いが分からないけれども。
高架下のブライトンビーチ•アヴェニュー沿いには惣菜を売るデリが多く、
サラダや魚の薫製、肉類の様々な惣菜を眺めていると、昨年過ごしたキルギスタンやカザフスタンのスーパーを思い出す。
中央アジアもウクライナもかつてソビエトだった国々だ。
また、予想通りブライトンビーチの酒屋やスーパーで売られているロシア製ビールやウォッカは安かったし、
ウクライナ料理店もそう高くない。
ボルシチやロシア風餃子のペリメニのスープで6ドルくらい。
ランチタイムに入った食堂は偶然にもウズベキスタン•カフェ。
壁にサマルカンドやブハラの絵が飾られており、
去ってまもないユーラシア大陸、シルクロードのウズベキスタンが蘇ってくる。
高揚感に包まれながらメニューを見るとなんとウズベク風ラグマンがあったので迷わず注文。
味はもちろん、ウイグル系と違いスープに浸った本場のウズベク風ラグマンににんまり。
ウズベキスタンで毎日食べたノンと呼ばれるパンまでついてきた。
これで7ドルは安い。
とある日にかなりマニアックなブルックリンのリッチモンドヒル、リトルガイアナを訪れる。
ガイアナとは南米の北東側にあるギアナ三国のひとつ。
大国ブラジルとスペイン語圏の南米9ヵ国、アルゼンチン、チリ、ボリビア、ペルー、エクアドル、
コロンビア、ベネズエラ、パラグアイ、ウルグアイに比べて旅行者が少ない国であり、
英語圏のため雰囲気もラテンアメリカと異なる。
ガイアナ人はインドから移り住んだ人が圧倒的に多く、カリブ系の黒人も目立つ。
また中華系も中国料理店やスーパーをたくさん出している。
ラテン一色の他の南米諸国とまったく異なる世界である。
そんなガイアナ人が多く住む街がクイーンズのリッチモンドヒルにある。
クイーンズのJFK空港近く、ジャマイカ駅の西側、
Libertyアベニューの111〜130丁目がリトルガイアナと呼ばれており、
一見するとインド人に見えなくもないガイアナからの移民がベーカリーやカリブ風の食堂、
トロピカルな野菜を売るスーパーやサリー屋を営んでいる。
車からもれるカリビアン•ミュージックとインドポップのフュージョンも寒いニューヨークからかけ離れている。
ヒンドゥー寺院や色鮮やかなサリーにコロンブスじゃないけどインド人街に迷い込んだのではと誤解してしまいそう。
カリブ海の島国が西インド諸島と呼ばれるのはそもそもコロンブスが新大陸アメリカの存在を知らなかったことによる勘違いのためらしい。
せっかくなので7年前の南米一週中に訪れたガイアナを思い出すべくロティ•ショップに寄ってみる。
尚、ロティとはガイアナ人がカレーと食べるクレープのような生地であり、
インドのチャパティに限りなく近い。
マレーシアの印僑もカレーとロティを食べていた。
チキンカレーとポテトを注文し、もちろんロティも頼んで7ドル。
辛さのないカレー、甘いロティとあわせて、
ロティ•ショップのおばさんが喋る独特ななまりの英語がガイアナを思い出させてくれる。
まだまだ移民街廻りをしたいニューヨーク滞在だが、
長いようで短いプチ滞在も残り一週間ちょっととなった。
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