2017年6月8日木曜日

バンコクからシンガポール経由でインドのアムリトサルへ(2017年6月2日)

30日間過ごしたバンコクを離れて、今年2月に南インドを周遊して以来再びインドへ向かう。
今回はアムリトサルを起点にジャンムー、シュリーナガルとカシミールを北上し、
ラダックのレーへと時計回りで周遊していく予定。


バンコクからインドへのフライトはデリー直行を考えていたけれども、
LCCでも2万円前後とそう安くなかったし、
観光客目当てのうざい輩の多いデリーはインドで一番好きになれない都市。
希望としてはバンコクからラダックのレーに一気に飛び、陸路で南下していきたいものの、
レー行きのフライトはもっと高い。
北インドの他の町への航空券を調べていると、
シンガポールのチャンギ国際空港をハブにするスクート航空でのアムリトサル行きがデリー行きより安かった。
パキスタンに近いアムリトサルからだと陸路でカシミール、ラダック、そしてデリーに南下していくのに都合がいい。
苦手なデリー訪問を一回だけにおさえられるのも大きい。

3ヶ月前に南インドを周遊して以来のインドにバンコクのドンムアン空港から午後3時50分発のスクート航空でのシンガポール経由、
チャンギ国際空港を午前3時半に出発してアムリトサルへ向かう。
今回のバンコク滞在の二週間以上はアソークやプロンポン近くの新しいカプセルホテルに宿泊していたが、
シンガポールに発つ二日前に再びカオサンに戻った。
すでにバックパッカーの聖地、世界一の安宿街としての役目を終えたカオサンでも2002年に初インド前がカオサン滞在だったので思い出深い。
ドンムアン空港行きのエアポートバンがあるのもいい。
当日正午前からドンムアン空港へ向かった。

中国のいろんな都市へLCCが就航しているだけあって中国人ばかりのドンムアン空港でスクート航空チェックインを待つ。
シンガポールでの乗り継ぎ時間は8時間くらいあるけれども荷物はアムリトサル直行。
チャンギ国際空港でのトランジットで睡眠をとっておけば午前3時半発でも耐えられるだろう。


わずか2時間半のフライトでシンガポール到着。
悪天候か、滑走路が混んでいたからか離陸まで時間がかかったが、
LCCにしては狭くないスクートの座席に座って早々眠ってしまったのでそう覚えてない。
1ヶ月ぶりのシンガポールに到着すると、
当初のトランジットルームで睡眠をとったり、ネットサーフィンしようという計画は消え、
シンガポールの街中に出たい衝動に駆られる。
時間はまだ午後8時前。
MRTで空港から市内まで1時間もかからないし、終電まで余裕を持っても2時間街ブラをできるだろう。
そう思い立ったらすぐに財布をチェックし、まだ残高が残っているシンガポールの交通パス、EZリンクカードとシンガポールドルを準備する。
バックパックは預けたままなのでリュックだけでイミグレに向かい、
入国用紙にホテル名を記載していないのに難なくシンガポール入国できた。


MRTの車窓に映る集合団地はバンコクで見なかったもので整然としている。
バンコクに来る1ヶ月前に同じく1ヶ月間滞在していたシンガポールなのに懐かしさが湧く。
同時に日本に帰ってきたような落ち着きと洗練さを見てとれる。
シティホールでMRTを降りてからの地下道にしても混沌としたバンコクにない清潔さとシンプルなデザイン。
文字表記がタイ語から英語一色になったのも大きい。


シティホールからエスプラナードへの地下道を歩いて地上に出ると、
雷雨の後だったようで地面が濡れており、小雨も舞っていた。
2時間歩き回るのにちょっと幸先が悪い。

 

マーライオンを見たりしてマリーナベイサンズの方向に歩いていると雨脚が強くなる。
雷まで鳴りだして本降り。
せっかくの弾丸2時間旅行なのに天候だけには逆らえない。


傘なしで遠くに行くこともできず、ホーカーズの中華料理でなく、
ボートキー近くのマックでハンバーガーを食べて空港に引き返すことになった。
しかもバンコクで発券してもらったバーコード付きの紙切れの搭乗券では出発口に入れないと言われ、
改めてスクート航空のカウンターでボーディングパスを発券してもらうという二度手間。
2時間だけトランジットルームで仮眠をとり、午前3時半発のフライトを待つ。


シンガポール発の5時間のフライトでも熟睡し、着陸の振動で目覚めるとすでにアムリトサル。
3ヶ月ぶりのインド到着。
小さな空港なのでイミグレ通過楽勝で再びのインドに入国した。
まだ午前7時なのでアライバルのベンチでもう一寝入りしようかと思ったが、
暑くなる前に宿に移動しておく。
行き当たりばったりで宿探しできるインド旅行だけれども、
今回はあらかじめネット予約サイトで360ルピー(650円)のホステル、
Backpackers Nestを予約しておいた。
インドは現地で宿探した方が安いのは分かっているが、バックパックを背負って歩き回るのがしんどいのでついつい楽してbooking.comを使ってしまった。
部屋でWiFiがつながるBackpakers Nestとはいえ、ドミで360ルピーは高い。
幸いにも着いて早々チェックインできたので正午までシャワーを浴びたり、洗濯したり、
もう一寝入りして、早速食事へ。
南インドで毎日のように食べたバナナの葉にいろんなカレーが載ったミールスに慣れてしまうと、
北インドのチャパティやロティを主食とした野菜カレーは物足りないし、
そう美味しいものでない。


2月の南インド旅行の後にモーリシャスやマダガスカル旅行、
シンガポールとバンコクの2ヶ月滞在を挟んでから北インド旅行を再開させたのはラダックに合わせるため。
6月以降の雪解けシーズンにならないとデリーからマナリ経由でのレーへの道は通れないようだし、
高地で寒いと旅行どころじゃない。
が、ラダックのことばかりに気がいって低地の気候を考慮していなかった。
雨季の前の北インドは尋常じゃない猛暑。
蒸し暑いバンコクからばかりでもへばってしまう最高気温40度越えが毎日続く。
三日後の最高気温47度を味わう前に高地に移動したいものだ。


40度近いアムリトサルを2時間も歩いているとダウン気味になってしまう。
一度宿に戻って休息し、夕暮れ前にアムリトサルのメインといえる黄金寺院へ。
シーク教徒の総本山であり、インド中からの観光客も押し寄せている。
昼間と変わらない38度とはいえ、直射日光がない19時半に訪れて正解。
靴やサンダルを預けて入場できる黄金寺院聖域は大理石の床であり、昼間だと暑くて歩けないかもしれない。


持参したハンカチを頭に巻いて入る。
シーク教寺院には男女共々髪の毛をスカーフで覆って入る必要がある。
入口を抜けて早々、黄金寺院に向かう巡礼者と観光客の数。
ライトアップされる夕暮れ時はベストなタイミングかもしれない。


世界中の観光客でごった返すバンコクから来るとインド人しかいない黄金寺院。
アジア人が珍しいのか、多くの人に写真をねだられたり、今風にセルフィー写真を一緒に撮る。
またシーク教のインド人は他の宗派よりフレンドリーな気がする。



日が暮れても熱気がこもっているアムリトサルにおいて黄金寺院聖域は外の喧騒から離れた別世界のようだ。



予告もなくお経のようなものがスピーカーから流れ始め、
それまで座っていた人々が立ち上がり、多くの人が溜池の前で祈りを捧げている。


あまりにも多くの人々が並んでいる黄金寺院そのものには入らず、
貯水槽を一周してから去った。


黄金寺院を出てホステルに戻る際、メインの通りが12年前の面影がないほど改装され、
綺麗な歩行者天国に変わっていた。
ヨーロッパや中東の洗練された歩行者天国を真似したつもりだろうが、
どことなく変にきらびやかな中国の歩行者天国のように見える。




アムリトサルにもう一泊し、午前中に再度黄金寺院を訪れてみる。
午前11時の時点で頭が朦朧とするほど暑く、一周してダウン。
夕方にパキスタン国境で行われるセレモニーを見るべく宿で休憩。


夏場はワガ国境にて午後5時半からセレモニーが始まるそうだが、
早めに行かないと席がないらしい。
午後2時にバスステーションから国境近くの町アタリまでのバスに乗る。
30ルピー(50円)で1時間のバス旅。
2005年にロンドンからインドネシアのバリまでユーラシア大陸を横断していた際、
イラン、パキスタン、インドと陸路で旅していた。
三週間過ごし下痢や発熱に苦しんだパキスタン最後をラホールで締めくくり、
ラホールからワガ国境にバスとタクシーで移動し、歩いてパキスタン出国、インド入国を終えて、
同じくアタリからアムリトサル行きのバスに乗った。
当時国境を超えたのは正午前だったので夕方の国境が閉じて両国の国旗が下されるセレモニーは見なかった。
あれから12年後、まさか3度目のアムリトサル訪問となり、今回はやっと国境のセレモニーを観に行く。

終点のアタリでバスを降りると多くの乗客同様オートリキシャーをシェアして国境に向かう。
10ルピーと安いが歩けるような距離。
さらにそこから自転車リキシャーで入り口まで向かうようだが歩いて進んでいく。
多くのインド人がセレモニーのためにぞろぞろと歩いており、インドとパキスタンの国境という緊張感がない。


カメラ以外の荷物持ち込みは禁止。
小さなバッグを持っている人は事前に預けなければならない。
セキュリティーチェックを終えてから中へ。
さらに進んでいくと、国境というより競技場のような場所に入る。
観覧席の多くはインド人で埋まっている。


係員にパスポートを見せると外国人は国旗が掲げられている国境ゲート近くの席に案内される。
ゲートの向こうはパキスタン。
パキスタン側にもセレモニー用の観覧席が並んでいるけど誰もいない。
40度の炎天下、国境のポールに掲げられた旗を下ろすだけのセレモニーを見物に来る物好きはパキスタンにいないのだろうか。


イミグレがまだ開いている午後4時頃、一台のバスがゲートを越えていった。
デリーからパキスタンのラホールに向かう国際バスが運行しているようだ。


2002年に核問題で戦火が飛び散りそうだった両国も友好関係が良くなってきているらしい。
炎天下汗をかきながら待ち、インド側はほぼ満席。
パキスタン人に人気がないのか向こう側は閑散としている。
インド側だけのためのショーなのだろうか。



午後5時半からようやくセレモニーが始まり、
スピーカーから爆音が流れる中、
インド国旗を持った女性たちがなぜか順番に走り回っている。


そして今度は女性の集団が集まり、インド音楽に合わせて踊り始める。
インド人女性が手を上げたり激しく踊っているのを炎天下眺めるのは滑稽なもの。
場末なナイトクラブのようにも映る。


30分くらいたってから兵士が行進したり、パキスタン側を威嚇するポーズをするショーが始まる。
いつの間にかパキスタン側にも観客がちらほら座っており、
ゲート向こう側でも別の音楽で同じ兵士のショーを行っている。
観客はそのたびに声をあげ、拍手をしたりとはやしている。
これが毎日行われる国境のセレモニーだった。



最後には若干インドとパキスタンの友好関係を示すようにお互い向かい合って同時に国旗を降ろしていった。


少なからず物足りなさはあるが、インドとパキスタンの唯一の出入国地点で行われるセレモニーを堪能した。








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