2017年6月12日月曜日

アムリトサルからジャンムー、シュリーナガルへ(2017年6月6日)

アムリトサルから時計回りでジャンムー、カシミール、ラダック、
マナリ、デリーとインド北部を廻る旅が始まる。
3週間もあればじっくり観れるだろうか。


バンコクからシンガポール経由で着いて早々猛暑でやられたアムリトサルを去る。
9時前にエアコンが効いたホステルを出るともう暑く、
早くヒマラヤに向かわなければという焦燥感が若干芽生える。
アムリトサルのバスステーションに着いてすぐにジャンムー行きのバスが見つかる。
南インドでも何度も乗った乗り合いバス。
中米のチキンバスのようなエアコンなしのボロバスだが、
バックパックを荷台に載せられないのがインドのつらいところ。
通路を挟んで2席、3席なのでバックパックを席に置くわけにいかないし、通路にも置けず。
最後尾の席に座って足の前に置くのがやっとだった。

アムリトサルからジャンムーまで6時間で200ルピー(360円)。
最初はうたた寝しているもやがて温度がどんどん上がっていき、
窓から入ってくる風はドライヤーより熱く、眠っていられない。
水を飲んでも飲んでも喉が渇き、それでいて汗をかかないほど乾燥しているので頭も朦朧としてくる。
雨季前の猛暑のインド旅行は大げさでなく生死をかけたものになる。

午後3時過ぎに道路脇にバスが停車する。
ここがジャンムーの終点らしい。
バスステーションの場所を訪ねてからそう遠くないロンプラに載っている宿に向かう。
路地の先にあるGreen View Hotelはエアコンなしのダブルルームで500ルピー(900円)。
清潔な部屋だけれどもWiFiもない普通の部屋で500ルピーとはインド自体の物価が上がっているのだろうか。
アムリトサルに劣らず40度越え、夜でも暑いジャンムーにて部屋の中が多少涼しいのが救いだ。


シーク教徒が多いパンジャーブ州のアムリトサルから一変、
顎髭ともみあげが繋がった人々が目立つ。
口ひげのインド人というよりパキスタンの部族に近い雰囲気、カシミールに近くなったようだ。
猥雑なバスステーション周辺には床屋やカシミール食堂があり、
匂いもこれまでのインドとちょっと違う。


あらかじめ次の移動のため調べておくと、
ジャンムーからカシミールのシュリーナガルへの移動は早朝か夜行。
強烈な暑さの中夜行バスを待つのはしんどいし、日中の方が風光明媚なカシミールの風景を見られそうなので早朝に発つことにする。
翌朝すぐに出発してもいいが、焦らずジャンムーに二泊してからシュリーナガルへ移動する。

外国人旅行者を一人も見かけないジャンムーはこれといった観光スポットはなく、
街中の大きなヒンドゥー寺院を訪れたり、
カシミヤの織物、ショールを売るバザールをぶらついたりする。



が、アムリトサルからほとんど標高が上がっていないため、
2時間も歩いていると意識が遠のきそうな暑さ。
日中は涼しいホテルで休息するしかない。


午前5時半に起きてスリナガルへ移動する。
事前に調べていたのでバスステーションに直行するも今朝出発するバスがないと言われる。
適当なことばかり言うインド人なので本当か嘘か分からないが、
シュリーナガル行きのシェアタクシーの客引きが多いので、
バスステーションで呼び込みしている男性についていく。
バスステーションを出た道路沿いに多くのジープが停車しており、値段交渉してみる。
900ルピー、1000ルピーと高いのもあるけれども700ルピーの料金提示もある。
バスだと420ルピーと聞いていたので500(900円)ルピーで交渉。
しばらくして案内されたのはジープの後部座席後ろの荷台に窮屈な二人用の座席を二列並べた場所。
500ルピーなので仕方がない。
これからレーに向かうにつれて何度も乗るであろうシェアタクシーという名のジープ。
最初は安くて乗り心地悪そうな荷台でインド最北部カシミールの旅の辛さを味わってみる。
ちなみにバックパックは車の屋根に乗せているだけでカバーをかけたり、
ロープでくくりつけたりしていなく、マダガスカルのタクシーブルースに比べて不安がある。
雨は降らなくても、山道で荷物が転倒する恐れがあるし、土埃まみれになるのは避けられない。


20分くらいでジープの乗客が集まり、6時半にジャンムーを発つ。
シェアタクシーなのでなんとなく2ヶ月ちょっと前のマダガスカルでの移動に似ている。
ただインドだけあって交通量は多く、さらにアグレッシブで狭い山道で追い越しの連続、クラクションの嵐。
渋滞も度々起こり、フンザのような渓谷の風景に見入るようになれるまで時間がかかる。
カシミール紛争からそう年月が経っておらず、軍用車両やトラックが多い。
思えば、12年前にパキスタンのフンザへ向かう際にカラコルム・ハイウェイを走るバス何台もが隊列になり、銃を持った兵士を乗せた車にコンボイされていた。
そんなフンザへの道を思わせる断崖絶壁に沿った道路から濁った渓流が見える。
インド最北部のカシミールはデリーよりもパキスタンの首都イスラマバードやアフガニスタンの首都カブールに近いので、風景がカラコルム・ハイウェイやアフガニスタンに沿ったタジキスタンのパミール・ハイウェイ、ワハーン回廊を想起させるのは当然かもしれない。


標高はそれほど高くないようで空気は暖かく、山肌も新緑をまとっている。


コンボイで進んだパキスタンや交通量が少ないタジキスタンのワハーン回廊と違って大渋滞のカシミールへの道。
シュリーナガルやレーはインド人にとって人気の観光スポットで今が旬。
車体の屋根に荷物を乗せたジープが多く、さらにスピードが遅い輸送トラック、
兵士が乗る軍用車両でひどい時だと30分は足止め状態だった。
動き出したと思ったら、隙をついてのオーバーテイクがあっちこっちで発生し、
対向車ともクラクションを鳴らすだけで譲り合いもなく、
美しい渓谷の風景と裏腹に地獄絵の様相である。


自分を含めて三人が座っている荷台の座り心地は最悪で、
窮屈すぎて向かいのインド人青年二人と足が常に重なっており、身動きがしんどい。
進行方向に席が向いていないので車窓もゆっくり見れず。
次回からちょっと金を出してでも普通の窓側の席にしようと思った。
窮屈な空間でへとへとになりながらもインド人の青年同様、何度も居眠りして頭を窓にぶつけた。


道程3度の休息があり、インドとは思えないイスラム教徒一色の村でカシミール料理のマトンボールのカレーライスを食べるランチタイムもあり、
気がつくと平坦な道を走っている。
それでも標高は1600メートルのカシミール渓谷。
窓からの風はアムリトサルからジャンムーに移動した時の高熱のドライヤーでなく、
山地の涼しい風だった。
見かける人々の顔つきは浅黒くて大きな目がギョロギョロしている典型的なインド人と異なり、
深い顎髭ともみあげをたくわえた彫りの深い人々。
インド人というよりパキスタン北部の民族に近い。
同時に道端にはかつてないほど兵士が立っており、外国人へのパスポートチェックはないものの検問は度々あった。
政情が完全に落ち着いた訳ではないし、数年前までテロが多発していたカシミール。

結局、シュリーナガルには11時間後の午後5時半に到着した。
インドと明らかに違う人々と涼しい気候にテンションを上げてロンプラの宿に向かっていると、
低地のインド人よりしつこいハウスボートの客引きにシュリーナガルが観光地であることを実感した。







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