2013年12月19日木曜日

中国の旅が終わり、香港での長居が始まる(2013年12月7日)

いよいよ香港に入り、今年の旅は終了する。

東京で取得した中国ビザの有効期限は一ヶ月間だが、今回は北京でノートパソコンの修理により足止めにあったため、たいして多くの街を訪れてないのに中国での29日間が過ぎ去ってしまった。
上海からは夜行バスで21時間かけて広州まで移動。
氷点下の青島から上海に移動したときも急激な気温上昇に別世界のようだったが、
上海から広州は緯度でいうと九州から沖縄を通り越して台湾まである。
広州に到着し、21時間仰向け状態からほとんど体を動かせなかった夜行バスから降りると、暖かさというより暑さに包まれた。上海も日中の気温が14〜18度と暖かかったが、広州では22〜24度くらいまである。
だからか南国の香りが鼻孔をつき、気分も高揚してくる。

広州は来年の2月、東京の友人が遊びに来るときにじっくり見るので、今回は2日間のんびりする。
…つもりだったが、久しぶりの亜熱帯的な気候に心が踊り、ついつい歩き回ってしまった。そのせいか広州2日目は体調を崩したようで微熱もあった。
風邪かもしれない。
思えば上海から広州への長い棺桶バスではたいした食事はとれなかったし、急激な気候の変化に体力がついていけなかった気もする。

広州の都会ぶりは凄かった。
2009年に訪れたときも感じたが、大都会上海の次に訪れてもアジアの大都市の喧噪に圧倒される。
広東タワーという東京スカイツリーより少しだけ低いタワーも立っている。




広州の次は香港との国境沿いの街、深圳(シェンゼン)。
体調はまだよくなかったが、広州から深圳に移動する日が中国29日目で、翌日に香港に入らないと中国ビザが切れてしまうので頑張ってバスターミナルに向かう。
また、世界中どこもそうだが、国境沿いの街は治安がよくなく、深圳は中国で一番治安が悪いとの噂もあるので気を引き締める。

バスで2時間、香港との国境である羅湖口岸へと続く巨大な深圳駅に付随したバスターミナルに着く。
深圳では宿は決めていなく、また深圳も2009年に続き2度目の訪問なので、深圳駅前をうろつく客引きと交渉して宿を探すことにした。
すぐに客引きにつかまったが、交渉してもなかなか料金が安くならず、体もだるかったし、この日で中国最後ということで200元(3200円)もするホテルで妥協してしまう。
まぁ、中国最後なのでちょっとした贅沢もいいだろう。
が、部屋はどう見ても安宿の部類で、料金をすでに払ってから後でホテルのパンフレットを見て気がついたのだが、シングルだと138元とか…。
つまり、普通に交渉すれば100元(1700円)で泊まれるはずの部屋だった。
中国最終日の締まりが悪い。
リベンジは香港を去ってからの再びの中国ということで。

そして翌日12月7日、羅湖口岸のイミグレーションで中国人の群集にもみくちゃにされながら2時間以上かけて国境を越えた。一応、パスポートにスタンプを押されるイミグレのカウンターでは香港人、中国人、台湾人、外国人と分かれていてスムーズだけど、国籍ごとのカウンターの列に振り分けられるまでの長列では皆一緒なのでカオスである。
運悪くこの日は土曜日で、香港に遊びに行く、いや買い物に行く中国人が多いのかもしれない。香港入国のイミグレーションでは相変わらず騒々しい中国大陸の人々とは異なり、落ち着いた香港人はスムーズに自らの国に帰っていく。
香港はイギリスから中国に返還されて10年以上経つとはいえ、やはり中国とは別の国に感じるし、中国人と香港人が同じ人種と思うのは難しい。

国境を通過して、香港の最大の繁華街チムサーチョイへと向かうMRTの駅に入ると、先進国独特の地下鉄のエアコンの匂いがして懐かしかった。
2002年、2009年、2012年に続き、香港4度目ということだけでなく、香港から醸し出されるモダンな香りがソウル以来に先進国の大都会の空気だからかもしれない。

香港に入ったことで2013年の移動の旅は終了。
2ヶ月以上滞在する宿も見つかる。
これまでの3度の訪問でも泊まり、香港の安宿としては定番で有名すぎる重慶マンション。
インド亜大陸やアフリカからの人々が異常に多く、加えて西洋人バックパッカーや中国人観光客、フィリピン人や中東の人が集う多国籍な15〜17階の雑居ビル群で、ABCDEの5ブロックに分かれており、ブロックごとにエレベーターがあり(ブロックごとにしかエレベーターがなく、目的の階に行くためにエレベーター待ちの列に加わらなければならない)、それぞれのブロックによって宿の数は異なるが、多いところでは30以上のゲストハウスの看板がある。
2002年や2009年に重慶マンションを訪れたときはどのゲストハウスにするか見当もつかず、声をかけてきた中国人やインド人の客引きに名前さえ思い出せないゲストハウスに連れて行ってもらったものだ。
ちょうど一年半前の2012年は友達二人と三人で重慶マンションを訪れたので、あらかじめネットで調べたゲストハウスを数件廻って見たが、折りがあわず、最終的にはたまたま以前泊まったゲストハウスで部屋が見つかったのでそこに再び泊まったというエピソードもある。

今回は長居するということでいろいろ調べて、Aブロックの7階にあるファーストゲストハウスという宿に決定。
悪名高い重慶マンションなので部屋は相変わらず3畳あるかないかの狭さだが、おそらくフィリピン人と思われるおばさんが毎日部屋の掃除、シーツ交換を行ってくれるおかげで清潔感が保たれた部屋だった。
窓なしの部屋も多い中、最初の3泊は150ドル(2000円)のバスルーム付きの部屋にしたが、バスルームは狭すぎるし、窓から見えるのは別ブロックのゲストハウスの部屋だけなので、香港4日目にはバスルームは共同だが広く、窓からは香港最大の繁華街ネーザン通りが眺められる130ドル(1700円)の部屋に移らせてもらう。
ここが2ヶ月以上香港の夜を過ごす部屋になるのだろう。
正直、1ヶ月の家賃に換算すると、シャワー、トイレ共同、台所なしの3畳くらいで5万円と、東京に比べてもコストパフォーマンスは悪すぎるが、重慶マンションから出て5分で100万ドルの夜景が見れるのでいいとしよう。
部屋から出て、ブロックの奇数階用、偶数階用の2台しかないエレベーターを待っている段階ですでに10分以上経っているときがあるけれども。







2013年12月16日月曜日

上海からの日帰り旅行(2013年11月30日)

北京から上海まで南下すると気温は少し上昇する。

北京の次に訪れた青島は青島ビール工場があるビールストリートや海水浴を楽しめるビーチで有名だが、自分が訪れたのは今回の旅において一番寒い氷点下で、
オフシーズンだった。
寒い上に風も強かったので、街歩きするのもままならなかったが、せっかくなんでビールストリートは歩き、ビーチも訪れた。
空気が澄んでいるのかどうかは謎だが、海に沈む夕日は美しかった。




青島からは一気に上海まで南下する。
21時発の夜行バスなので、寒さに耐えつつ、バスターミナルで待つ。
バスはいわゆる棺桶バスで、車内には椅子の代わりに二段の寝台が三列ずつ並んでいる。
ずっと寝てればいいだけなので楽だが、ひたすら仰向け状態なのも疲れてくる。
だからだろうか、棺桶バスを降りると体が痛かった。

青島から10時間、朝7時頃に上海に到着。
朝方はさすがに冷えるが、日中は15度くらいまで上昇するので、氷点下の青島からやってくると気分も穏やかになる。
上海では今回の旅では初めて相部屋のドミトリーを利用する。
上海の滞在は11月28日からの5日間だが、実は12月1日に上海マラソンがあるそうで、6人部屋のドミトリーはマラソンに参加する中国人でいっぱいだった。
いびきがうるさく、早朝トレーニングのためか、5時からやかましかったり、夜は汗臭いのが厳しい。

上海もまた北京同様大気汚染がひどいそうだが、自分が到着して数日は快晴で空気も澄んでいるように感じる。
西洋風の建物が並ぶバンドの遊歩道からは絵に描いたような上海のスカイラインを眺めれる。
2014年に完成すればドバイのバージュハリファに次いで世界で2番目に高いビルとなるらしいシャンハイタワーも建設が進んでいる。



実はこれまでの中国の街と異なり、上海の訪問は初めてではない。
2005年、2009年に続き今回で3回目。
5日間上海をひたすら探索するのも面白いが、今回は日帰りでシータン(西塘)に行ってみる。
上海の周辺には蘇州をはじめ、ベニスのように水路が張り巡らされた街が多い。
シータンもその一つで、数年前に上海を旅行し、シータンを訪れた友人に話を聞いて興味を持った。
ミッションインポシブル3でトムクルーズが走り回っていた運河の街は映画のセットではなく、実際にシータンで撮影されたらしい。

事前に時刻表をチェックした上海南駅近くのバスターミナルからバスに乗り、シータンへ。
朝8時過ぎにバスターミナルに着いたのに、バスに乗ると定員100パーセント。
この日は土曜日なので自分のように上海から日帰りで訪れる人が多いようだ。
嫌な予感がする。
シータンには1時間くらいで到着する。

土曜日の訪問は失敗だったのか、いきなり観光地の洗礼を受ける。
小学生の遠足らしい団体がシータン旧市街の入り口を埋めていた。
100元(1700円)の入場料を払い、狭い土産街に入っていくと、闘牛から逃れる群衆のような勢いで小学生の団体が駆け抜けていった。


それでも午前中はまだ混雑していなく、のんびりとしたシータンを見て回る。
やはり水路がある街は心も洗われる気がする。



ガイドブックは持ってなくても、小さな街だし、街中で見かける地図を見ながら歩けるのでいい。
狭い路地を探索するのも興味深い。




午前中はよかったものの、午後からはツアーの団体も含め多くの観光客で凄まじい人混みになる。
土日の原宿、竹下通りのように雑貨や買い食いの店が並ぶ通りは通行が容易ではない。
地元の人にも人気の観光地は土日は避けるべきだといい教訓になった。

ダウンを着て歩き回っていると、脱いでもいいかなと思えるほど穏やかな天候だった。
釜山からソウルに入って以来一度も脱ぐことがなかったダウンを11月の最終日に脱げそうというのも不思議なものだ。
冬の到来により寒さがつのるスピードを中国大陸を南下していくスピードが追い越した気がする。
水路沿いでは若者が絵を描いていたり、水鳥を連れたおじさんが舟を漕いでいたりとのんびりとした光景が広がっている。
上海からわずか1時間ちょっとでこんな平和な風景を目に出来ると知った。
土産通りは相変わらず人でごった返しているけど。




夕暮れが近くなると昼間の観光客の波も引き、静かさを取り戻しつつあるシータンの水のある風景には吸い込まれそうだった。
シータンでは夕暮れ近くまで水路沿いの探索を楽しみ、気温が急激に下がった18時にバスで上海に戻る。
つい先ほどまでシータンの水路の街にいたのが信じられなくなるほど上海の夜は輝いていた。







2013年12月12日木曜日

北京で足止め(2013年11月24日)

韓国の仁川からフェリーで中国の大連に入ってからは、
建築ラッシュ真っ盛りの大連、川を挟んで北朝鮮に面した丹東、遼寧省の省都であり、人口600万を超える大都市瀋陽を一週間で回り、いよいよ北京へ。

中国の首都北京は今回が初めてである。
瀋陽から北京へのバスは本来なら8時間かかるらしいが、瀋陽午前10時発のバスは乗客が少ないからか出発時刻になっても出発しなかったり、途中で積荷を車体に運んだり、乗客のニーズに合わせていろんな場所で停車したりと、遅れに遅れて4時間、結局北京まで12時間もかかってしまった。
12時間もかかるバスで食事休憩がなかったので、夜遅く北京のビジネス街の近くにあるホステルにチェックインしてから炒飯だけは食べた。
北京初日からして幸先が悪い。



実はここでトラブル発生。
札幌で購入してから一ヶ月ちょっとしか経っていないMacBook Airがなぜか充電できなくなる。
充電器か本体がいかれてしまったのか?
不幸中の幸いにも北京にはアップルストアがあるので、北京での最初の朝から訪れてみた。
天安門広場や紫禁城ではなく、ブランドショップやカフェが並ぶ洒落た三里屯にあるアップルストアが北京最初のスポットというのは奇妙な感じだ。



北京はこの住み渡りにおいて何度か訪れる予定なので、今回は4泊のつもりだった。
しかし、アップルストアにてMacBook Airのバッテリーが故障していることが判明。
最初は3〜5日かかると言われ、なかなか連絡が来なくて再訪したときはバッテリーの在庫がなくて発注中だからさらに3〜5日かかると言われ、結局北京には10泊もすることになる。
30日間滞在できる中国ビザの三分の一を北京だけで消化…。

冬が近づき、猛烈に寒さが増す北京だが、天安門広場や紫禁城なのどの観光スポットは見て回る。




京都もそうだが、古都の北京も碁盤の目上の町並みになっており、分かりやすいが、碁盤の目のサイズがでかい。
道路の幅も広く、紫禁城も巨大で、まるで巨人の街を彷徨う小人になったように感じる。
でも、碁盤の目から逸れて探索してみると、実は巨人サイズの碁盤の目の中は庶民の生活が溢れる路地が張り巡らされていてると分かってくる。
胡同(ふーとん)と呼ばれており、細い路地が迷宮のようになっているところもあって面白い。
路上で雑談するおじさんたちを見かけたりする。




北京では寺院を観たり、ショッピングモールで寒さを凌いだりもしたが、
北京に住む人々の普通の生活を目の当たりにできる胡同探索が一番興味深かったりする。

空気が悪いと言われている北京だが、秋だからか快晴の日が多かった。
11月後半となれば日照時間が短く、昼飯を終えた頃から西日が眩しくなるが、
毎日と言っていいほど夕暮れ時は美しかった。
ノートパソコンの修理という間抜けな理由で足止めを食らった北京だが、
寒さの中で浴びる西日はほのかに温かく心地よかった。












2013年12月9日月曜日

韓国から中国へ(2013年11月7日)

12日間過ごしたソウルを発ち、世界遊牧住み渡り2番目の国である中国に向かう。

ソウルでは何度か韓国人の友人と会って、カフェで寛いだり、家に招かれて手料理を頂いたりと、有意義な日々を過ごした。
また、居心地のいい宿からの街歩きは旅の路上での街歩きというより、日常生活での休日の街中ぶらぶらに近かった。
デパートをぶらついたり、本屋に立ち寄ったり、買い食いしたり、日本の友達とLINEで無料電話したり、と。
違和感なく落ち着けるソウルにはまだまだ滞在しても良さそうだけど、日本を発って早々の怠惰な生活にも気が引けるし、すでに11月7日の仁川〜大連行きのフェリーチケットを予約したので、潔く出発する。
ソウルに住む友人のお陰で充実した時間を過ごせたので、韓国を去るのに若干感傷的になったりもする。




仁川港国際ターミナル1は水産市場近くのこぢんまりとした港。
言うまでもないことだけど、国際線の飛行機が離発着する仁川国際空港とは比べものにならない。
ちなみに、仁川港は中華街で有名な仁川の町中から近く、仁川国際空港は仁川と長い橋で繋がる島にある。
3日前に下見もかねて日帰りで訪れた仁川では韓国の中華料理の定番と言われるジャージャー麺を食べた。
中華街じたいは平日だからか閑散としていた。





仁川港の待合室には韓国人、中国人のおじさん、おばさんばかり。
福岡から釜山に渡ったフェリーのように若者や西洋人のバックパッカーの姿は皆無。
実際にフェリーに乗ってからもおじさん、おばさんのみで間違いなく自分が最年少で、場違いな感じがする。
韓国の仁川と中国の大連を結ぶフェリーでは韓国語、中国語のアナウンス以外一切ない。
国際線のフライトではもちろん、日本を発ったときの釜山行きの船内でも英語のアナウンスがあったので、以前旅して回った西アフリカや南米の英語皆無の越境を思い出させてくれる。
飛行機とは異なり、フェリーはもの静かに、何の前触れもなく仁川港を発つ。
正午前に仁川港の着いたのに出航は夕暮れ前。



とうとう韓国を去る。
しんみりとしながら西日に輝く海を眺めていると、まもなくカモメのショーが始まる。
男性が与えるかっぱえびせんを求めてカモメたちが戯れる。
デッキでは多くの人々が微笑みながらその光景を眺めている。
高揚感を携えて搭乗する飛行機の旅もいいけれど、のんびりとした船旅もまたいい。


4年前の世界周遊旅行の最後の最後、上海から大阪へのフェリーが瀬戸内海に入る直前に夕暮れ時の関門海峡に架かる橋を眺めて長旅の終わりを実感した。
今回仁川から韓国を去る際に眺める橋はその橋に似ている。
海に架かる橋は船旅のゲートなのかもしれない。
橋から目を離すと、夕日がまさにこれから向かう中国大陸に沈もうとしている。
飛行機を多く目にするのは橋が仁川国際空港のある島と繋がっているからだろう。




船旅は約17時間。
配膳で受け取った給食のような夕食を済ませると、薄汚れた船内ではもうすることがない。
おじさん、おばさんたちは広間で韓国のお茶の間ドラマのようなものを見ている。
仁川港を発ってまもなくのドラマチックな夕暮れを思い出しつつ、缶ビールを飲み、カプセルホテルのような二等の狭いキャビンで眠りにつく。

翌朝、韓国時間8時、中国時間7時にデッキに出ると、朝日で海が輝いており、
そして建築ラッシュで進化し続けている大連のスカイラインが迫っていた。