2015年4月12日日曜日

9ヶ月ぶりのカオサンの変化にもの思う(2015年4月3日)

タイ南部の島廻りを終え、夜行バスでバンコクに戻ってきた。
9ヶ月ぶりのカオサン通り。

2014年同様、カオサン通りの脇道を入った庶民的な界隈にある定宿のATゲストハウスで200バーツのシングルを確保し、
ミャンマーに行くまで3週間以上滞在のバンコク拠点とする。
円安せいで200バーツも750円と安さを感じない。
コスパがまあまあであればまだしも、
高速WiFi、エアコン、朝食つきのシンガポールのカプセルホテルと異なり、
3畳ほどしかない狭い部屋で窓がないため暑い。
前回泊まった窓つきの部屋は先客とられており残念。



夜明け前の5時にカオサン通り近くに到着する嫌がらせツーリストバスのせいで睡眠不足。
日中はATゲストハウスの独房のような暗室で熟睡する。
昼間であれば窓がない部屋の方が暑さが和らぎ、外からの騒音もないのでいいかもしれない。
ちなみに、かつては日本人が多く集まっていたらしいATゲストハウスは現在フランス人の溜まり場。
入口はフレンチバーとしてバンコク在住のフランス人やバックパッカーで毎晩賑わっている。


9ヶ月ぶりにカオサン通りを歩くと大きな変化に気がつく。
毎年のように変貌し続けるカオサンはかつてないほど整然としており、
2014年に取り壊し作業が進められていた通り南側の長屋が一新され、
またカオサン通りに並行する一歩南の怪しい路地裏も消滅し、
バックパッカーの聖地やら世界一の安宿街と呼ばれていた時代はどこにいったのやら、
より一般的でグローバルな観光地に近づいている気がする。
10年くらい前から日本人のカオサン離れなんかは耳にしてきたけれども、
カオサン特有のカオスさえも希薄になったのだろうか。





何よりもカオサンを歩いている人々のスタイルが変化した。
より多国籍、多種多様になったと言えるかもしれないが、
自分が初めてカオサンに来た2002年に比べると圧倒的に貧乏旅行者が少なそう。
そもそも、ほとんどの外国人旅行者がスマホを持って旅しているこの時代に貧乏旅行者は死語かもしれないが。
いかにもアジアを周遊しているようなバックパッカーの数よりも
南国のバカンスを楽しみにきたと思われる西欧人や東欧人の家族連れ、
手をつないで歩く中国人のカップル、セルフィー棒で動画を撮る南米の若者たち、
韓国人のおばさんグループ、東アフリカあたりからきた黒人が目立っている。
アジアを倹約しながら放浪する長期旅行者よりも一般的な観光客が増えたことでカオサンに求められるニーズも変わってきたにちがいない。
まぁ、今年になって気がついたことではなく、
2007年、2009年、2014年と訪れるたびに顕著になりつつはあったと思う。
歩道で行なわれるタイマッサージ店、いわゆるタイマッサージの屋台がより増え、
タトゥーショップが無意味なほど増加し、辛さ控えめなのに値段が高いタイ料理初心者用の洒落たレストランがより増えた。
同時に格安航空券を予約できるような旅行会社は脇に追いやられて生存している。
2000年代の序盤、西欧人バックパッカーで溢れていたハリウッド映画の海賊版DVDを流していたバーやレストランは次の映画の上映時刻の告知など当然することはなく、
見る人がほとんどいないプレミアムリーグを延々と流している。
そういえば昨年流行っていたシーシャバーは完全に蒸発しているが規制でもあったのだろうか。
あるいは、単にカオサンでの水タバコブームが数年で終わっただけなのだろうか。





でも、カオサン同様大きく変わったのが自分自身。
2002年〜2009年のカオサン滞在中、毎日のように立ち寄ったインターネットカフェと無縁になり、
多い夜で2作連続で見ていた最新のハリウッド映画は
海賊版DVDを放映しているレストランやバーがないので見ることもない。
今はSIMロックフリーのiPhoneにタイの安いSIMカードを挿入し、
いつでもFacebookやYahoo!ニュースをチェックしたり、
宿のWi-Fiやテザリングを利用し、MacBook Airでネットサーフィンをしたり、
日記を書いたり、航空券を予約したり、一眼レフで撮った写真をクラウド上にUPしていく。
幸か不幸か、喜ぶべきか悲しむべきか、
現在の最先端、画一的なグローバルな流行に乗り遅れるとカオサンはつまらなくなり、
カオサン離れが進んでしまうだろう。





バンコク初日はひたすらのんびりとカオサンをぶらつく。
イスラエル料理店や10バーツラーメンなど昔ながらの店もあるものの、
メインのカオサン通りでは洒落たバーやレストランばかりでかつてカオサンの存在意義のような安い航空券が手配できる怪しい旅行会社が減り、
カオサンに来て旅行会社が掲げている安い航空券の値段に世界の旅を思い憧れるようなことはなくなった。
バンコクからわざわざアメリカのニューヨーク〜ロサンゼルスのオープンジョーチケットを購入したり、
ビーマンバングラデシュ航空のダッカ経由でロンドンに行ったりしたのは10年以上前、
最後にカオサンで航空券を手配したのは2007年にエジプト航空でカイロ経由でイスタンブールに向かったときだった。
確かそのころからエアアジアが目立ち、
LCCが当たり前になった現在では世界都市への衝動を沸き立たせる旅行会社は不要なのかもしれない。

今月後半バンコクからミャンマー旅行があり、
多少残っている旅行会社に試しに訪問してみると、
一軒目では航空券を取り扱っていないと冷たくあしらわれ、
2軒目では調べてもらうも自分でネットでチェックしたより高かった。
また、自分自身も今ではドキドキしながら怪しい旅行会社で航空券の値段を尋ねるよりも手元のiPhoneのスカイスキャナーのアプリでその場で最安値を確認できるようになった。
それでも尚カオサンに居座り続けるのは思い出探しだろうか。





やはりカオサンの世界一の安宿街、バックパッカーの聖地としての役目はLCCが発達し、
個人旅行者がスマホを持ち、インターネットカフェの看板よりもWiFiの表示が目立つようになった数年前にすでに終わっていた。

でも、変わらないものは確かに存在している。
日が暮れて夜が深まると、昨年と同じように衣服やアクセサリーを売る露店が車道まで押し寄せ、カオサンはナイトマーケットと化す。
写真を撮るだけでも10バーツ撮られるタガメやサソリ、イモムシ、コオロギの唐揚げやかつての3倍以上の値段なのに不味くなったパッタイを売る屋台のカートには昔と同様外国人が集まっている。
屋外マッサージと同様、オープンバーに集まる西欧人も増え、
車道に無造作に並ぶテーブルの前ではヒップホップなタイの少年たちがストリートパフォーマンスを疲労している。
隣り合い、向かい合ったバーから競い合うように大音量で流れるエレクトリック•ダンス•ミュージックはいまだかつてないほどボリュームがでかい。
2000年代は一枚100バーツのコピーCDを売る露店のスピーカーからエミネムやリンキンパーク、コールドプレイなんかが流れていたっけ。
夜になって古くさいネオンが輝くカオサンのカオスは嗜好や流行が違えども、
昔とそう変わっていない。



今のカオサンは何なのだろうか。
改めて考える。
世界一の安宿街、バックパッカーの聖地というレジェンドを背負ったテーマパーク、
バーチャルな旅を楽しめるディズニーランド、
あるいは多国籍の若者、旅行者、観光客が集まるパーティー会場。
深夜0時前、カオサン通りのど真ん中に位置する昔ながらのカオサンセンターのバー、
向かいのラッキーバーから大爆音のEDMが響き渡る中、
カオサンセンターの歩道ギリギリに出されたテーブルでビールを飲みながら思ったりした。
すでにかつての旅人のためのカオサン、世界の旅の拠点としてのカオサンは消滅したとしても、
自分が倹約重視でアジアを放浪していた若い旅人ではなくなったとしても、
カオサンからはまだまだ離れられない。




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