2016年11月26日土曜日

イルクーツクからバイカル湖畔のリストビャンカへ日帰り旅行(2016年11月13日)

世界一深く、世界一透明で、世界の淡水の20パーセント近くを蓄えているというバイカル湖。
イルクーツク早朝着の列車内から見れなかったとはいえ、
ここまで来て世界遺産にも登録されているバイカル湖を見逃すわけにいかない。
イルクーツクから日帰りで湖畔の村リストビャンカまで行けることが判明し、寒さに負けずに見に行く。


イルクーツクの中心はアンガラ川を挟んで駅の対岸にあり、駅前からトラムに乗る。
適当に街の中心辺りでトラムを降り、予約しているMarco Polo Hostelに向かう。
ホステルはBooking.comで予約できるし、場所はスマホのアプリmaps.meの地図上にピンを打ち、
これまでの他の国々と同様、スマホ一つで簡単に予約した宿までアクセスできるロシア。
個人旅行が難しいと言われていたロシアなので味気ないと言えなくもないが。
Marco Polo Hostelは小さなバスステーションの裏手にあり、
オフシーズンだからかがらがら。
一泊350ルーブル(560円)のドミトリー部屋にはロシア人のおじさんと自分の二人しかいない。
それにしてもロシアのホステルは安いのに清潔感が漂っている。
ホステル内で酒が飲めないのが残念だ。


宿の人にバスステーションからバイカル湖に面したリストビャンカに行けると教えてもらい、
日帰り旅行で見に行くことにする。
しかも、ネット画像で見ると冬場は湖面が凍結し、幻想的な光景が見られるとか。


まずはイルクーツクの街歩き。
シベリアのパリと呼ばれるイルクーツク。
ホステルから眺めてみると、いかにもロシアっぽい街並みだけれども。


ウラジオストクからのシベリア鉄道前半を終えて最初の食事はウズベク風食堂にて。
ウズベキスタンで何度も食べたピラフと肉の煮込み、ロシア風サラダと茶で300ルーブル(500円)。
列車内で菓子とカップ麺だけだったので思いっきりがっつく。


多民族国家のロシア。
イルクーツクはウランバートルに近いからか、日本人に似たようなモンゴル系が目立つ。
また昨年カザフスタンやキルギス、ウズベキスタンで見たようなアジア系も多く、
ロシア料理以外に懐かしのラグマンや餃子のマントゥを食べられるのが嬉しい。


シベリアのパリと呼ばれる以前にシベリアの大地に存在するイルクーツク。
シベリアっぽい木造の家屋が目を引く。
極寒の世界では石造りより木造の方がいいのかもしれない。
北海道育ちの自分はそう感じてしまう。



メインの通りに入ると、確かにヨーロッパによくある建築様式が増える。



薬局の十字のネオンはパリの路上でよく見かけたものだ。


ちょっとした歩行者天国もあり、路上演奏しているパフォーマーもいる。
暖かければ楽しそうな通りである。


ただ、いくらシベリアのパリとはいえエッフェル塔のモニュメントは余計だろう。


自分としてはシベリアのパリなんかというネーミングがなくても、
ロシアっぽい街中をトラムが走っている光景がイルクーツクのオリジナルみたいでいい。


旧ソ連の中央アジア諸国でもそうだったが、偉人の銅像があちこちにある。
有名すぎるレーニン像。


初めて聞く名前だけど、おそらく有名だろう人々の銅像。



そして、シベリアの大地から想像できないモダンなショッピングモールの近くにイルクーツクの象徴のような動物の銅像。


動物の力強さの影響を受けたかのように若者が集うショッピングモール。
寒い外を長らく歩いていると凍えてしまうので、暖かいモールで休息する。
ここでもエッフェル塔をアピールしている。


イルクーツクの教会群も素晴らしい。
ロシア正教はフランスやドイツで見るゴシック建築と明らかに異なり新鮮に感じる。





イルクーツクの街歩きを満喫したのでいよいよバイカル湖への日帰り旅行。
マイナス10度以下が普通のイルクーツクで日帰り旅行の日の最高気温はマイナス4度だった。
とはいえ、日が昇って間もない午前中はマイナス14度という厳しさ。
宿の人に言わせると、これでも今年は異常なほど温暖らしい。
例年のこの時期はマイナス30〜20度とか。
恐るべきシベリアの11月。


Marco Polo Hostelから徒歩1分のバスステーションから1時間おきくらいにリストビャンカ行きのバスがあり、午前11時発のチケットを買う。
片道111ルーブル(180円)。
ミニバスに乗り、1時間弱でリストビャンカに到着する。
世界遺産に登録されているバイカル湖畔の村のわりに土産屋が溢れているような観光地でなく、
数軒のホテルとちょっとしたカフェが並ぶ静かなリストビャンカ。
観光客もまばらでどっぷりとバイカル湖に浸れそう。

まず残念だったのが、バイカル湖はまったく凍結されていなかったこと。
ネット画像で見たようなサファイアブルーの氷はおろか、
スケートリンクのように歩ける凍結された湖面もない。
水辺自体は普通の湖だった。


実際に凍結された湖面が見れるのはもう数ヶ月先とか。
それでも海のような湖は雄大な眺めである。
遠方に雪をかぶった山々が連なっているのが海でなく湖だと教えてくれる。



頭上の太陽光は弱々しく、巨大な湖面にほんのりと光を落としている。



凍結された光景を見れなかったのは残念だけれども、
ずっと眺めていても飽きない巨大なバイカル湖。



が、氷点下10度の世界。
30分も立ちすくんでいるとつま先の感覚がなくなってくる。
波打ち際の氷柱や凍てついた岩場が数ヶ月後の氷張りを物語っている。




湖以外に特に見所がないリストビャンカ。
バイカル湖名物の魚オームリを門戸で売っている村中をぶらついてみる。



たまにシベリアンハスキーのようなでかい犬を飼っている家があり腰を抜かしそうになる。
雪に覆われたバイカル湖畔の村での生活は厳しそうだ。



昼飯をオームリを売る市場隣接のカフェで食べ、
ホステルに戻ってから食べるために一匹100ルーブル(160円)のオームリを二匹買う。
カフェでビールを飲みながら食べているのが美味しそうだったが、
ビールを飲んでから寒い中歩く気になれないので惜しみながら諦める。


午後から再び湖畔をぶらつき、リストビャンカへの日帰り旅行終了。
ツーリストインフォメーション近くに停まっているマルシュートカでイルクーツクに戻る。
次回バイカル湖への再訪があるとすれば、
外で冷たいビールを飲みながらオームリを食べられる真夏か、
氷張りのバイカル湖をお目にかかれそうな2月だろう。
寒すぎて1時間も外に出ていられないのにサファイアブルーの氷が見られない11月のバイカル湖でそう思った。




イルクーツクでの三日間の滞在が終わると、
再びWiFiなし、シャワーなし、毎日カップ麺のシベリア鉄道後半を迎える。
モスクワまで車内4泊、81時間の長旅となる。









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2016年11月20日日曜日

ウラジオストクからイルクーツクまで69時間のシベリア鉄道前半(2016年11月11日)

ウラジオストクからイルクーツク、
イルクーツクでストップオーバーしてからモスクワまでのシベリア鉄道の旅が始まる。
前半は車内3泊、69時間の旅、
後半は車内4泊、86時間の旅となる。
疑いようなくこれまでの旅で経験してきた移動時間で最長になりそうだ。


始発のウラジオストク駅からモスクワ行きの列車は午前4時2分発。
列車時刻は全てモスクワ時刻であり、ウラジオストクとモスクワの時差が7時間、
つまり午前11時2分にウラジオストクを出発する。
寒いだけでなく、道が滑って危なく、上り坂でしんどい中、
バックパックを担ぎ、三日分の食料袋を持って駅へ歩いていく。
意外と乗客が少ないウラジオストク駅。
列車が近づくアナウンスが流れたので午前中の極寒に耐えつつプラットホームで待つ。



掲示板のモスクワ行きの表示にこれからイルクーツク滞在三日間を含めてモスクワまで10日間に及ぶ列車旅への想いを寄せる。


チケットに記載された車両の入り口で駅員にパスポートを見せてから暖かい電車に乗り込み、自分の寝台へ。
3等の開放寝台の中でも上段ベッドはさらに安く、イルクーツクまで115ドルだった。
バックパックを寝台上の棚に上げ、列車が動き出すのを待つ。



69時間に及ぶシベリア鉄道前半がスタート。
もちろんWiFiもなければシャワーもなし、充電コンセントもないものの、
トイレットペーパー付きのトイレはあるし、
カップ麺やお茶用の給湯器やいつでも横になれるベッドがある。
狭くてボロくて臭いバスに44時間乗り続けたインドネシアのスマトラ島からジャワ島への移動や
マリのバマコからセネガルのジガンショールまで60時間以上かけてぎゅうぎゅう詰めバスで揺られる移動よりずっとマシだろう。
中国やインドの長距離列車に比べて清潔感まであり、
意外と寡黙なロシア人とあってか静かで快適な列車旅になりそうだ。
走り出してまもなく海岸線を走り、寒々しいロシアの雪景色を暖かい車内から眺めつつ旅情を感じる。


飛行機のように機内エンターテインメントがあるわけでないので、
車内ではスマホにダウンロードした音楽を聴いたり、
ぼんやりと車窓を眺める以外にすることはない。
睡魔がやってきたらバス旅のように船をこがず、寝台によじ登って仰向けになればいい。
もちろん、下段の人が横になってしまうと座るスペースがなく、
仕方がなく自分も仰向けになるしかないけれども。
日照時間が夜の時間帯より短いため日中から寝てばかりいられない、というのが本音。


残念ながらシベリア鉄道で車内販売がない。
中国やインドの列車旅のように美味しい中華弁当やカレーにありつけられず。
3等だからかもしれないが、車両係員のおばさんからお菓子やお茶、ピロシキを買う以外には自分が持ち込んだ食料に頼ることになる。
朝はウエハウス、昼はポテトチップス、夜はカップ麺の繰り返し。
他の乗客も同じようにカップ麺だったり、パンだったり、プラスチック容器に入れたサラダやソーセージだったりする。
食事の楽しみもなくなってっくる。
あと、意外なことにビールやウォッカを飲んでいるロシア人がいない。
コンパートメントでなく、プライベートな空間がない開放寝台だからだろうか。
やはり実際に乗ってみて色々と学べるので、
モスクワまで通しでなく、イルクーツクで前半と後半に分けて良かったとすでに思っている。

軽食を食べたり、音楽を聴いたり、ぼんやりとシベリアの大地を見ていると、
単調な時間は瞬く間に過ぎていく。
夜はスマホで映画を見たり過ごし、日が昇ってようやく明るくなった9時過ぎに起き上がる。
顔を洗って軽食を食べて外を眺めながら行き先のない思考を巡らせる。
退屈でうんざりするのではという不安を覆し、
自由気ままに静かなシベリア鉄道での時間を過ごせる。




三日目の昼頃だろうか、
とある駅に到着し、多くの乗客が降り、アジア系の人々が多く乗ってきたと思ったらチタという町だった。
地図を見るとモンゴルに近い。


昨年夏、北京からモンゴルとの国境の中国側の街エレンホトまで列車に乗り、
ジープで国境を越えてからモンゴル側の街サミンウードから夜行列車でウランバートルに移動したのを思い出す。
ウランバートルのゲストハウスで出会った旅行者でイルクーツクから来た人やイルクーツクへ向かう人がいた。
昨年は難しいと思っていたロシア旅行をこうして東京で無事観光ビザを取得し、
自由気ままに列車で旅行しているのは不思議な感じがする。

ウランウデというモンゴル方面との分岐点となる町で再び多くの乗客が降り、
常に25度以上の保たれた車内にシベリアの冷気が入ってくることなく列車は進んでいった。




定刻通り69時間後、モスクワ時刻午前1時、イルクーツク時刻午前6時にまだ暗いイルクーツに到着した。
当初から諦めていたけれども、深夜の時間帯に走行してバイカル湖が見れなかったのが残念。
陽気な駅員に声をかけられて列車を降りると、強烈な冷気に目が覚める。
でも、天気予報を調べて心配していたマイナス28度の世界はまだ先のようで、
マイナス14度の表示に不思議と安心感が芽生えた。
とはいえ寒い事実は変わらないイルクーツクで三日間観光し、
食料を買い込んでからシベリア鉄道後半に挑む。






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