2016年11月6日日曜日

住み渡り最初の地、韓国のソウルを3年ぶりに歩く(2016年11月2日)

2013年秋に再び仕事を辞め、4年間過ごしたアパートを引き払って、
旅を満喫しつつも、居心地いい町にしばらくバックパックをおろしてプチ滞在を楽しむ世界遊牧住み渡りを始めてからちょうど3年。
3年前と同じように急に寒さを増したソウルを歩き回っている。
2013年の旅立ち当時は世界一周を終えてからロシアを鉄道で横断することなど考えていなかったので、
まさかソウルに再訪するとも思っていなかった。
3〜4年に渡る世界周遊を目前にして不安と期待が入り混じった複雑な心境だったソウルと、
すでに3年かけて世界一周して一時帰国直後に再び訪れたソウルは当然同じわけがない。
うんざりするほど長いだろうと思っていた世界周遊の期間も残り一年をきっている。


東京から那覇に飛んだ日から住み渡り4年目がスタートしているけれども、
沖縄は一時帰国の一部でもあり、パスポートに出国スタンプをもらってからの旅立ちは韓国から。
これまたタイミングを狙ったわけでないが、2013年に釜山からソウルへ移動した同じ10月22日に那覇から釜山に飛ぶ。
再びの出発でテンションを上げるには簡易すぎる那覇のLCCターミナルにて台湾人や韓国人に混じってイミグレでスタンプをもらう。
合計26日の日本滞在も終了。


美味しい日本食を食べまくったし、何人かの友人とも再会できたものの、もう少しゆっくりしても良かった気がする。
もちろん、その分再びバックパックを背負うのが億劫になるかもしれないが…。


3年前は東京から大阪へ夜行バス、大阪から福岡へ夜行バス、福岡から釜山へフェリー、
釜山からソウルへバスで移動し、今回は那覇からLCCのピーチでひとっ飛び。
蒸し暑い那覇を名残惜しみつつも眼下の沖縄の島々を眺める。


うとうととしてきた頃、激しい振動で目覚める。
乱気流の中、仁川空港への着陸態勢に入ったらしい。
スチュワーデスも席に着かなければならず、身の回りの安全は各自の責任で、
というアナウンスが流れて手に汗を握りながら青い沖縄とは一転、灰色の世界を眺める。
寒々しい無機質な大地が見えてくると、冬の到来が間近なユーラシア大陸を実感する。
わずか2時間ちょっとのフライトで、太陽光が強く、エメラルドブルーの海と郷愁を誘うような音楽に魅了された沖縄が遠くなり、戻ることができない別次元にワープしてきたようだ。
3年ぶりで懐かしいソウルなのに、暖かい島から寒い大陸へ移動すると少なからずテンションも下がってしまう。

中国人とマレーシア人で混雑したイミグレでようやく入国スタンプをもらい、
久しぶりにATMで外国紙幣をおろしてからエアポートバス乗り場へ。
当たり前だけど日本語がどこでも通じるわけないし、一時帰国前のアメリカのように誰でも英語が話せるとは限らないのでコミュニケーションがぎくしゃくなソウル初日。
見慣れた明洞駅近くでエアポートバスを降り、
南山方面にちょこっと登ったところにあるSeoul Myeongdong Stayにチェックイン。
キューバ、カリブ海クルーズ以来プライベートルームに宿泊していなかったのでシングルルームにし、一泊28000ウォン(2700円)。
10泊分の280000ウォンをたまにしかいないらしい宿のスタッフに払う。
3年前に11泊した一泊22000ウォンで長居できるソウルホステルセンターは改装中ということで残念。
でも明洞から徒歩圏内で、普通の家のようなSeoul Myeongdong Stayも静かで悪くない。



懐かしのソウル街歩き。
まずは宿近くの繁華街、明洞から。
東京、香港、シンガポールに比べると大陸的な広さと霞みがかった大気があり、
エキゾチックなアジアの大都会の一つと思ってたソウルだけれども、
南国的でより日本離れした沖縄から来たばかりだと、
まるで東京に戻ってきたような既視感が芽生えるから不思議だ。
街にあふれる文字はハングルなのに、見慣れた東京の界隈をぶらついているようだ。



ソウルを訪れる観光客なら間違いなく訪れる明洞を物色していて3年前と明らかな違いに気づく。
日本人街と思われるほど日本人観光客で溢れ、日本語を話す客引きばかりだった明洞で日本人が少ない。
女性グループの日本人などいることはいるものの、それ以上に中華系、マレーシア人が圧倒的に多い。
客引きやレストランの表記もあれだけ多かった日本語から中国語に成り代わっている。
店の客引きや屋台からの誘いも中国語。
世界中で増える中国人観光客の歯止めがかからないのは仕方がないにしても、
日本人以上にマレーシア人が多いのは奇妙な感じがする。
明洞の歩行者天国の屋台で普通の韓国人が食べないような串焼きを食べたり、
明洞駅の入り口で地ベタリアンしていたり、
自分と同じ宿に多く止まっているのもスカーフを頭に巻いたマレーシア人。
ムスリムのために豚肉を使わない「Halal」と看板を出している食堂まである。
日本で過ぎ去ったと言われている韓流ブームが東南アジアで沸いているのかもしれない。





静かで家庭的と思っていたら、若いマレーシア人の集団が合宿所のようにリビングにたむろしており、夜な夜なやかましかったSeoul Myeongdong Stayで一夜明け、午前中から歩き回る。
あの熱帯的な暑さの那覇から来てもそれほど寒さを感じない10月末のソウル。
むろん、それは最初の数日間だけで後半からいきなり温度が下がり、
常時10度以下の中歩き回ることになる。
すでに軽く氷点下を下回っているロシアで今後過ごす自信がなくなってくる。

明洞から東大門へは問屋街を抜けていくのが面白く、
薄暗い路地を進んでいくと昔から好きだったカンジャン市場にたどり着く。
メインの屋台街は観光客が増えたせいでメニューの値段が高いけれども、
ローカルな雰囲気が十分に残っていて探索していて飽きない。



午前中から賑わっているカンジャン市場の屋台街。
明洞同様ここも中華系の観光客が急増し、ツアーバスでまで乱入している様子。
市場のおばちゃんの中国語での呼び込みに興ざめである。
それでも韓国人が集まっている屋台も多く、地元の人が多ければ多いほど美味しそうに見えてくる。
今年の1月にいたモロッコのマラケシュにあるジャマエルフナ広場の屋台街を彷彿させる光景である。




カンジャン市場での食事は夜に回して東大門へ。
曜日によるものか、時間帯のせいか、人通りが少ない東大門。
東大門の写真を撮っているのは数人の中華系観光客だけ。


門のすぐ近くの食堂街に骨付き豚肉とイモを煮込んだカムジャタン専門の店があり、
今回も入る。
6000ウォン(550円)のカムジャタンは熱くて美味い。



カムジャタンを食べられる食堂街の東側にひたすら靴を扱う問屋街が広がっているのだが、
過去2度の訪問時と大きな違いを感じる。
靴を物色していた中央アジアからの人々がいない。
3年前に靴屋の問屋街を歩いたときは往来するウズベキスタン人のちょっと濃い顔つきにこれから向かうシルクロードの旅に思いを寄せたものだ。
実際に中央アジア諸国を周遊して再びソウルにやってきて彼らをお目にかかれないのは残念。


ひょっとしたらただの思い違いかもしれないので、東大門のファッションデパートが集まる地域の裏手にある中央アジア街を訪れてみる。


かつて訪れた時は旧ソビエト諸国からの買い付けの人々が大勢戯れている、
ソウルにあって韓国でない不思議な界隈だった。
が、実際に足を踏み入れてみると、確かにキリル文字は見かけるがウズベキスタンやキルギス、モンゴルからのおじさんやおばさんはほとんど見かけない。
かすかに揺れる中央アジア諸国の国旗に気がつかなければここが中央アジア人街と知る由もない。


じっくりと見て歩けば、韓国人と働く彫りの深い男性もいるし、
ウズベク料理屋も営業しているのでタイミングが悪いのかもしれない。
ソウル滞在中にもう一度来てみたいものだ。


陽光が隠れると寒くなるソウル。
東大門近くの城壁を登って東京より高層マンションが多いソウルの街並みを眺めたりする。
遠方には韓国で一番高いロッテ・ワールドタワーが見える。
完成が近い555メートルの長高層ビルはドバイ、上海、メッカ、深圳、天津にあるビルに次いで6番目に高いとか。



城壁を登りつめてから映画の舞台となった坂だらけの住宅街を下っていく。
観光客以上に韓国人高校生に人気があるスポットのようだ。



韓国の醍醐味はやはり食。
暗くなってから再びカンジャン市場へ。
電灯に照らされる屋台街はまさにマラケシュのジャマエルフナ広場みたいだ。




観光客プライスで高いだけでなく、回転率のためか急かさせれるのに耐えつつ、
グロテスクで三度食べてもなれないスンデと香りいいマッコリを飲みながらソウルの夜に酔いしれた。



2013年は仁川から中国の大連にフェリーで渡るまで12日間楽しみ、
今回はロシアのウラジオストクに飛び、シベリア鉄道の旅を始めるまでソウルで栄養をつけたい。









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