2017年9月23日土曜日

ラオスのビエンチャンでタイの就労ビザ(ノンイミグラントB)を申請する(2017年9月13日)

かれこれ4年近く働かずに世界周遊していると貯金も少なくなってくる。
日本に帰国してリゾート住み込みなんかで旅資金を稼ぐのも面白そうだが、
せっかくバンコクのオンヌットで2ヶ月契約のアパートを借りたので現地で仕事探してみた。
試しにバンコクの人材派遣会社二つに履歴書、職務経歴書を添付して登録してみると、
すぐに面談の話がメールで届き、実際に人材派遣会社に足を運んで日本人コーディネーターと話し、
いくつかの仕事を紹介してもらい、職種にこだわらず可能な限り多くの案件に応募してみた。
1社からは応募してすぐに面接の段取りとなり、実家から送ってもらったスーツを着て面接を受けた数日後には人材派遣会社から電話があり内定となった。
オンヌットのアパート生活を始めて3週目の終わりでもらった内定。
就職氷河期世代のアラフォーが2013年9月で仕事を辞め、
3年10カ月間世界中を旅して回っていたのに、まさかバンコクでバブルの恩恵を受けられるとは思っていなかった。

立地はバンナーとバンコク中心地から少し離れているものの、朝晩のラッシュアワーは避けれそうだし、
仕事内容、会社の雰囲気、給料も悪くなさそうだったのでこの一社に決める。
そもそも数年後に世界周遊を再開するための資金稼ぎ、ワーホリ気分で生活するバンコク滞在と考えていたのでそれほど迷いはない。
早速、仕事をするために必須であるタイの就労ビザ(ノンイミグラントB)を申請するのに必要な書類を会社側に揃えてもらい、できるだけ出費を抑えてビザ申請旅行するのにふさわしいラオスのビエンチャンに向かってみる。
1年ぶりの日本に帰国して申請するには航空券代や滞在費が高く、手続きが面倒そうだし、
必要書類が少なく比較的簡単にノンイミグラントBが取得できるというシンガポールはラオスより交通費や宿代が高い。
なお、ビエンチャンのタイ大使館で就労ビザを申請するのに必要な書類は会社とホームページ(http://vientiane.thaiembassy.org/en/consular/visa.php)(なぜか英語を選んでも詳細はタイ語オンリー)からの情報で下記の通り。

※本人が準備するもの
・VISA Application Form
 (ホームページから印刷できるが、大使館で直接もらったほうがいい)
・顔写真2枚
 (3.5cm×4.5cm 白地に襟付きシャツ着用で。大使館前の撮影所でポロシャツを貸してもらえる)
・英文の卒業証明書
 (両親に大学から取り寄せてもらい、スーツと一緒に郵送してもらった。会社にも持っていくように言われたが不要だった。)

※会社が用意してくれた書類
・Invitation letter with copy of passport of authorized signature 
・Employment contract 
・Certificate of incorporation 
・Shareholder list 
・Company memorandum  or Company's association 
・Corporate Income Tax (latest) 
・VAT (latest) 
・Current foreign list 
 (これらのうち、ビエンチャンの大使館窓口での申請時にVAT、Current foreign listは不要だったらしく返却された)


※ノンイミグラント・ビザBの申請料:2000バーツ

※ビザの申請時間 平日の8時30分〜11時30分
   ビザの受領時間 翌営業日の13時30分〜16時

※ビエンチャンのタイ大使館の領事部の場所
 (タイ大使館でなく、別場所のタイ大使館領事部なので注意が必要)



バンコクからビエンチャンへは1000バーツ近い直通国際バスでなく、
モーチットの北東バスターミナルからラオスとの国境の町ノンカイのバスターミナルまで432バーツのバス、
ノンカイからビエンチャンのタラートサオ・バスステーションまでの55バーツの国際バスに乗り換えてできるだけ安く向かう。
モーチットの北東バスターミナルからのバスチケットはあらかじめネット購入しておいた。
メールで届いたEチケットに記載の番号カウンターに行くもたらい回しにされ、
苦労して乗車チケットを発券してもらった。
バスターミナルには無数のチケットカウンターとプラットホームがあるのに電子案内板などなく、
乗車チケットを販売カウンターで発券してもらわないと乗り場がわからない。
日曜の夜8時半発のノンカイ行きだからかプラットホームは混んでいた。


食事休憩などなく、綺麗とは言い難いが悪くないバスに10時間乗り続け、
早朝6時半にノンカイのバスターミナル到着。
早い方がビエンチャンの宿チェックイン前にタラートサオから直接タイ大使館に迎えるので都合がいい。
出勤する人が利用しているのか、チケットカウンターが開く前から長列に並び、
午前7時半のノンカイ発ビエンチャン行きのバスチケットを購入した。
55バーツの料金に合わせて5バーツの税金のようなものが取られた。
距離は短いものの、しっかりした綺麗なバスで席番号も指定されている。


タイのイミグレで降りて出国。
マレーシアのペナンで240リンギ(6200円)も代行業者に払って取得した60日間有効のタイ観光ビザもここで終了。
再びタイに戻る際は無事就労ビザが取得できているだろうか。

全員が出国審査を終えてから国際バスに戻り、タイ・ラオス友好橋を超える。
橋の下を流れる雄大なメコン川にテンションが上がる。
ラオスは住み渡りを始めて半年も経っていない頃訪れた。
あれからすでに3年半経過している。
ラオスの入国審査前でバスを降り、車内で記入した出入国カードを持ってイミグレに並ぶ。
荷物チェックも何もなく人生5度目のラオスに入国。
ラオスを2週間かけて縦断していたこれまでの4回と異なり、今回の目的はタイの就労ビザを取ること。
でも、束の間の旅も楽しみたい。

ラオスの入国スタンプをもらい、再び国際バスに乗る際にトゥクトゥクのおじさんがわんさかやってきてバスはこれ以上進まないなどと言ってくる。
でもノンカイからの乗客も乗っているので自分も乗り込む。
危うくトゥクトゥクのおじさんたちに騙されて国境から他の交通手段を探すところだった。
1時間も経たずにビエンチャンのタラートサオ・バスステーションに到着。
かつて赤土で覆われた町を懐かしむことなく、バスを降りて早々群がってくるトゥクトゥクのドライバーを交わし、
バスステーションを出たところでタイ大使館の領事部行きのトゥクトゥクを交渉する。
歩けない距離でないが、すでに9時なので多少金を払ってでも急いで行きたい。
小金をケチって明日の申請になったらたまったものでない。
ちなみにあまり交渉しなかったので100バーツも払ってしまった。


すでに人が多いタイ大使館の領事部入り口。
入り口隣のコピー屋でパスポートとつい先ほどのラオス入国スタンプのページをコピーしてもらい、
5バーツ払う。
襟付きシャツを借りて証明写真を撮っている西欧人も多く、事前に準備せずにやってもらうのも良さそう。
申請書は会社でプリントアウトしてもらったものにこれからビエンチャンで泊まる予定のホテルの住所も記載しておいたのですぐに列に並ぶ。
月曜日だからか200人以上いるかもしれない。
ペナンと違い、観光ビザもノンイミグラントビザも同列のようだ。


弱い扇風機が回っているのもの吹き抜けの空間で待っていると汗がにじむ。

9時半くらいからひたすら列がゆっくりと進むのを待ち、
11時過ぎにようやく自分の番が回ってきた。
受付のような係員にパスポート、写真、申請書と会社からもらった膨大な書類を手渡し、整理券を受け取る。
416番ということなので今日だけで400人以上申請しているのだろう。


なお、観光ビザ申請の場合はパスポートと申請書を渡し、整理券をもらってここで手続き終了。
翌営業日の13時30分〜16時の間に出向き、観光ビザ代の1000バーツを払うようだ。
就労ビザ申請の場合は書類チェックがあるようで、窓口前のベンチで待つように言われる。
渡された整理券の番号が電子掲示板に表示されたら窓口に向かう。
いきなり申請書を書き直せと一蹴される。
ホームページからプリントアウトしたものは若干違うのか、
手渡しされた一部カラーの申請書に改めて書き直す。
すでに11時半近いので多少焦りも感じる中、申請書を記入して窓口に向かうと書類チェック。
英文の卒業証明書や会社からもらったVAT、Current foreign listは不要のようで返却された。
また書類の一部は原本でなくコピーが必要なようで大使館内部のコピーに案内される。
4枚の書類のコピーで40バーツも取られてぼったくり感が漂う。
とりあえず、これで書類とパスポートは受け取ってもらえたので翌日の受け取りを待つのみとなる。


翌日13時過ぎに大使館に入ると、すでに多くの人が待っている。
13時半から窓口上の電光掲示板に整理券番号が表示されるのだが、自分は416番。
数字通り400人以上がビザ料金を窓口で払ってパスポートを受け取るのを待つことになる。


でも、かなりスムーズに数字が増えていき、
午後2時45分の時点ですでに300番台。
ベンチで待っていた人もかなり少なくなった。


ようやく自分の番がやってきてドキドキしながら窓口におもむきビザ代2000バーツを払うと、
あっさりノンイミグラントビザBのシールが貼られたパスポートを渡された。
これで晴れてバンコク長期滞在が叶いそうだ。












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2017年9月2日土曜日

オンヌットでアパート探し、バンコク生活開始(2017年8月13日)

3年10ヶ月に及んだ「世界遊牧住み渡り」と勝手に名づけた世界周遊。
マレーシアのペナンから一気にバスでバンコクに移動し、
バンコクでアパートを見つけて生活を始めることで世界周遊の旅が中断する。
日本に完全帰国するわけでないので住み渡りそのものはまだ続くけれども、
アパートに暮らしつつ仕事探しに挑戦し、これまで旅で何度も訪れるたびに2〜4週間長居し、
昔から住んでみたいと思っていたバンコクでしばらくバックパックを置いて生活しようと思う。


1ヶ月半に及ぶインド旅行を終え、マレーシアのペナンにて60日間有効なタイ観光ビザを取得してバンコクへ移動する。
せっかく60日間タイにいられるので南部の島巡りしながらゆっくり北上したいところだけれども、
今回は旅を一時的に、あるいは2、3年中断してバンコクで生活することを念頭に置いているので誘惑を抑えてバンコクへ直行。
観光ビザ有効期間内でアパートを見つけ、あわよくばバンコクで仕事を見つけて旅資金を稼ぎたい。
4年近くも世界をぷらぷら旅してきたアラフォーにとってタイでの職探しは難しいそうだが、
60日間滞在して仕事が見つからなければ一時帰国して沖縄リゾートの住み込みなんかで旅資金を貯めようと気軽に構えて挑んでみる。
とにかくリミットは60日間。
タイ南部の島で遊んでいる暇はない。
ペナンからバンコクへの移動は途中ハジャイにてマレーシアで乗ったミニバンからタイの大型二階建てバスに乗り換えがあり16時間。
125リンギット(3200円)とLCCより少し安いくらいだが、
4年近い世界周遊の余韻に浸りながらの陸路国境越え、長距離移動は悪くない。

インド出発前夜のカオサンから2ヶ月ぶりのバンコクにて5月にも滞在したプロンポンのソイ33にあるサクラ・スカイ・カプセルホテルに5泊する。


1泊400バーツ(1300円)もするけれども、完全防音、エアコン調節自由のカプセルのプライベート空間はエアコンなしの安いシングルよりコスパが高い。
夏休みで観光客が多くお祭り気分のカオサンに泊まってしまうと、
仕事探しのモチベーションどころか、アパート探しもだらけてしまいそう。


早速バンコクに戻って二日目からビザの有効期間60日いっぱい居座れそうなアパートを探す。
場所は5月のバンコク長居時に目をつけておいたオンヌット駅周辺。
バンコクで現地採用として働いている日本人や目的なく長居している不良外国人に人気があるようで、近くにテスコやビッグシーの大きなスーパーがあり、
物価も安めで外国人がすぐに借りられる安くて綺麗でセキュリティーもしっかりしているコンドミニアムやアパートが増えているらしい。
またバンコクのベッドタウンとして急激に開発が進み、人口密度も大きなオンヌット。


バンコクでアパートを探すにあたって日本のように賃貸アパート紹介や不動産に出向く必要がなく、そもそも日本語や英語が通じる不動産で扱っているのはアパートやコンドミニアムは駐在員向けの高い物件ばかりなので、自分自身でウェブサイトで探したりする。
RentHubというサイトは安めのアパートも記載されており使い勝手がいい。
また、ネットで目星をつけたアパートを見に行くと、
周辺に似たようなアパートやコンドがいくつかあり、わざわざウェブサイトに頼らなくても自ら飛び込みで賃貸アパートを探せることがわかる。
東京で新生活を始めるたびに賃貸アパート紹介を訪れ、一軒一軒内見させてもらうような手間もなく簡単。
「Room for Rent」の文字を見つければアパートに向かってみて、
たいていアパート1階に管理室があるので英語をしゃべれるタイ人、しゃべれなくても筆談できるスタッフに部屋を見せてもらってよければその場ですぐに借りられるという驚きのシステム。
東京の賃貸アパートのように大家さんから保証人や在職状況を求められたり、
面倒な審査もなく、世界を4年間放浪していた職なし、定住所なしの外国人でも身分証明のパスポートだけでレンタルできる。
さらに支払い金額もシンプルで家賃1、2ヶ月分のディポジット(敷金)のみ。
不動産への仲介手数料、大家さんへの礼金、火災保険やら細々とした書類手続きもなし。
まるでゲストハウスにチェックインするような感覚でアパートを借りられるバンコクに口元が緩んでしまう。


ネットでも調べつつ個人的に惹かれたのがオンヌット駅を降りてすぐのスクンビット・ソイ81に並ぶ7〜8階建てのアパートやマンション。
どれも小綺麗で、スタジオタイプの部屋なら10000バーツ以下も多い。
飛び込みでアパートの管理室を訪れ、オンヌットだからかたいてい英語を話せるスタッフに部屋を見せてもらう。
家賃8000バーツのKVマンションなど新しくて設備もしっかりしているアパートに惹かれる。
新しくない地元の人向けのマンションなら6000バーツ、ソイの奥では4000バーツ以下もあった。



が、ちょっとした問題があり。
安いマンションのほとんどが半年以上の契約とのこと。
外国人向けのアパートなら短期滞在可能だけれども、
長期で8000バーツの家賃が半年未満なら14000バーツなどと値上がりするところがほとんど。
ソイ81以外の場所でも10軒以上内見させてもらったが、短期で安く借りられるところはなかった。
バンコクで仕事を見つけられるかどうかも定かでないので、いきなり6ヶ月契約はリスクが大きい。

結局、スクンビット・ソイ81のKVマンションの隣にある黄色いYour Space Apartmentに決めた。


ここも半年以上の契約で月々8500バーツ(3万円)。
2ヶ月契約の場合は月12000バーツ(4万円)。
12000バーツならサクラ・スカイ・カプセルホテル30泊分と変わらないし、
短期契約だと冷蔵庫、テレビ、電子レンジ、ベッドシーツなど全て揃っている。
もしバンコクで働くことになれば期間延長で家賃を8500バーツにして貰えばいいし、
その際に新たに家具を揃えればいい。
スタジオタイプで26平米の部屋。
東京で4畳半の木造アパートに暮らし、小さい台所、狭いバスルーム付きで家賃6万円も払っていたので、家賃12000バーツのスタジオの部屋は素晴らしすぎる。



スタジオと言っても簡易的な流し台、ベランダ、バスルームは扉で仕切られており、
ワンベッドルームのような感じ。


インターネットは別料金であり、月々500バーツを払ってWiFiを利用する。
Your Space Apartmentの契約時に支払うのは家賃1ヶ月分、ディポジット1ヶ月分の合わせて24000バーツ、
それにテレビセットのディポジット100バーツ、鍵のディポジット200バーツ、合計で24300バーツ(8万円)だけだった。
新宿で6万円のアパートを賃貸する際には敷金1ヶ月分、礼金2ヶ月分、仲介手数料家賃1ヶ月分で最低でも30万円払わなければならないのと雲泥の差。
カプセルホテル滞在中の内見時に予約ディポジットとして5000バーツを払い、
数日後に住み始める時に残りの19300バーツを払って手続き終了。
冷蔵後、ベッドつきなのでその日から普通に生活できるのが嬉しい。
ソイ81にある黄色いアパートが今後のバンコクの起点になりそうだ。









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2017年8月26日土曜日

ペナンで取得が難しくなったタイ観光ビザ(2017年7月31日)

2015年にペナンのタイ領事館であまりにも簡単に取得できた60日間有効の観光ビザ。
今回8月、9月とバンコクでアパートを借りて長居しようと思っているので、
前回同様軽い足取りでタイのビザを申請しに行く。
が、楽勝で取得できると甘く見ていた観光ビザ取得条件が変わっていて、
タイ出国航空券のコピーが必須となり、踏んだり蹴ったりだった。

※航空券必要なしに取得できた2年前の情報

ペナンでタイビザ取得(2015年3月19日)


2014年、2015年と定宿になっているジョージタウン旧市街の75トラベラーズロッジに泊まる。
2年ぶりの再訪なのにレセプションのおじさんが顔を覚えていてくれて気が和む。
バスルーム付きの綺麗な部屋が50リンギに値上がりしていたが、
ペナンに来るたびに宿泊してもいいと思える75トラベラーズロッジ。



日程に余裕を持って月曜夕方にペナン入りし、
翌日火曜日の午前中にジョージタウンから市バス101番でGurney Plazaに行き、
巨大なショッピングモール近くのバス停から徒歩15分のタイ領事館に行くと工事中。
領事館から歩いてすぐ近くに領事館のオフィスが一時的に移転されていた。
しかも到着した7月25日火曜は休館。
さらに7月28日金曜もタイの祝日らしくクローズ。
いきなり出鼻をくじかれる。
近場のショッピングモール、Gurney Paragonを意味もなくぶらついたり、
ミャンマー寺院を見て歩いて引き返す。



水曜日に申請して木曜日に受け取る以外にチャンスはないので翌日改めて早めに向かう。
前日と違い、領事館の前には車やタクシーがたくさん止まっており、
領事館オープンの午前9時を過ぎて間もないのにかなりの長列が出来ていた。
閑散していてすぐに申請できた2015年と異なる。
今週は水木の二日しか空いていないのと、夏休みシーズンだからか白人ばかり並んでいる。
列をかき分けるようにツーリストビザ窓口で申請書をもらいに行くと、
写真2枚と航空券のコピーと言われる。
写真2枚はすでに準備している。
が、航空券とは初耳。
前回航空券の提示を求められることはなかった。
とりあえず、申請書を記入して列に並ぶこと40分。
やっと自分の番が来てパスポートとコピー、写真2枚と申請書を提出すると、
再び航空券のコピーと言われる。
陸路でタイに入り、陸路でラオスに抜けると伝えると、
タイ出国の航空券がなければ、日本帰国の航空券の提示を求められた。
帰国がいつになるかわからないのでまだ購入していないと正直に答えても当然ダメで、
航空券のコピーがなければ60日の観光ビザは発行できない、
国境のチェックポイントで30日間滞在許可をもらえと頑なに断られた。

楽勝と思っていたペナンでのタイ観光ビザ取得手続きにまさかの展開。
確かにビザなしでの陸路入国で30日間滞在できるものの、
ビザランが厳しくなって陸路入国は一回のみ。
ペナン発バンコク行きの航空券を購入して空路で入ることも考えたが、
直前だと飛行機代はLCCでも6000円以上と夜行バス料金の2倍以上するし、
1ヶ月後にビザランするとなれば出費がかさむ。
どうしてもペナンで60日間の観光ビザが欲しい。

思いついたのが旧市街のチュリア通りに並ぶ旅行会社。
150リンギのビザ申請料に手数料40リンギを上乗せされて190リンギ(5000円)で代行してくれると聞いたことがある。
旅行会社なら航空券がなくても大丈夫かと思いジョージタウンに引き返した。

何軒かの旅行会社を回ったところ、結果的にどこでもタイ出国の航空券のコピーがないとダメとのこと。
自分のように航空券を持っていない人を対象にしてか、
ダミー航空券を手配してくれるようで通常の手数料40リンギと別途50〜100リンギを求められた。
旅行会社によってはさらにタイ宿泊先の正確な住所がなければさらに手数料を取るところもあった。
迷ったけれど、手数料が一番安いところで妥協する。
ビザ申請料150リンギ、代行手数料40リンギ、ダミー航空券手配代50リンギ、
合計240リンギ(6200円)も払う。
2015年は自分の足でタイ領事館に行き、申請料が今より安い110リンギ払えば簡単に取得できたのに雲泥の差。
今後二度とペナンでタイの観光ビザを申請しに来ることはないだろう。

なお、ビザなしでタイ入国後にバンコクの入国管理館で1900バーツ(6200円)払えば滞在期間を30日間延長できたので金銭的にあまり変わらない。
同じく楽勝で観光ビザが取得できたラオスのサワンナケートが現在どうなっているのか気になるところ。
いずれにせよ、ますますタイの長居が難しくなってきているようだ。


翌月曜日になんとか60日間有効の観光ビザを取得できたが、
自分が以前に宿泊したゲストハウスの住所を正確に記載するも、
予約確認を証明できる書類がないという理由で窓口ではねのけられ、
業者が手数料をさらに払って受領されたらしい。
旅行会社への追加手数料は50リンギ。
交渉しても安くならず泣く泣く払うしかなかった。
自分のようにタイ出国の航空券を持たない気ままな旅人は実質上、
ペナンで60日間の観光ビザは取得できないということだろう。









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2017年8月19日土曜日

ブータンから12年ぶりのカルカッタへ(2017年7月15日)

ブータンのプンツォリンから直通バスでコルカタへ。
1ヶ月半の北インド周遊の最終地コルカタ。
2002年に人生初インドの地として足を踏み入れたときは
最強に汚くて醜かった魔都カルカッタの変貌ぶりに驚き、
変わらぬ部分に懐かしさと安堵を抱く。


すでに5往復したインド、ブータンの国境ゲートだけれども、
バックパックを背負って明らかに旅行者とわかる格好でインドのジャイゴンからブータンのプンツォリンへ向かう際は緊張感がある。
もし国境で追い返されたら町外れのジャイゴンのバススタンドから再びシリグリに戻り、
シリグリから夜行バスでコルカタへ移動しなければならない。
小雨が舞うジャイゴンから軽い焦燥感にも駆られながら国境ゲートへ。
インド側の警備員と目を合わせないように歩行者用チェックポイントに入る。
チェックポイントにいるブータン人の女性警備員は背中を向けて誰かと話している様子。
気づかれないように、バックパックを背負ってても躊躇せず平然とした態度で素通り。
あっけなくチェックポイントを通過して、ブータン側に抜けていた。
ジャイゴンのやかましいクラクションやゴミが散らばる汚さ、人混みと皆無のプンツォリンにホッと一息。
正午前にはバスステーションの窓口で午後3時発のコルカタ行き直通バスチケットを650ルピーで購入できた。

バスステーションの食堂で昼飯を食べ、のんびりとバス出発を待つ。
インドとブータンで30分の時差があるものの、
ジャイゴン自体ブータン同様30分の時差があったようでiPhoneの時刻はインド+30分に切り替わっていた。
1列ごとに二席、三席で窮屈なインドの普通のバスと異なり、通路を挟んで二席、二席のリクラニングシート。
わざわざブータンに密入国してからコルカタ行きのバスに乗る価値が十分にある。


3分の1くらいしか席が埋まっていないバスは定刻3時に出発。
プンツォリンを少し走って拍子抜けするほど簡単に国境ゲートを抜ける。
両国のイミグレに立ち寄らないし、パスポートチェックなども一切ないので、
正式な方法でブータン入国を果たし、パスポートにブータン出国スタンプ、インド入国スタンプが必要な人が利用できないという皮肉なバスだ。


カオスのジャイゴンを一気に抜けると茶畑が広がる。


直通バスと思っていたら途中で人を拾ったりしていく。
シッキム、ネパール、ブータンのジャンクションとなるのがシリグリ。
なぜか途中で大通りから外れてシリグリに寄らないで南下していく。
日が暮れてからも夕食タイムやトイレ休憩もなくひたすら走る。
1ヶ月半に及んだカシミール、ラダック、シッキムの旅行を振り返りつつ、
高速道路でもガタガタと揺れるバスの席から車窓を眺める。
夕食を諦めて眠りにつくしかない。

24時前にやっと夕食タイム。
人数チェックせず、乗り遅れた人がいても構わず走り去るバスなので、
他の乗客の近くで豆カレーとチャパティを急いで食べる。
窓口で20時間かかると言われたけれど、実際にはずっと短く、早朝に到着しそうな勢い。
どちらかというと、すぐに宿にチェックインできる遅い午前の時間帯に着く方がいい。


断続的な眠りを繰り返し、
ロンドンからインドネシアのバリまでユーラシア大陸を横断していた2005年、
シリグリから夜行バスで向かって以来12年ぶりのカルカッタに午前8時過ぎに到着した。
安宿街で悪名高いサダルストリートに近いエスプラナードのバススタンドで、
ここからブータン行きのバスが出発していることも分かった。


ブータン行きバス乗り場すぐ隣からエアポートバスも運行されているようだ。
そうそう。
名前が変わってからのコルカタと呼ぶより、昔ながらのカルカッタの方がしっくりくる。
12年経ってもあまり変化したように見えない第一印象のカルカッタ。
チョーロンギー通りをカラフルなインド製のバスや黄色いタクシーが走っている。
ごちゃごちゃした小汚い都会に懐かしさが湧く。


もちろん変化も顕著にある。
建設中の高層ビルが平坦なカルカッタのスカイラインを突き抜けている。



カルカッタでも一際汚かったサダルストリートは多少小綺麗になっていた。
異様な数の路上生活者が減っている。


ただサダルストリートにおいて昔ながら変わらないものの方が多い気がする。
すでに廃止されて消滅したと思っていた人力車が普通に行き来して驚く。
広いインドにおいてタイムスリップした錯覚を抱かせる人力車が走っているのはカルカッタくらいじゃないだろうか。


かつての記憶が次から次へと蘇っていく。
かつてミャンマー経由バンコク行きの航空券を手配してもらった旅行会社はまだある。


昔から旅行者が集まっていたブルースカイカフェはいまだ西欧人で人気があるようだ。


2002年、2005年のカルカッタ滞在時に二度ずつ宿泊したホテル・マリアも健在。
当時でネズミが部屋を走り回るほど汚かった安宿なので現在どうなっているのだろう。
大雨が降ると入り口付近はまだ浸水しそうな感じがする。


そんなホテル・マリアに代わって今回宿泊したのがゴールデンアップル・ブティックホテル。
数年前にオープンしたようで古くて汚いサダルストリートにおいて悪くないホテル。


一風変わったドミトリー、キューブと言われる曇りガラスで個室のように仕切られた空間が一泊600ルピー(1100円)とかなり高い。
エアコン、WiFiは完備されているけれども、パーテーションで天井筒抜けのため隣人の話し声やテレビの音でうるさく、コスパが悪い。


伝説的な安宿街サダルストリートで一泊1000円以上もするドミトリーに泊まるなんてカルカッタも相当物価高になったようだ。
バンコクのカオサンといい、有名になりすぎた安宿街は必然的に人が集まり、
宿代も高くなってきている。

クアラルンプール行きのフライトまで4泊するカルカッタ。
どこに行っても人が多すぎる都会をじっくりと探索する。
野菜やフルーツ、いろんなものを簡素な店で売っているニューマーケット周辺をぶらついているだけで面白い。



10年経っても基本的な部分は変わっていないニューマーケット。
たいして興味が湧かない衣服やが並び、買い物客を乗せた人力車が駆け回っている。



外観が修復されて綺麗になったコロニアル調の建物が目立つチョーロンギー通り。
バイク、車、バスの往来が激しい目抜通りだ。


路地に入ると以前と変わらない軽食屋や屋台、チャイ屋が営業している。
人口が多く、回転率が速いカルカッタだからか、料金は他のインドより安い。


5ルピーのチャイの器は素焼き。
プラスチックや紙コップの容器が増えている中で、飲み終わったら地面に叩きつけて割り、
自然に返す素焼きは資源節約にいい。


川沿いから渡し舟に乗ってハウラー駅側に移動してみる。
喧騒のカルカッタにおいて唯一静かでのんびりと流れるフーグリー川。
巨大なハウラー橋はカルカッタのイコンのようだ。


静寂を乱すようにフェリーが近づき、多くの人々が降り、同時に乗り込んでいく。


わずか5ルピーのフェリーにて涼しい風を浴びながらちょっとしたリバークルーズを満喫する。
巨大なフーグリー川から眺める街並みは新鮮。
さすがにクラクションの喧しさも届かない。


世界一通行客と交通量が多いと言われるハウラー橋手前で渡し舟は停泊する。


川沿いには人々の営みがあり、フーグリー川のガートで沐浴したり、
洗濯をしている人々で溢れている。


風呂代わりに体を洗っている男や歯磨きをする家族までいて見ていて飽きない。


怪物のごとく鎮座するハウラー橋を下から眺め、いよいよ横断してみる。


混雑したハウラー駅を出て左側を進んでいくと橋への道へと合流する。
基本的に駅や橋は撮影禁止なので注意しておく。
さすが世界一と言われるだけあって、車道は車やバス、リキシャーにトラックがひしめき、
歩行者用通路でも巨大な荷物を頭に載せた人々が行き交っている。


カオスと化した橋の上と裏腹に真下を流れるフーグリー川は時間の流れを感じさせることがない。


橋そのものはそう長くなく、すぐに渡りきってしまう。
かつて混雑ぶりに目眩がしたフラワーマーケット。
ごちゃごちゃしているが極端な人数はなく、降りてぶらついてみる。


ぬかるんで小汚い地面で花が売られている。


鮮やかな色彩に惹きつけられ、ネズミ色でモノトーンのカルカッタの街並みと大きなギャップを見せつけてくれる。


橋を渡った東側にもガートがある。
公衆浴場といった感じで体を洗う親子、洗濯する女性たち、
沐浴する老人とインドの縮図を目にできる。



カルカッタのような魔都は歩けば歩くほどいろんな発見がある。
人でごった返し、商人が行き来するバザールに入ると混沌の世界。
人への配慮皆無でぶつかってくる歩行者や商人に苛立ちつつも進んでいく。


イスラム教徒が多い界隈にも足を踏み入れる。
商店街に紛れてモスクがあり、牛肉のビルヤーニなんかを食べられるムスリム食堂も点在する。


カルカッタの路面には線路があり、かつてトラムが走っていたのを懐かしんでいると、
現役のトラムがゆっくりと近づいてきた。
もう廃線かと思っていたらいまだ現役で頑張っているようだ。


面白く刺激のある街だけど、あてもなく歩いているだけで一気に疲労が溜まるカルカッタ。
インド旅行最後の最後でへばらないようにサダルストリートの宿で休憩しつつ町歩きに精を出す。
南側にある大聖堂やビクトリア・メモリアルを訪れてのんびりするのもいい。



また、チベット料理が多かったラダック、食事のパターンが限られてくるヒマラヤ山岳に長くいると美味しいカレーが食べたくなる。
インド滞在も残り少しなのでグルメを満喫。
サダルストリートの近くには2002年から通っていた安くてうまい老舗店がある。


せっかくの低料金なので普段より多めに注文して食べまくる。
フィッシュカレーと大好きなオクラのカレー、ビンディ・マサーラ。
これにチーズ風味のロティと甘いラッシーを加える。


別の日にはボリュームのあるチキン・コルマに緑色のほうれん草のカレー。
日本のインドカレー料理店でお馴染みだけど本場であまり食べられないふわふわのナンも注文。


また、路上の屋台で食べるランチは激安でうまい。
フィッシュ・ターリを50ルピー(90円)でがっつく。


まもなく3年9ヶ月になる世界遊牧住み渡りもインド旅行を終え、
マレーシアに飛べば終わりが見えてくる。
長く滞在すればするほど疲労がたまり、ストレスも多くなるインドだけれども、
まだまだ旅を続けていたいと感じるカルカッタの日々だった。















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