灌漑用水により年々縮小し、干上がった湖底は塩や有害物質を含んだ土埃が舞う砂漠化が進んでいるという。
環境破壊により消えてしまう前にアラル海を見てみたい。
ブハラからヌクスを経由してアラル海の漁港として栄えていたムイナクへ向かう。
ブハラのSarrafon B&Bでヌクス行きのシェアタクシーを手配してもらう。
親切そうなドライバーと交渉してヌクスまで105000ソム(2800円)。
7〜8時間かかるそうなので割高なのは仕方がない。
砂漠を貫通するシェアタクシーからの車窓を見つつも、ブハラ2日間の飲み会の疲労もあって居眠り続き。
午前7時半にブハラを出発し、午後4時過ぎに退屈そうなヌクスの街に到着。
この日のうちにムイナクへ急ぐ必要もなくヌクスに1泊する。
場末の洋館のようなムイナクホテルにチェックイン。
ツインで40ドル、1人20ドルと言われたが現地通貨払いで52000ソム(1400円)と悪くない。
もちろんWi-Fiなどなく、バスルームには洗面器がなかったり、トイレが臭かったりと清潔なホテルから程遠い。
ホテルの外観と部屋の第一印象はいいけれども…。
翌日のムイナク行きに備えて部屋で休息し、夕食としてヌクスホテル目の前にあるロシア風カフェへ。
回線速度が遅いもののWi-Fiが繋がり、さらにそのカフェのWi-Fiがホテルの部屋でもかろうじて繋がってラッキーだった。
もちろん久しぶりに食べるロシア料理はラグマン、串肉続きのウズベキスタン旅行で気分転換になる。
翌朝早く起きて乗り合いバスでムイナクへ。
ヌクスホテルの無愛想な兄さんが今日はバスがないなど言ってたけれども、
とりあえずシェアタクシーが出ているかもしれないヌクスバザールに歩いて行く。
ヌクスバザールで地元の人たちに尋ねまくったところ、
マルシュルートカ5番でムイナク行きバス乗り場にたどり着けるという情報をゲット。
窮屈なマルシュルートカにバックパックを詰め込み、わずか数分でヌクス郊外の駐車場のようなところに到着。
降りて早々シェアタクシーのドライバーがわらわらと寄ってきて、
ムイナク、ムイナクという乗り合いバスを案内された。
すでに9時近く、ほぼ満員、トマトやパンの積荷で埋め尽くされたバスは定刻の9時に出発した。
途中人が乗ったり降りたりするスローバスなので、ムイナク到着は13時過ぎ。
舗装工事中の一本のメイン通りがあるだけの廃れた町ムイナク。
砂漠化が進んでいるだけあって暑い。
海はないものの7年前に訪れたモーリタニアのヌアディブに雰囲気が似ている。
西サハラとの国境のヌアディブっぽさがデジャブをもよおす。
通りすがりの人に聞いてもメイン通りの北を指すだけ。
さすがに歩き疲れてきたのでヒッチハイクのつもりで車を停めて乗せてもらう。
降りる際にお金を要求されたのでまささんと2000ソムずつ合計4000ソム(110円)渡す。
が、目の前のオイベクホテルは閉鎖しており、空き家と化している。
乗せてもらった車は消えており、通りすがりの人に別のホテルの場所を聞くもムイナクには他にホテルが存在しないとのこと。
さてどうしよう、と困っていると自動車を運転する若い兄ちゃんが自分の家に来いと言うので乗り込む。
ホームステイを利用できなければ今日中にヌクスに引き返さなければならない。
若い兄ちゃんは最初に荒廃した工場に立ち寄った。
まさにこれがヌクスで見たいと思っていた缶詰工場だった。
缶詰工場敷地の奥に小さな家があり、スキンヘッドのおっちゃんが現れる。
どうやらここでホームステイ料金の交渉らしい。
2人で200000ソム(5400円)という言い値を笑ってスルーし、
1人60000ソム(1600円)で妥協。
高いがヌクスに引き返すよりマシだろう。
一度缶詰工場敷地から出て、若い兄ちゃんの家に案内される。
絨毯が敷かれたゲストルームでの雑魚寝ホームステイ。
ウズベキ滞在中は宿ごとでもらえる滞在登録、レギストラーツェの紙切れがもらえないのがちょっと不安。
ムイナクの町には食堂やレストランはなさそうで、ホームステイで作ってもらった目玉焼きとパンだけ食べて暑い外へ。
炎天下、崩れ落ちた廃墟ばかりのムイナクをさまよう。
空き家のような建物にいまだ住んでいる人がいるのが不思議。
トイレの掘建て小屋は建物の外に点在している。
過疎化を通り越したゴーストタウン化に虚無感が漂う。
ムイナクに立ち寄る観光客が必ず訪れるという船の墓場へ。
かつてここがアラル海の漁港であり、湖を見渡せる高台だったと想像できるモニュメントがある。
現在も残っているアラル海からムイナクまで200キロあり、高台からも海は見えない。
高台の下には荒れ果てた大地が広上がっており、錆ついた漁船が陳列されている。
高台を降りて干し上がって湖底を歩く。
かつてアラル海があったことが想像できないほど砂漠化が進んでいる。
刺がある乾燥植物が唯一砂漠を彩っているようだ。
風紋が皮肉なくらい綺麗である。
以前はあちらこちらに点在していた廃船が一ヶ所に集められており、見て廻れる。
ちょっとしたアトラクションに感じられないこともない。
小さな漁船に上り下りしたり、内部をのぞいたりする。
犬や牛の糞が散乱し、ハエの羽音が耳障りな公衆便所のような廃船だった。
船の墓場を去り、缶詰工場へ。
缶詰工場はガイドブックに載っていないが、
ビシュケクの南旅館に長居されている方に薦められて初めて知った。
運良くホームステイ料金交渉時に場所が分かり、船の墓場から近いのでゆっくり歩いていく。
廃墟なのにゲートは閉ざされることなく開いている。
唯一ここが缶詰工場だったとうたっている絵。
早速敷地を探索する。
当たり前だが人気はなく、窓ガラスが割れた建物やコンクリートが崩れ落ちた廃墟が佇んでいる。
まさにアラル海の負の遺産といった感じがする。
廃墟フェチでなくても圧倒される光景。
真ん中にある建物に入ると朽ち果てた階段があり、二階、三階と続いている。
二階は真っ暗で陥没したエレベーターがあったりする。
サンダル姿で奥に進むのはしんどいので靴に履き替えて夕暮れ時に戻ってみよう。
西日が傾いてきた頃にホームステイで休んでいたまささんと再び缶詰工場探索。
ガラスのない窓枠から差し込む陽光が虚無感をかきたてる。
工場で働いている人にしか分からない重機も放置されていた。
今となってはもう使い道がなさそう。
靴に履き替え、暗闇でも撮影できるようにゴリラポッドを持ってきたので先の暗黒の廃墟へ。
スマホの懐中電灯を使わないと足場が見えないし、
ちょっとの露光撮影では何が映っているかよく分からない。
10秒以上シャッターをオープンにしてようやk機材が散乱した内部が浮かび上がってきた。
西日が入り込む奥内はゴミ屋敷の様相。
かつては魚が捕れるアラル海の産業の中心地。
人々の生活をまかなっていた缶詰工場が人間自身の環境破壊によって廃墟に成り代わってしまう。
現在は牛たちのトイレとしてのみ使われている工場。
ついつい「夏草やつわものどもが夢のあと」と口に出したくなる。
缶詰工場はなんとも皮肉な負の遺産だった。
かつてのアラル海の漁港が役割を代えて再び反映することはあるのだろうか。
結局、ムイナクからアラル海の展望は叶わなかった。
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