アンマンからドバイへ飛ぶ前に一泊二日しか滞在できなくなってしまったヨルダン。
9年前にペトラやアカバを含めて旅行したヨルダンなので、今回は日帰りで死海だけ訪れてみる。
9日間滞在したイスラエルからヨルダンへ移動する。
エルサレムのダマスカス門近くのブルー・バスステーション隣にあるGolden Wall Hotelの脇の駐車場からアンマン行きのミニバスが出ていると通りすがりのおじさんに教えてもらった。
人がいっぱいになってから出発するシステムなので午前8時にPalmホステルをチェックアウト。
Golden Wall Hostelに向かって歩いているとすぐにアンマン行きの呼び込みに出会った。
荷物代を含めて一人47シェケル(1500円)。
ミニバスオフィスの前に黄色いミニバンが停まっている。
乗り込むとすでに多くの乗客が座っており、待ち時間5分ほどで出発。
人が集まるまで1時間くらい待たされると思っていたので幸先がいい。
エルサレムを抜けると気がつかないうちにパレスチナ自治区に入っていく。
イスラエル入国はチェックがあるのにパレスチナ自治区へ抜ける際はスルー。
朝起きてから日が暮れるまで歩き回っても好奇心が摩耗することがなかったイスラエル、パレスチナ自治区。
蓄積された疲労のせいかうたた寝をしていると、すぐに検問に到着してパスポートを見せる。
検問を通過してしばらく走ればイスラエル側の国境、キングフセイン橋(アレンビー橋)に到着。
なぜかバックパックをイミグレオフィス内に持ち込めないようで、
無愛想なイスラエル係員に注意される中バックパックをポーターへ預ける。
多くのヨルダン人がイミグレに並んでいるけれども、
外国人は別窓口らしくすぐに呼ばれ、出国税178シェケル(5500円)を払う。
2時間近くテルアビブ空港で軟禁され尋問された入国時に比べれば簡単だが、
178シェケルは高額すぎ。
近隣諸国のビザ代でもそこまで高くないだろう。
入国時にもらったツーリストカードにスタンプが押され、あっさりとイスラエル出国。
パスポートにイスラエル入出国の履歴はない。
パレスチナ自治区の首都ラマッラーでヨルダンビザを取得したことで履歴がばれるかどうかは不明だが。
イスラエル出国手続きが終わると、バス停で待っているバスに乗り込む。
荷物代2ディナールを含めて9ディナール(1500円)のバス代。
ヨルダンディナールを持っていないので残りのシェケルで払うと55シェケル(1700円)もとられた。
しかもこれだけ払ったのでアンマンまで行くバスと思っていたら、
イスラエル側の国境からヨルダン側へ移動するだけのバスだった。
ヨルダンのイミグレに到着した際にうっかり車体からバックパッックを取り忘れてしまい、
慌ててイミグレオフィス内に放置されたバックやスーツケースの中から探す羽目になってしまった。
ヨルダンへの入国は事前に無料ビザを取得しているので楽勝。
苦労しつつバックパックを荷物の山から探し出し、ATMからヨルダン・ディナールを引き出してからアンマン行きの交通手段を探す。
バックパックを探すのを手伝ってくれたツーリストポリスのおじさんにバスがないと言われ、タクシーでアンマンへ。
交渉するとタクシー1台10ディナール(1600円)。
イスラエルの出国税も含め、なんだかんだエルサレムからアンマンに移動するのに1万円もかかってしまった。
アンマンでは8年前に宿泊したマンスールホテル、別名コーダホテルに一泊する。
かつてはトルコ、シリアから南下する旅行者、エジプトから北上してくる旅行者で賑わっており、親切なスタッフのサメールさんのおかげで快適だった日本人宿だった。
現在はサメールさんがいなくなっており、トルコからシリア、ヨルダンと下って行くルートも閉ざされてしまったからか、20人以上日本人旅行者が集まっていた宿の面影もなく、
チェックイン時に日本人女性が一人滞在しているだけだった。
治安情勢に左右される日本人宿の運命は残酷でもある。
モルドバからウクライナ、イスラエルと同行している旅仲間、
コーダホテルで出会った旅行者と3人で死海に日帰りで訪れる。
行き方としてタクシーで直通するか、ミニバスを乗り継いで行くことになりそう。
念のためにコーダホテルのおじさんに聞いてみるとJETTバスステーヨンから死海行きのバスがあるというので乗り合いタクシーで向かってみる。
宿のあるダウンタウンからJETTバスステーションまで3人で1ディナール(160円)。
あくまで値段交渉なのでこれより高く取られる場合もあるし、頑張れば安くなるだろう。
が、JETTバスステーションに到着してみると、死海行きのバスは金曜日だけと言われる。
事前にネットで調べたところ、JETTバスステーションから2キロほど南にあるAl Muhajereenバスステーションからダイレクトでないが死海方面に向かうミニバスがあるそうなので再び乗合タクシーに乗り今度はMuhajereenへ。
JETTバスステーション周辺にたむろするぼったくりタクシーはスルーして乗り合いタクシーで先と同じ1ディナール。
Muhajereenバスステーション、というより道路沿いに停車しているミニバス乗り場で尋ねるとすぐにラマ行きのバスに案内される。
死海行き方面の道路との分岐点となるラマからタクシーでアクセスできるそうだ。
標高が高くて気温が10度以下のアンマンからじょじょに下がっていき、
ラマに着いた時はすでに暖かかった。
ラマの交差点でタクシーと値段交渉。
値段交渉が必要なかった旧ソビエト諸国、イスラエルから来ると若干エネルギーを使う。
3人で割るには半端な4ディナール(700円)で交渉がまとまった。
死海には入場料がかかるビーチリゾートと無料の公共ビーチがあるようで、
タクシードライバーにフリービーチと告げる。
それでも連れて行ってくれたのがビーチリゾート。
エントリーに20ディナール(3300円)かかるので即却下で文句を言うドライバーをなだめてフリービーチまで送ってもらう。
当然の要求である。
フリービーチは駐車場にちょっとした売店とラクダ乗りの客引きがいるだけでシャワー室などなし。
誰一人として泳いでいる人がいなく、公共ビーチなのかどうかさえ疑問になった。
崖の下に死海があるわけで、足場が悪くゴミが散乱する坂道を慎重に降りるという状況。
ゴミだらけの水辺に興ざめだけれども、波がなく広がる死海は神秘的。
当初は夕焼けを見るつもりだけだった死海。
コーダホテルで出会った旅行者に誘われるようにせっかくなので浮いてみようと思う。
標高マイナス400mの世界なので前日のイスラエルやダウンを脱げないアンマンと異なり、
日差しが強い暖かさ。
水温も冷たくない。
まず死海の水を舐めてみると思っていたほどの塩辛さはなく、
後味が悪いしょっぱさがあるだけだった。
空き缶が落ちていたりと足場が悪いので足を切らないように死海に近づく。
8年前に訪れた時は足にひび割れがあり、高濃度の塩分にやられて10秒と入っていられなかった。
入った瞬間はひんやりとしている死海。
小さな肌荒れに沁みないか心配だったが意外と大丈夫だった。
すでに10秒以上足を入れていても痛みが来ないので、早速浮いてみる。
ジャケットがないと泳げないカナヅチなのにすぐに浮いてしまい、笑いが止まらない。
まるで見えないハンモックに揺られている感じ。
横転しそうな気がしたけれども、体の力を抜いてゆっくりと足を伸ばしてみる。
旅仲間に借りた地図帳を開きながら浮遊できた。
それでもしだいに荒れた肌や股が痛んできたので、3分間の死海浮遊を満喫して上陸した。
死海から出るとすぐに水分が蒸発して肌が塩まみれになってしまった。
旅仲間二人が泥パックを楽しんだり、死海浮遊を楽しんでいるのを撮影したりし、日の入りを待った。
塩の結晶を持ちながら太陽にかざしたりする。
標高マイナス400mの太陽光だからか地上で見る輝きと明らかに違う。
やがてサンセットタイムが始まる。
ほんのわずかなさざなみしか立たない鏡張りの死海にゆっくりと太陽が沈んでいく。
標高の関係からか、色彩がより赤やピンクに近い。
太陽が低くなるにつれて空気がひんやりしてくる中、ただひたすら日の入りと夕焼けを眺めていた。
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