2017年1月4日水曜日

パレスチナ自治区のラマッラーでヨルダンビザ取得、アラファト議長の霊廟を訪れる(2016年12月16日)

パレスチナ自治区の事実上の首都ラマッラーにあるヨルダン大使館、正確にはヨルダン政府代表事務所にてヨルダンビザを無料で取得できるという。
空路でイスラエル入国し、陸路でヨルダンへ抜ける場合、
ヨルダンビザをあらかじめ取得しておいた方が楽なようだ。
空港でアライバルビザを取得できるヨルダンから陸路でイスラエルに入り、
ヨルダンに戻る場合はビザ不要。
またいくつかの陸路ルートでもヨルダン国境でアライバルビザが取得できるそうだが、
エルサレムからアンマンに移動する際に一般的に利用されるキングフセイン橋(アンレビー橋)ではアライバルビザ取得不可能。
パレスチナ自治区にある非公式な国境だからという理由らしい。
ヨルダン国境でアライバルビザを取ることを前提に他のルートで行くのも手だが、
時間がかかりそうだし、ビザ代がかかるので、
エルサレム6日滞在中にラマッラーを日帰りで訪れて無料ビザをゲットしに行く。


ユダヤ人が大多数で、エチオピアやエリトリアからの移民、フィリピン人のメイドが目立つ多国籍なテルアビブから一変、
アラブ人世界のエルサレム旧市街。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地のエルサレム旧市街なので、
他民族の人々が住んでいるかと思っていたら、
黒衣装のユダヤ人がセキュリティーチェック後に集まる嘆きの壁や世界中からのキリスト教徒、観光客が歩き回る教会群を除いて住民はアラブ人。
9年前に旅したシリアのダマスカスを彷彿させるアラブ世界だった。




アラブ人が暮らすエルサレム旧市街はこれまで旅したいろんな中東の国々と大きく異なり、
不調和に包まれている。
これが三大宗教の聖地だからか、モスクのミナレットの前で六芒星のイスラエルの国旗が揺れていたり、
キリストが処刑され、墓から復活されたとされる聖墳墓教会にモスクのスピーカーからのアザーンが流れてきたりする。



また、住民のアラブ人を監視するようなイスラエル武装警察は不気味であり、
エルサレムの旧市街が不健全にさえ思えてくる。
銃を持ったイスラエル兵が石畳の街をパトロールし、
教会の前を警備し、嘆きの壁へのセキュリティーチェックを行っている。
テレビでしか見たことがない戦争というものが現在進行形で残っている世界だと実感してしまう。




ユダヤ人が大多数暮らす新市街、ユダヤ教とイスラム教、キリスト教の聖地の旧市街を含めたエルサレムはとても数日間で理解できるものでなく、
理解できなくても肌で感じたいと思い6日間腰を下ろしてみる。


イスラエル、アラブ世界において金土が週末なので、木曜日のうちにヨルダンビザ申請に行く。
6日間宿泊しているのはかつて中東を旅する日本人旅行者なら誰でも知っていたイブラヒム・ピースハウスでなく、エルサレム旧市街のダマスカス門を出てすぐのPalm Hostel。
テルアビブから着いて早々トラムとバスを乗り継いでオリーブ山にあるイブラヒム・ピースハウスに直行したのだが、オリーブ山はダマスカス門から市バスに乗らないのとたどり着けない距離だし、道端で出会った少年に案内されたイブラヒムじいさんの家に誰もいなく、冬で寒いドミ部屋も人の気配がなく宿泊を断念。
中東の伝説的な宿も人気がなくなってしまったのだろうか。


なお、Palm Hostelは一泊60シェケル(1800円)の普通のドミだけど、
部屋に暖房があって暖かいし、ダマスカス門のブルー・バスステーション、グリーン・バスステーションに近く立地がいい。
超物価高のイスラエルで比較的安めのファーストフード店が近くにあるのもありがたい。
ケンタッキーでなくアラブ・フライド・チキン(AFC)のチキンライスとサラダで15シェケル(450円)とお手頃。


ヨルダン政府代表事務所があるラマッラーへはグリーン・バスステーションから218番のバスで行ける。
イスラエルとパレスチナ自治区を分離する壁を通過するからか、
7.6シェケル(230円)とちょっと高め。


グリーン・バスステーションから30分も走れば、
有刺鉄線付きで頑丈なコンクリートの壁が現れ、分離壁に沿ってバスは進んでいく。


途中国境というべきか、イスラエルとパレスチナ自治区の分離壁を通過するチェックポイントに差し掛かったが、
バスは停車することも、パスポートチェックもなくあっけなく素通り。
コンクリートの分離壁の分厚さと銃を持った兵士が多い物々しい雰囲気が嘘のようだ。



あまりにも簡単なパレスチナ自治区への入国に拍子抜け。
尚、一週間前に訪れた沿ドニエストル共和国同様、パレスチナ自治区も未承認国家。
同じ未承認国家のナゴルノ=カラバフ共和国などにしか認められていない沿ドニエストル共和国と異なり、
国連加盟国136カ国に独立国として承認されているようだけれども。


エルサレムからしてすでにシリアのようなアラブ世界なので
分離壁を超えてパレスチナ自治区に入ってもそう違和感なし。
商店の看板などはダマスカス門周辺と同じようにアラビア語。
ただ、エルサレムの道路標識や案内板に付随されていたヘブライ語表記が皆無となり、
車のナンバープレートのほとんどがパレスチナ独自のものとなる。
独立国として訪問国のカウント数を増やしたくなるようなパレスチナ自治区である。


パレスチナ自治区の事実上の首都のラマッラーに到着。
本来ならエルサレムを首都と主張したいのだろうが、
イスラエルもエルサレムを首都と主張しており永久的に解決が難しい問題となっている。
ヨルダン大使館でなくヨルダン政府代表事務所と呼ばれるのもそのためかもしれない。
ラマッラーのバスステーションからヨルダン政府代表事務所まで歩いて30分くらい。


初めて訪れるはずなのに既視感が湧くラマッラーの中心街を歩いていく。
見た目はシリアの街のようだ。
アラブ人が多く住むエルサレムから来ても、
イスラエル兵がいなく、ユダヤ人のシナゴーグがなく、ヘブライ語表記を見かけないラマッラーは調和がとれている。
少なくとも3大宗教の聖地であるエルサレムにない統一感が保たれている気がする。


住宅街に入ってから親切なパレスチナ人に道を尋ねがらヨルダン政府代表事務所に到着する。


入り口で申請書を受け取り、待合室で記入し、
持ってきた3×4の写真とパスポートを係員に手渡すだけで手続き終了。
日本人はビザ代無料なのが嬉しい。
10時半に申請して正午に受け取れるとのこと。
さすがにラマッラーの中心街に引き返すには遠いので、
近くのKFCで早めに昼食をとって時間を潰す。
WiFiもつながり格好のビザ待ち場所である。
フライトチキンのハンバーガーのセットで20シェケル(600円)とイスラエルの物価の半分以下で有難い。


コカコーラがパレスチナ自治区産だったり、ポテトのケチャップがエジプト産だったり、
イスラエルと物流が違うようだ。


正午前に先のヨルダン政府代表事務所に戻って無事ビザ取得。
二週間前に2日間のみ有効であるベラルーシのトランジットビザを3日かけて取得したので、
エルサレムからラマッラーに日帰りするという手間を考慮しても簡単すぎた。


無事ヨルダンビザ取得の一仕事を終え、すぐにイスラエルに引き返すのも味気ないのでラマッラー町歩き。
天候が良くないので高台から街並みを眺めても綺麗な街に見えない。


アラブ一色の世界と思っていたら教会もあった。
エジプトでよく見るコプト教のようだ。


中心街は中東の活気があり、屋台から男のアラビア語が響き渡る。


外国人をほとんど見かけない首都なので、通りすがりの人々が珍しそうにアジア人を見てくる。
陽気に声をかけてくる子供達や、ラマッラーへようこそと微笑んでくるおじさんがいて、
まさに先週の沿ドニエストル共和国の首都ティラスポルの町歩きの再現のようだ。
外国人がほとんどいない国ではやはり人々は限りなく親切。
外部の人々へのもてなしを重視するイスラム諸国ならなおさらだろう。
スカーフを巻いたパレスチナ美女と写真を撮ったり、
子供に頼まれて親子の写真を撮ってあげたり、
無料で温かくて甘いサファラ?と言っていたドリンクをもてなしてくれたおじさんと記念撮影をしたりした。




ラマッラーで唯一の観光名所であろうアラファト議長の霊廟と博物館を訪れる。
博物館はエルサレムへ戻るバスステーションのすぐ近く。
地図を見ていたら日本大使館らしきものを同行の旅仲間が発見し、
試しにパスポートページの増補できたらと立ち寄ってみる。
実際には日本大使館でなく、ここも日本国政府代表事務所。


が、残念ながらパレスチナ人の女性係員が出てきてパスポートページなどの増補業務は行っていないとのことだった。

政府関係の建物に隣接したアラファト議長の霊廟と博物館へ。
入り口でカメラやスマホ以外のリュックを預ける必要がある。
シンプルなガラス張りの霊廟があり、その中でアラファト議長が眠っているそうだ。


霊廟にはなぜかスロバキア政府からの花が捧げられていた。


小さい頃、家庭のテレビニュースで見ただけであまり詳しく知らないアラファト議長、
そして中東戦争、パレスチナ問題について触れるためにヤセル・アラファト博物館へ。
ちなみに後で知ったのだが、ヤセル・アラファト博物館は2016年11月10日にオープンしたそうで、まだ一ヶ月ちょっとしか経っておらずピカピカ。



入場料5シェケル(150円)を払い、自動ドアの先の屋内へ入る。
いきなりアラファト議長の生い立ちではなく、中東問題から展示が進んで分かりやすい。


PLO(パレスチナ解放機構)に関する展示が興味深い。


1988年にアラファト議長に読み上げられたパレスチナ独立宣言文書もある。
文書はパレスチナの詩人マフムード・ダルウィーシュに作られたそうだ。


ヤセル・アラファトがパレスチナの独立宣言を演説している映像。


アメリカ大統領ビル・クリントンを介してアラファト議長とイスラエルのラビン首相が握手し、
オスロ合意が協定される写真もある。


オスロ合意によりPLOが自治政府となり、喜ぶパレスチナ民主の写真。


アラファト議長が受賞したノーベル平和賞とメダル。


他にもレバノン侵攻や4度の中東戦争、2011年のニューヨークでのテロなど様々な展示があり、中東戦争、パレスチナ問題について深く考えさせられる。
もちろん、2時間近く博物館の展示を見ただけで理解できるはずないが。



最後にアラファト議長の机や軟禁時の生活場所の展示を見て博物館を出る。



改めてもう一度霊廟によってみると、少なからず感慨があった。









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