2017年1月8日日曜日

パレスチナ自治区のベツレヘム、ヘブロンを2日かけて訪れる(2016年12月20日)

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地エルサレム。
歴史と宗教が複雑に絡み合った迷路のような旧市街をさまよっているだけで飽きることないけれども、
パレスチナ自治区の事実上の首都であるラマッラーを訪れて以来、
エルサレム以上にパレスチナに興味が湧いてきた。
キリストが生まれたとされる生誕教会があり、イスラエルとパレスチナ自治区を隔てる分離壁を間近で見られるというベツレヘム、
そしてパレスチナ自治区にあってイスラエル人が侵攻してユダヤ人居住区があるヘブロンを2日に分けて訪れてみる。


冬のエルサレムの天候は悪く、雨が降ったりやんだり。
安息日明けの日曜日にようやく朝一で岩のドームを訪れる。
雲間からたまに陽光が差し込む程度だったが、イスラム第三の聖地の象徴に魅了される。
残念ながら異教徒は岩のドームやモスクの内部に入れないので、
期待していたほどテンションは高まらなかったけれども。




ダマスカス門近くのバスステーションからベツレヘムへ移動。
オリーブ山行きのバスが出ているブルー・バスステーションでもラマッラー行きのバスに乗れるグリーン・バスステーションでもないダマスカス門トラム駅に近いバスステーションから234番のベツレヘム行きのバスが見つかった。


234番に乗ろうとするとドライバーに分離壁前のチェックポイントまでしか行かないと言われ、
隣のバスならダイレクトでベツレヘム市街に行くというので急いで乗り換える。
慌てて乗り込んだのでダイレクトバスの番号をチェックするのを忘れてしまった。
ベツレヘムへのダイレクトバスは分離壁を貫通することなく途中でトンネルに入ってしまい、
気がつくとすでにパレスチナ自治区を走行していた。
具体的なルートは不明だがかなり迂回してベツレヘム市内に入ったようで30分以上バスに乗っていた気がする。


バスはベツレヘムのバスステーションから遠い場所に停車し、
降りて早々タクシーのおじさんたちに囲まれる。
教会に行きたいのか、分離壁のグラフィティを見たいのかと迫られ、
ベツレヘムが俗な観光地ではないかと失望しそうなほどだった。
しかも雨も強く、ヨルダンビザ取得のために訪れたラマッラーに比べて最初の印象が良くないベツレヘム。
タクシードライバーの勧誘をかわして中心地のスークに入り、まずはランチ。
レバー入りのサンドイッチで10シェケル(300円)とやはりイスラエルのエルサレムから来ると物価が安い。


雨が降ったりやんだりと微妙な天気の中、まずはベツレヘム唯一の観光地と思われる生誕教会へ向かう。
ここでキリストが生まれたらしい。
136カ国に独立国として認められているとはいえ、未承認国家のパレスチナに世界遺産があるのも不思議な感じがする。


教会内に入るとウクライナやナイジェリアからの巡礼ツアー団体客でごった返しており、
地下にあるキリスト生誕の場所を見るのに並ばなければならい。
エルサレムの聖墳墓教会のキリストの墓でもそうだったが、
観光客として列で並んで待っていると高揚感が薄くなっていく。


実際に目で見て手で触れるイエス・キリストが生まれた場所。
次から次へと観光客や信者が祈りを捧げている。



しばらくの間、キリスト生誕地に居座り続ける。
キリスト教に疎い自分なので雨宿りのため、と言ったらバチが当たるかもしれない。
中庭の回廊を歩いたり、キリスト生誕のリアルな模型を見つつも雨脚が弱まるのを待つ。



生誕教会を出てからベツヘレムの中心地に引き返す。
広場にはクリスマスツリーが飾られており、
小さなクリスマスマーケットのような催しも開かれていた。


どうやらイスラエルやパレスチナのキリスト教徒とイスラム教徒の仲は険悪でないとのこと。
エルサレムのキリスト教徒地区でアラブ人が商売を行っている理由を垣間見れる気がした。
すぐ近くに巨大なモスクがあっても違和感がないのはそのためだろう。


ベツレヘム中心から2キロ弱北に坂道を下ったところにある分離壁を目指す。
ラマッラー同様、パレスチナの人々は陽気で親切。
パレスチナへようこそ、とにこやかに声をかけてくる。
キリスト生誕地の観光地だけあって自称ガイドやタクシードライバーが寄ってくるのはなんだが、他人に干渉しない先進国の空気が漂うイスラエルと大きな違いを感じる。
スターバックスのパクリは笑わせてくれる。


ルート66を真似したようなレストランもあった。


ベツレヘムのスーク周辺のアラブ人街特有の活気と猥雑さが薄れ、
町の北端に物々しい分離壁の監視塔が見えてくる。


ちなみに分離壁は東西にまっすぐ走っているのではなく、
ユダヤ人が住むイスラエルに属するラケルの墓を取り囲みつつ複雑に入り組んでいる。


分離壁に沿った場所にあるアイダ難民キャンプを訪れてみる。
再び雨が降る中、分離壁沿いを歩く。
グラフィティというより落書きのような絵が続く壁沿いを歩く。



見張りのイスラエル兵はいないが、黒ずんだ監視塔に緊張感が走る。


パレスチナ難民キャンプへは分離壁と有刺鉄線に挟まれた狭い道を通過し、
その先の墓を貫通すれば辿り着けそうだと地図を見ながら判断する。
それにしても人気が全くない分離壁周辺。



墓場の中身は掘り返されており、コンクリート詰めされている。
もう墓場として使われていないということだろうか。



廃墟のような墓場の背景にある無機質な分離壁が不気味。
壁の向こうにイスラエルがあり、ユダヤ人、あるいはアラブ人が平穏に暮らしているとは想像できない。



墓場を通り抜けて、かつてボランティアをしていた西欧人、あるいは観光客に描かれたようなグラフィティが続く分離壁を右手に歩いていくとアイダ難民キャンプのゲートにたどり着く。



国連の建物に隣接した鍵穴の形のゲート。
すでにパレスチナ難民キャンプとしての役割が終わったからか、
ゴーストタウンのように人気がなく、殺伐とした分離壁のフラフィティを撮影しに来たと思われる観光客をチラホラと見かける。
ただどう見ても現地パレスチナ人のメッセージがこもったものでなく、
ヨーロッパや南米からの若者が描くようなプロパガンダに見えてきて少なからず失望。



しかも、ボランティアの人々がいなくなり、
パレスチナ難民がいなくなってからアイダ難民キャンプ跡地はゴミだめとなっており、
異臭が漂っていたりする。



戦火のせいか、単なる粗大ゴミかわからない状態になっている中、
コンクリートの分離壁だけがひたすら続いている。



まるで爆撃されたような廃車や工場跡のような建物を見てから来た道を引き返す。



北端にもグラフィティが描かれており、一部はギャラリーとなっている。
何年か前に見たベルリンの壁のギャラリーのようだ。



もちろんすでに崩壊したベルリンの壁と違い、
パレスチナ自治区を包囲する分離壁は固く閉ざされていたが。



アイダ難民キャンプ跡地からイスラエルへ抜けようと歩いていくと、
分離壁に挟まれた道は封鎖されていた。


面倒だったが、アイダ難民キャンプの鍵のゲートまで再び引き返し、
大きく回り込んでイスラエルへのチェックポイントに向かった。



パレスチナ側は観光客向けの中華料理店や土産屋があったり、
チェックポイントに誰もいなくて拍子抜けだったけれども、
イスラエル側においてセキュリティーチェックがあり、パスポートコントロールまであった。
すでにテルアビブ空港で別紙スタンプのツーリストカードで再入国は簡単だったが。




エルサレムからベツヘレムを日帰りで訪れた2日後。
当初の予定では6日間滞在したエルサレムを去り、ヨルダンのアンマンに移動するつもりだったが、
パレスチナ自治区のヘブロンがどうしても気になっており、
またエルサレムのホステルで同室の台湾人旅行者にヘブロンも日帰りで訪れるのが可能と聞き、
ヨルダン滞在を二泊三日から一泊二日に縮めてまでヘブロン行きを決行する。

ヘブロンはパレスチナ自治区においてアラブ人とユダヤ人の対立の舞台であり、
パレスチナ自治区にありながら80%がパレスチナ政府の管理下、
20%がイスラエル軍の管理下にあるという特異な町。
その大きな理由としてユダヤ教、イスラム教の祖であるアブラハムの墓が旧市街にあり、
壁を隔てて建物が中で二分されており、北半分がユダヤ教徒のためのシナゴーグ、
南半分がイスラム教徒のためのモスクとして両教徒に欠かせない聖地徒なっている。


なお、アブラハム聖廟周辺はイスラエル軍の管理下にあり、
イスラエル政府は周囲のパレスチナ人を追放してユダヤ人を住ませる居住区を作り上げたという。
1994年、ユダヤ人入植者によるパレスチナ礼拝者への襲撃テロが起こったり、
近年でもユダヤ人によるパレスチナ人を追い出そうとする暴力、嫌がらせが度々起こったりと、両住民対立の解決への糸口は見えていないそうだ。
外務省の危険度3となっており町歩きにおいて注意が必要。

ダマスカス門近くのバスステーションからヘブロンへの直行バスはなく、
二日前に乗った231番のベツレヘム行きのバスに乗り、
ベツレヘム終点近くの交差点からヘブロン行きのミニバスに乗り換える必要がある。
ちなみにダマスカス門のバスステーションのバスナンバーの表記は二桁だけれども、
真ん中に3を入れて3桁にしたのが現在のバスナンバーだと近くにいたおじさんが教えてくれた。
つまり、ベツレヘム行きのバス停にある21番で231番のバスに乗るということ。


前回同様バスを降りて早々タクシーの勧誘が集まってくるが、
軽くスルーしてバス進行方向にある大きなロータリーでヘブロン行きのバスについて近くの人に尋ねると親切に教えてくれる。
ミニバスに乗り込んでからロシアのマルシュートカと同様、
満席になってから出発するシステムなのでしばらく待たされる。


ベツレヘムからヘブロンまで1時間弱の移動で片道6シェケル(200円)。
ちょっとした荒野を抜けて到着したヘブロンの町はラマッラーやベツレヘムと同じようにアラブ人だけが住む世界で、文字表記にヘブライ語なし、車のナンバープレートもパレスチナがほとんど。



なんだかんだエルサレムのダマスカス門を10時半に経ち、
ヘブロン中心地到着が正午過ぎだったので腹ごしらえ。
具沢山のシャワルマが10シェケル(300円)とイスラエルの物価の3分の1。


イスラエルから来るとパレスチナ人の陽気さが際立ち、
一緒にシャワルマを食べている若者たちに写真をお願いされたりする。
こちらとしても嬉しい限り。


食後、旧市街にあるアブラハムモスクへの標識に従って歩いていく。
ヘブロンの中心地からアブラハムモスクまで1キロ半。
とてもこの先にイスラエル管理下の町があるとは思えない穏やかな空気に包まれた石畳の緩い坂を登っていく。


旧市街のスークに入ると活気のあったヘブロンの空気はガラッと変わる。
いくつかの土産屋から声がかかってくるものの、ドアが閉ざされたスークが続く。


賑やかな中心地の陽気なアラブ人と異なり、
パレスチナと刺繍されたブレスレットを売る子供達がしつこくついてきたり、
自称ガイドが強引に町歩きを先導しようとしたり、
ガイドを断るとビニール袋に入っている土産を売りつけようとしたりとすれている感じがする。
また中心地に向かって右側(北側)がアラブ人居住区、左側(南側)がユダヤ人居住区となっていたそうで、
ユダヤ人が嫌がらせに投げてくるゴミを防ぐための網が天井に張り巡らされてる。


アラブ人の居住区の入り口に階段があり登ってみると、
金網状にゴミが散乱している。


ユダヤ人居住区を見てみるもすでにユダヤ人が去ってしまったのか、
空き家のようになっている。


スークを抜けると道が開け、まさにベツレヘムで見たような分離壁と監視塔が現れる。
イスラエルとパレスチナ自治区を隔てる分離壁でなく、
パレスチナ自治区のヘブロンという町においてユダヤ人とアラブ人の住民の居住区を隔てる壁となっているので異様な雰囲気が漂っている。
有刺鉄線が張り巡らされたゲートの向こうにはユダヤ人居住区が広がっているようだ。


監視塔にはこちらを凝視するイスラエル兵がおり、
パレスチナ自治区なのに風になびくイスラエル国旗はエルサレムで目にするものとは別物。


商店街を進んでいくと、旧市街のスークに比べて開いている衣服屋が増える。
それでも左側にはアラブ人の侵入を防ぐような鉄格子と有刺鉄線がある。



ちょうど道路一本が封鎖されているようで、
ゴミ溜めになった有刺鉄線と鉄格子によってユダヤ人とアラブ人の居住区が完全に分かれている。
キプロス島の首都ニコシアを南北で分断するグリーンラインに似ていなくもない。
町のど真ん中を走る一本の通りがキプロス共和国と北キプロスのどちらにも属さない緩衝地帯となっていた。



商店街を歩き続けると乗ってきたバスステーションに辿り着いてしまうので一度引き返す。
ヘブロンの中心地方向とは反対側、アブラハム聖廟へ向かって歩く。
誤解のないように言えば、旧市街の子供たちもまた可愛らしく、
シャイだけど外国人に興味津々の様子。
たまに1シェケルとねだってくる少年たちもいるけれど、
笑顔から本心とは思えず、大人に外国人を見たら挨拶代わりに言うように教えられたのでは、と思ってしまう。
いや、そう信じたい。



ユダヤ人居住区に隣接して商売を営むアーケードのパレスチナ人もフレンドリー。
にこやかに声をかけてきて、ここでもまた、ヘブロンへようこそと迎え入れられる。



再び観光客をほとんど見かけないのに土産屋が並ぶスークを抜けて歩いていく。
アブラハムの墓の前にはチェックポイントがある。
重厚なゲートを押してくぐると、イスラエル兵によるパスポートチェック。
やはり旧市街がイスラエル兵に管理されていると実感する。


パレスチナ自治区を管理するイスラエル兵は案外暇なのか、
日本のパスポートを見せるだけでたいした質問もなくあっさりチェックポイント通過。
2時間近く軟禁され、尋問されたテルアビブ空港のイミグレとは雲泥の差である。
写真と撮らせてくれる余裕まであるようだ。


ヘブロンで唯一観光地とも言えるアブラハム聖廟へ入る。
チェックポイントを抜けたとはいえまだアラブの世界。
祈りの時間が終わり、礼拝者が出てきてから観光客はモスクへ入れる。
自分ら以外に数人の観光客がいるだけで、ツアー観光客でごった返していたベツレヘムの旧市街と違い広々とした空間。


アブラハムの息子とされるイサクと妻が眠る聖廟がモスクに置かれている。


霊廟の反対側にエデンの園への入り口と言われる穴がある。
覗いてみると日が灯るランプのオイル臭がした。


モスクを出てからいよいよパレスチナ人が追放されユダヤ人を入植させたという地区へ。
アブラハム聖廟前のチェックポイントと違い、野放しに放置された門をくぐるだけ。


目の前に広がるのはゴーストタウンと化した光景。
どうやらパレスチナ人追放後にユダヤ人が入植しなかったのか、
廃墟のような家屋が並んでいる。



また、よく見ると洗濯物が屋上に干してあったりと生活臭もある。
でも生活しているのはユダヤ人でなくアラブ人のようだった。
ゴーストタウンの路上で遊ぶパレスチナの子どもたちを見かける。


地図を見てみると、ゴーストタウンを囲むようにチェックポイントがいくつかある。


車が一台もない空っぽの駐車場の脇にあるチェックポイントへ。
ユダヤ人入植地から出る場合はここもチェックはスルー。
ゲートを潜り抜けて再びパレスチナ自治区に入る。



パレスチナ自治区に入ると閑散としているとはいえ、
アラブ人をちらほら見かけ、またモスクもある。
ただし、廃墟が目立ちここもゴーストタウンに近いのかもしれない。



アラブ人の町をちょっと歩いてから再び先のゴーストタウンに戻る。
つまりパレスチナ人居住区からゴーストタウンと化したユダヤ居住区に再度入る。
パレスチナ自治区からイスラエルに戻るときと同様、
チェックポイントにイミグレのような窓口があり、イスラエル係員が中で構えているが、
日本人だからか今回はチェックがなかった。


アブラハム聖廟の北半分、ユダヤ人居住区側にあるシナゴーグを訪れるためにモスクのミナレットへ向かって歩いていく。
そういえば、イスラエル管理下のユダヤ人居住区においてもまだユダヤ人を見ていない。
とてもシナゴーグにだけユダヤ人がいるようには思えない。
唯一のユダヤ人は暇そうな兵士だけ。
南半分のアブラハムモスクをユダヤ人居住区側から向かうと、
イスラエル兵のチェックポイントがあり、無愛想に国籍を尋ねられ、
その後宗教を聞かれたので仏教徒と答えると特に表情も変えずに通してくれた。


が、当然ユダヤ人居住区からモスクに入ることはできないようで、
アブラハム聖廟の入り口は固く閉ざされており、通路はゴミで溢れていた。



なお、モスクの脇道からアラブ人居住区となっているらしく、
ここにもチェックポイントがある。
居住区からユダヤ人がいないゴーストタウンを貫通して旧市街に移動しようと思われる青年がイスラエル兵に荷物の中身を調べられていたい。
ユダヤ人ではなくイスラエル兵による嫌がらせのようだ。


最後にイスラエル警察の脇を通ってアブラハム聖廟北半分のシナゴーグに入る。
ここでようやくユダヤ人を見かける。
警察署近くに停まるユダヤ人専用のバスでやってきたのだろうか。



ずっとパレスチナ人しか見なかったヘブロンで祈りを捧げるユダヤ人を見るのは奇妙に感じる。


モスクとシナゴーグとして共有されているアブラハム聖廟。
屋内の一枚の壁を境にユダヤ人の世界とアラブ人の世界があるとは信じがたい。
でも警備するイスラエル兵がその事実を伝えてくれる。


モスク側からも見た聖廟をシナゴーグ側からも覗き、
なんと言えない後味を残してヘブロン日がり旅行が終了した。











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