2014年4月20日日曜日

ちょっと退屈なカンボジアの首都(2014年4月20日)

ロン島、シアヌークビルと海を満喫して、
中国人のターリャ、イギリス人のエリオットと1泊だけしたプノンペンに戻る。

ロン島でのボートツアーやシアヌークビルでの日光浴により肌の黒みが増した。
どんどん日本人離れした外見になっていきそうだ。
それでもカンボジア人の黒さには負ける。
ラオスやベトナムに比べてカンボジアでは肌が黒い人が目立っている。


うかつにも、シアヌークビルのビーチでサンドフライ(砂バエ)に刺された。
サンドフライに刺されても直後は痒みはまったくなく、
砂浜で日光浴中に足や腕に止まっている小さなサンドフライを何度かつぶしたりした。
痒みがやってくるのは、宿に戻り、シャワーを浴びてから。
気づいた時には遅く、刺された跡が赤くなり、盛り上がっている。
赤い斑点は両足と背中で20ヶ所以上。
また、プノンペンに戻ってからの夜には、
断続的な痒みに襲われ、辛かった。
ネットで調べてみると、一週間は痒みが続くらしい。
ビーチの楽しい思い出も苦々しくなる。




プノンペンは暑い。
ラオスも暑かったが、
プノンペンでも日中35度越えである。
オルセーマーケット近くの安宿街のスプリングゲストハウスにて
エアコンはなく、扇風機のみの7ドルの部屋を確保し、
暑い正午から夕方までは部屋で過ごしたりする。
扇風機だけの部屋はやはり暑かった。



プノンペンの安宿街といえば、
5年前の2009年に訪れた時までは、
列車駅の北側、モスク近くの湖東側にあり、
西洋人が多く、ミニカオサンなどと呼ばれていた。
しかし、今回訪れてみると、
安宿街の家屋が崩壊していたり、閉鎖しており、
数軒のゲストハウスが残っているだけだった。
かつては湖周辺に庶民の住宅と同化したゲストハウスや、
レストラン、カフェがあったが、
現在では当時を名残惜しむように数人の西洋人が
まだ閉鎖していないゲストハウス周辺にたむろしている。
そもそも肝心の湖が埋め立て地になっている。
壊された家屋の落書きやゴミ袋がむなしい。
また、皮肉にも以前の湖そばのモスクは新しく改装中。
安宿街向こうに見える高層ビルがプノンペンの変化を物語っているようだ。





プノンペンはバイクや自動車が増えており、
以前見なかった高層ビルも建設中である。
それでも、ホーチミンシティのやかましさはないし、
川沿いはのんびりできる。





ポルポトによる虐殺の舞台になったトゥールスレン博物館や
キリングフィールドは以前訪れたので、
今回は街中のセントラルマーケットをぶらぶらする。
観光客をあまり見かけないプノンペンでは珍しく外国人が多いセントラルマーケット。
中国人がシルバーや宝石を品定めしていたり、
西洋人が偽ブランド時計の値段交渉をしている。
ドーム型の屋内市場もずっと歩いているには暑い。



市場では果物売りや食堂での普通のカンボジア人の営みを眺める。
目的もなく市場をぶらぶらしていると、
アジアの旅をしていると実感できるから不思議である。





西洋人をちらほら見かけるのは川沿い近くの界隈で、
新しいゲストハウスがあったりと、次のバックパッカー街になるのかもしれない。
コンビニの前のテーブルでジュースを飲みながらCNNが見れたりと便利である。




暑すぎるプノンペンではまったりと過ごし、
人生3度目だが、カンボジア旅行ハイライトのアンコール遺跡群に向かう。






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