ビザが切れる6月27日までにタイを出国しなければならない。
タイの次のマレーシアは中華、インド、マレーの文化がミックスされ、
エキゾチックな国なので待ち遠しい。
タオ島からは横揺れが激しいボートでパンガン島に渡り、
パンガン島で別のボートに乗り換えて
サムイ島経由でスラターニまで行く。
タイ本土まで5時間以上かかる航海だった。
スラターニではローカルなミニバスに乗り、
南部の商業都市ハジャイに直行する。
船は西欧人バックパッカー一色だったが、
スラターニで多くの人々がバンコク行きバスや
クラビー行きのミニバンに乗り換えており、
ハジャイに向かう外国人は自分一人だった。
西欧人天国のタオ島からタイ人しかいない世界に変わると、
不思議な気分になる。
高速で走り続ける乗り合いのミニバンは
途中で乗客を降ろしたりして、
9時過ぎにハジャイに到着。
親切なカウボーイファッションのドライバーは
目的のキャセイゲストハウスの前まで連れて行ってくれた。
ハジャイは2002、2005、2009に続き、4度目。
2002年にマレーシアからタイに入り、
生まれて初めて滞在したタイの街でもある。
ユーラシア大陸横断中や前回の世界周遊中にも立ち寄った。
そして、中華系のキャセイゲストハウスはその都度泊まっている。
今回も幽霊が出そうなくたびれた部屋に宿泊したが、
12年前からほとんど変わっていない。
気のせいか、1泊240バーツ(750円)と値上がりしている。
部屋のバスルームのドアにゲストハウスの廊下が
スティーブンキング原作の映画シャイニングのように不気味だ、
と書かれていたが納得できる。
さすがに幽霊は出なかったが、
巨大なゴキブリは出現した。
ちなみに、ハジャイによく泊まるのは街が好きというわけではなく、
タイとマレーシアを移動する上で交通の中心地という理由だけ。
街中には観光スポットはなく、
中国人やマレー系の買い物客を見るくらい。
とはいえ、マレーシアに近い商業都市のハジャイは高層ホテルが多く、
マレー系や中華系には人気のようだ。
街中はこれまでのタイとは異なり、
燕の巣のスープやチキンライスの食堂が多く、
巨大なチャイナタウンのような空気を醸し出しており、
同時にスカーフを被った女性が多く、
イスラム色も強い。
以前と比べると、外装が修復されてカラフルな建物が多く、
若干明るい南国の街でもある。
ハジャイは2002年に人生初のご当地タイ料理を食べた街であり、
ナイトマーケットの屋台街は英語メニューもなく、
本場の辛いタイ料理が食べられるので、
今回も通ってみた。
屋台は一番タイらしさを感じられる場所かもしれない。
ハジャイには2泊して、
マレーシアとの国境の街スンガイコーロクへ向かう。
タイからマレーシアへは
西海岸のペナンへと抜ける国境越えが有名で、
自分もペナンからハジャイまでの北上ルートを過去3度利用した。
今回はマレーシア東海岸沖の島に寄りたいこともあって、
徒歩でマレーシアに入国できるスンガイコーロクを選んだ。
なお、マレーシアに近いタイ国境周辺は
イスラム過激派の爆弾テロが多いので注意するようにと
タイ人の友人に言われている。
ハジャイからは久しぶりに列車で移動。
開放された車窓から綿毛が入ってくる。
旅行者は見かけることなく、
車内はムスリムのタイ人がほとんどである。
女性のスカーフ率がより大きくなった。
マレーシアとの国境の街はへんぴな田舎町より大きいものの、
観光名所はなし。
ハジャイのように中華系の観光客が多いわけでもなく、
検問も厳しい。
そういえば、ハジャイからスンガイコーロクへの列車では初めて荷物チェックがあり、
パスポートを見せてからバックパックの中身を半分くらい出すハメになった。
やはり爆破テロの多発地帯だけある。
だからか、
平日のわりにシャッターが降りてる商店が多く、
閑散とした町である。
とてもカメラをぶら下げて歩き回れる雰囲気の街ではなく、
明日の国境越えに備えて
駅近くのアジアホテルから歩いて15分の国境を下見に行く。
徒歩での国境を越えでは、
自分のペースでイミグレの手続きができるので、
国際バスや列車より安心感がある。
ちなみに、スンガイコーロクではtrue-Hのネットワークが繋がらなかった。
すでにここはもうタイではないのかもしれない…。
屋台で頼んだぶっかけご飯も辛いタイ料理とは異なるものだった。
カレー風味の牛肉炒めはマレー料理に近い。
国境を越える前からすでにマレーシアに彷徨い込んでしまった感じである。
カレー風味の牛肉炒めはマレー料理に近い。
国境を越える前からすでにマレーシアに彷徨い込んでしまった感じである。
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