一気にインドネシアに戻る。
2013年10月22日に福岡からフェリーで韓国の釜山に入国し、
世界遊牧住み渡りと勝手に名づけた世界周遊をスタートしてちょうど1年が経つ。
インドネシア東遠方にあるティモール島は2つの国に分かれており、
東半分はポルトガル語が公用語の東ティモールという小国。
西半分がはインドネシアの西ティモール。
正確にはインドネシアの西ティモールにも東ティモールの飛び地があったりと複雑である。
東ティモールの首都ディリから西ティモールのクパンには
事前に予約したTimor Travel & Tourのバンで向かう。
朝8時に宿泊先までピックアップが来るという。
ディリの定宿、イーストティモール•バックパッカーズで出会った人々と別れ、
国境越えのバンを待つ。
ディリでは失ったもの(体力衰弱による抜毛)もあるが、
NGO関係の日本の方や世界を放浪している貧乏バックパッカーのインド人、
西洋人バックパッカーと出会えて充実していた。
ピックアップはなかなか現れず、
8時半過ぎにようやくTimor Travel & Tourのバンが宿の前に現れた。
ディリではいろいろお世話になり、話しをしたNGO関係の日本と方に見送られ、
バンに乗り込む。
東ティモールから西ティモール西端の街クパンまでは13〜14時間かかると
逆方向からディリにたどり着いた西洋人に教えてもらっていた。
不思議なことに乗客は自分と途中から乗ってきた女性の2人しかいない。
ミニバンは途中から未舗装の道、あるいはアスファルトがあっても崩壊している道を進んでいく。
乾燥した山道を土埃をあげながら走っているが、
海岸線に沿っているために美しい東ティモールの海が見えた。
後席の女性の大声で海の方向に目をやると、巨大なクジラが海面から背中を海面から出して泳いでいた。
バンは途中に一度辺鄙な村で停車した。
かつての西アフリカの旅を思い出させるような土埃におおわれた村だった。
村の子供たちや犬や豚が戯れている。
バンは1台だけではなく、Timor Travel & Tourが3台走らせているようだった。
他の2台は満員なのに自分が乗っているバンだけ2人である。
正午過ぎに東ティモールとインドネシアの国境に到着。
東ティモールの出国は簡単で、その場で出国カードを書くのみ。
バックパックはバンに置いたままでインドネシア側まで連れて行ってくれる。
インドネシア側の入国も簡単だと思ったが、
アライバルカードを書いてパスポートにスタンプを押してもらってから荷物チェックがあることを知り、
慌ててバンに戻りバックパックを取りにいく。
路上に放置されていた自分のバックパックはちょうど少年が背負って持っていかれるところだった。
急いでバックパックを取り返し、イミグレ隣のカスタムに戻って荷物チェック。
現地人は軽いチェックなのに、なぜか自分はバックパックのそこまですべてチェックされる。
パソコンやポータブルハードデスク、ガイドブックの中身までチェックされたのは
今回の1年間の旅では初めて。
以前南アフリカからナミビアや、スペインからモロッコへの国境越えの際に
金品はもちろん、パンツの中までチェックされて屈辱だった時よりはマシだが。
無事インドネシアに入国し、風景も一気に変わる。
整備されたアスファルトの道路が続き、物が溢れた店が並んでいたり、
なつかしのインドネシア麺バクソのカートも目につく。
ここで時差マイナス1時間。
これまでの旅で唯一日本と同時差の東ティモールは特別だった気がする。
インドネシア時刻午後1時くらいに国境を越えてからの最初の街、
Atambuaの道路沿いの食堂でランチタイム。
2008年に西アフリカの国々を点々したときもそうだったが、
国境を一本またいですぐに人種が大きく変わることはない。
東ティモールからインドネシアの西ティモールに入っても、
目にする浅黒いメラネシア系のような人々はインドネシア人なのか東ティモール人なのか区別できなかった。
ジャワ島で見てきたインドネシア人よりはメラネシア系に近く、
東ティモールと同様ムスリムよりもキリスト教徒が多そうな雰囲気だった。
インドネシアに入ったとはいえ、西ティモール西端のクパンまでは遠かった。
Atambuaからクパンまでは直線距離で200キロくらいに思われたものの、
曲がりくねった山道をバイクやトラックを追い越しながら走るので時間がかかる。
午後2時過ぎにはAtambuaの食堂を出発してから、
真っ赤な太陽が沈み、午後6時になってもクパンはまだまだだった。
エアコンがなく、土埃とタバコの煙が充満するバンでは
日本を出てからちょうど365日ということもあってこれまでに訪問した街を思い出したり、今回の世界遊牧住み渡りを思い立った2011年から2013年までの東京生活を回想したりした。
子供たちや犬が駆け回る山道沿いの村の風景を眺めながら想う大都市東京はあまりにも遠い。
日が完全に暮れ、暗くなってからの宿探しが不安になってきたころ、Soeという街に到着。
すでに午後6時過ぎ。
それでも標識ではクパンまで110キロだそうで、
曲がりくねった道で時速40キロしか出ないバンではさらに時間がかかった。
ちょっとした巨大スーパーマーケットや海沿いのホテルが見えたのは午後9時。
Timor Travel & Tourは有り難いことに宿泊先まで送迎してくれる。
土埃で汚れまくり、ずっとリュックを膝上に置いていたため足がむくみ、
ようやく西ティモールのクパンに到着。
ロンプラにも乗っているLavalon Bed & Breakfastにチェックインする。
ディリで教えてもらった情報とは異なりWiFiは繋がらなく、
シャワーの代わりにインドネシア式の水溜めのマンディしかないローカルな宿だった。
それでも汚くはない部屋で55000ルピア(500円)と安い。
翌日分かったことだが、自分が止まっている海岸道路脇の路地のLavalon Bed & Breakfastとは別に海岸線にもLavalon Bar & Hostelがあり、
後者はWiFiが繋がり、西洋人も多く泊まっていた。
でもドミトリーで50000ルピア、個室は150000ルピアだったので前者に泊まり続ける。
WiFiが繋がらないのは残念だけど、
インドネシアのプリペイドSIMはすでに持っているので新たにインターネットデータプランを申し込んでネットサーフィンできる。
個室でのんびりネットサーフィンと目論んでいたのも束の間、
クパンではなぜかTelkomselの3G回線がよく遮断され、
満足に宿でネットが繋がることは期待できないと知らされることになる。
クパンに到着した翌日には早速、
次の目的地フローレス島へのフェリーを予約するためPelniのオフィスへ。
インドネシアの島と島の移動手段となるPelni社のフェリーは週に1便あるかどうか。
フローレス島のエンデという街への次のフェリーの日にちが気になりドキドキだった。
実際にPelniオフィスに行くと次のエンデ行きは3日後の10月25日。
クパンに夜到着したのが10月21日なので4泊クパンでのんびりできる。
15時頃出航して翌日の15時頃エンデに到着着くらしいフェリーチケットを購入できて一安心。
24時間の船移動で99000ルピア(900円)は安い。
エコノミークラスの雑魚寝なのである程度の覚悟は必要だが。
ティモール島では東ティモールの首都ディリよりも大きく、活気のあるクパン。
とはいえ、コンビニやショッピングモールはなく、
3G回線でのインターネットもよく遮断される街では海を眺めながら過ごす。
来月オーストラリアに向けて出発するまでの4週間のインドネシア島巡りは始まったばかり。
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