2017年3月4日土曜日

インドの喧騒からかけ離れたハンピで遺跡巡り(2017年2月9日)

南インドに沈没地として有名なハンピがある。
奇岩群の中にある遺跡、
汚く喧しいインドに疲れた旅行者が癒されるというのんびりとした空気を味わうべくハンピに寄ってみる。
自分自身、4度目のインド旅行を始めてまだ2週間であり、
チェンナイ、ムンバイ、ゴアしか回っていないので疲労が溜まっていないし、
インド特有の混沌とインド人の渦に浸透していたいけれど。


6日間、毎日歩き回ったムンバイを去る。
インドっぽいと言ったら嘘になるが、
インド最大の都市のカオスとイギリス植民地時代の洗練さが混在し、
高層ビルの建築ラッシュの反面、スラムに暮らす人々も膨大しているムンバイで退屈な時間はない。
目的なく歩いているだけで気分が高揚してくる都会は昨年の中米やカリブ海、アメリカ、
ロシアや旧ソビエト諸国、中東になかった気がする。
ムンバイでやはりアジアの大都市は魅力的だと思い知らさせる。





ムンバイから夜行バスで15年ぶりのゴアへ移動。
長居するつもりのないゴアにおいてビーチエリアでなく、
コロニアルな雰囲気に包まれたパナジに滞在した。
パナジの旧市街を歩いていると、インドというより中米の田舎町をぶらついているような錯覚に陥ってしまう。



土日に宿泊したからか、レストランも閉まっているくらい閑静な旧市街。
白亜の教会もポルトガルの影響を受けており、数日前のムンバイの喧騒が幻のようだ。



あまりにも静かすぎて、期待していたゴア料理店もほとんど閉まっており残念。
名物の豚料理やソーセージにありつけず、ゴア風の魚揚げランチだけで我慢する。


かつてヒッピーが集まった伝説的なアンジュナビーチも訪れる。
ヒッピームーブメントが終わった現在、
昔からゴア好きのような年配の西欧人、パーティーやガンジャ、サイケデリック好きの若者、
加えてインド人の若者集団やロシア人のツアー客が多く徘徊していた。
バス停近くの高台から綺麗と形容しがたいインド洋を見渡せ、
露天ではいかにもゴアっぽい雑貨やインドパンツ、パイプ、トランスミュージックCD、ハンモックなどが並べられていた。





アンジュナビーチそのものはヤシの木が並び、南国の原風景。
でも波が強く、海水は透明じゃないし、砂浜は茶色く興ざめ。
岩がゴロゴロしており海水浴に向かないだろう。



むしろ、カフェのビーチチェアで仰向けになって日光浴したり、
昼間からビールを飲むのがゴアの週末の過ごし方に違いない。
特に物思いに耽ることもなく、キングフィッシャービールを飲みながら音楽を聴いているだけで時間が過ぎていく。



わずか2泊3日のゴアの週末はパナジからオールドゴアを日帰りで訪れ、
荘厳な風情を残す大聖堂を見て回って終了。
当時のオールドゴアはリスボンやロンドンよりも人口が多い町だったそうだ。
今は観光客がたむろする大聖堂や雑草に身を包んだ教会跡が点在する観光地に成り下がっているけれども。





再び夜行バスでパナジからハンピへ。
列車に比べインドの夜行バスは割高で、ムンバイ〜ゴアのエアコンなし寝台が1200ルピー(2000円)、
ゴア〜ハンピのエアコン付き寝台が1400ルピー(2300円)。
個人的には寒いエアコンなし、寝台じゃなくてリクライニングシートでいいから安いほうがありがたい。
エアコンや夜風で冷やされるのに12時間の移動でトイレ休憩は2回のみ。
上着が必須のインド夜行バス移動である。


夜明け前の6時ごろハンピ到着。
バス降車地から安宿が集まるハンピバザールの村まで徒歩圏内なので、
他の西欧人バックパッカーがリキシャーと交渉している中一人宿まで歩いていく。
沈没地として有名なだけあってハンピに日本人宿カルヤンゲストハウスがあるそうだが、
今回は沈没せずに2、3日の遺跡巡りだし、
安いインドに来てまで日本人宿のドミに泊まるのは躊躇してしまう。
結局、Netraゲストハウスという二階テラスレストランで美味しい料理を出してくれ、
終日ニューエイジ系の音楽が流れる下北沢にありそうな宿を選ぶ。
日中暑いハンピにおいて涼しいプライベートルームでまったり寛ぐのがいい。



ちなみにカルヤンゲストハウスは日本人宿とはいえ、
実際に覗いてみると韓国人や中国人の旅行者が多かった。

安宿やレストランが集まるハンピバザールは旅行者のための村といった感じで、
普通の町みたい安いチャイやランチタイムのミールをローカル食堂で食べられるわけではない。
旅行者が集う食堂で食べる朝飯が160ルピー前後、チャパティ、ご飯、カレー、サラダのターリーセットが180ルピー前後とちょっと高め。
また、宗教上の理由によりハンピで肉類や酒は摂取できないようだ。


暑い日中、涼しい宿のシングルルームでぼーっと過ごし、
夕暮れ前からハンピバザールの遺跡巡り。
村のシンボルのようにヴィルーパークシャ寺院がそびえている。


寺院の入口手前から丘に登ることができ、ハンピバザールの村を一望できる。


ハンピといえば奇岩群に遺跡。
岩肌に溶け込んだ遺跡が不思議な光景を見せてくれる。




西日に照らされた遺跡歩きで見る陰影礼賛。
車やバイクで溢れかえるインドの喧騒からかけ離れており、
前日のパナジの旧市街にもない静かさ。




遺跡には猿が多く、猿と戯れる
…いや、猿に弄ばれるインド人も多い。




丘から奇岩群と緑色の樹木の向こうに沈んでいく夕日を眺める。



初日からしてインドに疲れた旅行者が腰を下ろすハンピに魅力を実感させられた。


ハンピ2日目はじっくりと遺跡巡り。
今回4週間だけの南インド周遊なのでここで沈没するわけにいかず。
奇岩群の中に遺跡が点在しているのでひたすら徒歩で見て回る。
炎天下、荒野のような道を歩くので水ボトルを準備しておく。
午前中のうちにハンピバザールの北西2キロの離れた場所にあるヴィッタラ寺院へ。


ヤギの群れが歩く石を並べられた歩行者用の小道を進んでいく。
小川に沿った岩山を眺めながらのハイキングのようだ。



途中岩肌に作られた寺院遺跡があり。
ちなみにヴィッタラ寺院や王宮地区のロータスマハル以外はチケットなしで入れるようだ。


インド人観光客がちょこちょこいるヴィッタラ寺院に到着。
辺鄙な場所にあるハンピだけあって、アンコール遺跡群やミャンマーのバガン、メキシコのマヤ遺跡のようにツアーバスの混雑さもなく、ゆっくりと見て回れる。
チケット代は他の遺跡と込みで500ルピー(800円)。
一回の入場料が25ドル、30ドルとするスリランカの観光地よりずっと安い。


精巧な彫刻が見られるヴィッタラ寺院。


中央に鎮座する象の山車に目を奪われる。


柱に施された彫刻も鑑賞してみる。



最初に見てしまうにはもったいないハンピでメインのヴィッタラ寺院だった。


1キロ半南下したところにあるアチュタラーヤ寺院へは平坦な道のり。
途中ポストカード売りの青年がしつこく、誰もいない岩肌の道だけに危険性も感じる。
スマホのGPS頼りにハイキングしないと迷ってしまいそうな地形でもある。


重厚な門をくぐってアチュタラーヤ寺院へ。


境内で日よけしている警備員と居眠りしているおっさんがいるだけの静かな空間。
静寂さを味わうために遺跡内で休息するのに悪くない。


アチュターラ寺院から南の王宮地区に向かって小高い岩山を登る必要がある。
日差しがきつくなった午後に岩山のぼりはしんどい。


でも岩山から眺めるアチュターラ寺院は絶景。
放置された遺跡の向こうにヤシの木々が点在する深緑のバナナのプランテーションが広がり、
奇岩の山々が凹凸に続いている。


岩がゴロゴロと散乱する風景に別の惑星にいるようだ。


頂上まで登りつめた岩山を南側からゆっくりと下る。
階段は重そうな石段となっており、歩行者用の石を下から運んできたのだろうか。
気が遠くなるような手作業である。

地上にたどり着いてからバナナのプランテーションの中を進み、小川を横切って再び奇岩に囲まれた小道を歩く。
厳しい熱射に照らされ疲労も重なり、遺跡巡りのモチベーションも下がってくる。
水ボトルが残り少なくなってきた頃、王宮地区に着く。
本来なら2日に分けたほうがいいのだろうけど、ヴィッタラ寺院との共通チケットが1日のみ有効なので見て回った。
整えられた芝生の中にロータスマハルがあり、インド人修学旅行生の団体が現れ、
まるで公園のような雰囲気だった。


隣にある遺跡も見て、炎天下の遺跡廻りギブアップ。


ハンピバザールまでの帰り道は舗装された幹線道路を歩いたが、
車のクラクションがやかましく余計疲れてしまった。










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