2014年3月21日金曜日

首都ビエンチャン、第二の街サワンナケートでビザ待ち(2014年3月19日)

中国から東南アジアに入ってからの旅は順調に思えたが、
首都ビエンチャンでは35度を超す気温にダウン。
寒かった中国を出た途端、暑いラオスを一気に南下したせいもあるし、
バンビエンで往復14キロ、合計4時間も炎天下を歩いたのも悪かった気がする。
また、バンビエンからビエンチャンへのミニバンで出会った日本の大学生に誘われて
フランス料理店で美味しいステーキと赤ワインで贅沢をした翌日は下痢だった。
香港や中国で安い地元の食ばかりだったので、
高めのステーキと赤ワインは胃に毒だったのかもしれない。




3月は大学生の春休み旅行シーズン、卒業旅行シーズンらしく、
ビエンチャンでは多くの大学生、ときに大勢のグループを見かけたし、
何人かと話す機会もあった。
そのためか、ビエンチャンではベトナムのビザ待ちも兼ねて5泊したが、
たいして街歩きもせずに日々が経過してしまった。
日本の日常生活では話す機会のない大学生といろいろ話せて充実した日々ともいえる。
観光名所は猛暑を避けての午前中にパリの凱旋門をイメージさせる門や
ラオスの象徴のようなタートルアンを見に行った。




中国で着ていた冬物は一部処分し、一部バックパックの奥底に収納し、
ビエンチャンの地元市場にて、バックパッカーが東南アジアやインドではくような
薄地のハーフパンツを買ったりした。
ジーンズ姿で旅するには暑すぎるインドシナ半島は場違いだろう。
地元市場はぶらぶらしているだけで面白い。





なんだかんだ、バンビエン同様ビエンチャンも今回で4回目。
一日数時間の街歩き以外は涼しい宿でのんびりしていた。
首都ビエンチャンではメコン川を眺めながらのビールがメインイベントだったので、
今回も夕方頃に宿を出て行ってみた。
残念ながら前回の2009年から5年も経てば首都でも変貌があるもので、
安宿街近くの堤防はアスファルトの道路に一新されており、
夜は若者向けの衣服やアクセサリー、観光客向けの土産が売られているナイトマーケットが開かれており、
川沿いの屋台はかげろうのごとく消えていた。
ただ、探せばあるもので、夕方から始まる土手のエアロビクス会場から15分ほど西に歩けば、
川沿いにプラスチックの椅子やテーブルを置き、あるいは即席座敷にちゃぶ台が置かれた屋台があった。
夕日は6時に沈んでしまい、ビールを飲みながらたそがれるとはいかなかったが、
孵化する直前のアヒルの玉子、ホビロンを食べながら旨いラオビールを味わった。




ビエンチャンで5日間のんびり過ごし、
暑さによるばてや下痢も回復。
80ドルもした一ヶ月有効なベトナムビザも取得できたので、ベトナムへ急ぐ。
そもそもラオスはビザなしの二週間滞在なので、残り数日のみ。
ビエンチャンから一気に南部のサワンナケートへ。
ラオスで二番に大きい街らしいサワンナケートから国際バスでベトナム中部の街フエに行ける。

ビエンチャンの南バスターミナルを出たバスはこれまでの外国人観光客しか乗っていないラオスのミニバンと違い、
完全なローカルバス。
オランダ人のカップルと自分以外皆地元の人のようだ。
バスは9時間以上かかり、またサワンナケート行きのバスと思っていたものは実はさらに南のパクセー行きだったそうで、
幹線道路から外れるサワンナケートには途中の分岐点の街で下ろされて、
別のローカルバスに乗り継いで行くはめになった。
ちなみにオランダ人カップルはパクセーに行くようで、
サワンナケートに行く外国人は自分一人。

サワンナケートはルアンパバーン、バンビエン、ビエンチャンから一転して普通の街。
ラオスで二番目に大きいとはいえ、人口8万人程度だし、
見所はないので、バックパッカーをあまり見かけない。
ビエンチャンの100分の1もいないのではないかと思う。
ラオス北部で毎日見た日本人大学生も1人も見かけていない。
確かにサワンナケートはラオスらしい街というよりは、整備のされ具合といい、どこかタイの普通の街のようだ。
メコン川の反対側のタイがあまりにも近いのだろう。



ベトナムのフエ行きのバスのために1泊だけでもよかったサワンナケートだが、
ビエンチャンで会った方にサワンナケートだとタイの観光ビザ取得が楽と教えてもらったので、
この街のタイ領事館で観光ビザを申請しておく。
何度も旅行で訪れたことがあるタイのビザを申請するのは初めて。
今回はタイに長居したいこともあり、ビザを申請してみる。
聞いていたとおり簡単で、朝9時前にタイ領事館に行って、申請書をもらい、
領事館前の店でパスポートのコピーをもらい、
近くでビザ代の1000バーツを両替し、
事前に用意した写真2枚を提出したら、
翌日午後の受け取りとのことだった。
窓口の列は数人の外国人だけだったのが嬉しい。

メコン川の向こうのタイを眺める以外に特に見所はないものの、
朽ち果てたようなフランス植民地時代の旧市街は雰囲気があった。
実はここサワンナケートは2002年、2009年にも訪れたのだが、
月日の経過とともに旧市街の荒廃は進んでいるように思われる。
吠えてくる犬が以前にもまして多いのも勘弁してほしい。
唯一教会だけは外装、内装も修復された様子だった。



のんびり過ごしたラオスからかつて毎日のようにぼったくりに苦しめられたベトナムに行く。





2014年3月18日火曜日

スローなバンビエンで自然満喫(2014年3月11日)

ルアンパバーンに2泊し、中国の旅モードから東南アジアの旅モードに気分もサンダルも変えて移動開始。
大自然の景観に囲まれたバックパッカーが集う街、バンビエンへ。

バンビエンでは透明な川が流れ、
チュービングと呼ばれるゴムタイヤの浮き輪を使ってバックパッカーが川下りを楽しむのが名物になっている。
4度目のバンビエンなので3日間、
西洋人が寝そべってコメディドラマをテレビで眺めているようなレストランでのんびりしようと思ってたが、
カルスト地形の山々の美しさに魅了され、洞窟やラグーンを見に回ってしまう。
夕暮れ前に到着したバンビエンでいきなり大自然の美しさに圧倒される。




有り難いことに、バックパッカーの聖地、
ラオスのカオサンと呼ばれるようなバンビエンは5年前に訪れた時とほとんど変わっていなかった。
訪れるたびに急速な変化に驚かされる都市も好きだけど、
数年ぶりに訪れても変わっていない街も安心できて好きだ。
むしろ、前回は西欧の夏休みシーズンだったので西洋人の数は半端じゃなかったが、
今回はそれほど多くなく、街の旅行会社の看板も以前から更新されていないのか寂れた感じさえある。
実際にレストランも場所によってはガラガラで、活気がなくなった気がする。




そうそう。
バンビエンを初めて訪れた2002年や次の2004年には、
いわゆる大麻を使用したハッピーシェイクやハッピーピザなどのハッピーメニューがはやっており、
また、かなりのレストランがアメリカ映画のコピーVCDをテレビで上映して集客を募っていたが、
現在はほとんどハッピーメニューを見かけることはないし、
コメディドラマのフレンズ以外流しているレストランはないので、
何となくかつての大自然のパーティータウンは静かで健全な街になったようだ。
ルアンパバーンでもそうだったが、中国人の個人旅行者やタイ人の旅行者、
さらには韓国人の団体ツアーがバンビエンに多いことも驚いた。
尚、今は春休みシーズンらしく、春休み旅行や卒業旅行の大学生が多かった。

恥ずかしながら水が苦手でウォーターアクティビティをまったくやらない自分は
バンビエン名物のチュービングの川下りもせず、
洞窟まで歩いたりした。
有名な洞窟はバンビエンの中心部から近く、それでいて巨大な鍾乳洞だった。



多くの人々がこの鍾乳洞を歩き回った形跡があり、
ライトアップされた歩行者通路では鍾乳石から水滴がゆっくりと滴り落ちる鍾乳洞の営みが停止していた。
でも、通行止めの看板を無視して、スマホの懐中電灯のみをたよりに暗黒の洞窟を進むと、
水がポタポタと滴り落ち、巨大なカマドウマ、
いわゆる便所コオロギが懐中電灯に照らされた湿った床を通過していく。
洞窟の深部で立ち止まり、懐中電灯を消すと、
瞬きしても違いがない完全な黒い闇の世界があり、
ゆっくりと時を打つ水滴以外に音のない世界になる。
こういった洞窟に入ると、キーンと奇妙な耳鳴りに襲われるのはなぜだろう。
しばし暑い外界との違いを楽しんだ。




翌日はブルーラグーンまで歩いてみる。
実はブルーラグーンにはかつて3度歩いて行ったが、
たどり着けたのは最初の一回だけだった。
2回目は雨期のぬかるみにはまりサンダルが壊れ、
3回目は猛暑でくたばり、途中で引き返すことになった。
片道7キロなので気合いを入れないとたどり着けない。
多くの旅行者はモーターバイクや自転車、あるいは数人でトゥクトゥクをチャーターしているようだ。
ブルーラグーンまでの道に沿った村の子供達も自転車をこいでるくらいなので、
そもそも炎天下歩くのがおかしいのかもしれない。
それでも徒歩を選ぶのはあまりにも美しすぎるカルスト地形をゆっくりと眺め、
途中何度も村の子供達や動物と触れ合えるからだろう。





以前雨期の泥の道に苦戦したものの、今回は乾季のため赤土の道は歩きやすい。
唯一の迷惑は旅行者を載せたトゥクトゥクや自動車がたまに通るたびに
巻き上がる土埃に覆われることか。

やがて到着したブルーラグーンではまるで砂漠のオアシスのようで、
西洋人や韓国人の団体が美しいラグーンに飛び込んでいた。
海パンを持ってきていなく、そもそも水が苦手な自分は軽く水浴びをする程度。
しばらくパラダイスのようなブルーラグーンでのんびりとし、
再び歩いて2時間の赤土の道をとぼとぼ戻っていった。










2014年3月14日金曜日

東アジアから東南アジア、ラオス入り(2014年3月8日)

中国の昆明からの寝台バスに24時間揺られ、ラオスに入った。
自分にとって5年ぶり、4回目のラオスはルアンパバーンを訪れた限り小さな変化はあるが、
根本的なスローな部分は変わっていなかった。 

昆明からのバスは中国でお馴染みの棺桶のような寝台が上下に並ぶ夜行バス。
これまでは寝台が三列なのに、今回は通路を挟んでシングルベッドが一列、
ダブルベッドが一列であり、 自分の指定された寝台はダブルベッドだったので、
見ず知らずの中国人と隣り合わせで寝ることになった。
寝返りを打つこともできず、隣を見ると坊主頭の中国人男性の顔が目の前にある。
しかも、乗客はラオスにビジネス目的で行くようなおっちゃんばかりで、
寝台バスは靴下の悪臭が充満していた。
さらに、夜はあちこちでいびき合戦が始まり、やかましくてしょうがない。
人口が多すぎる中国の移動の過酷さを最後まで味わった。



個人的にいえば、国境越えは荷物チェックなどがなくスムーズで、
中国出国、ラオス入国の手続きも簡単だった。
それでも、バスが国境を越えるということはいろいろ書類手続きがあるのか、
食事タイムも含め4時間以上は待たされることになった。
他の乗客の中国人はいつもどおりタバコを吸いつつ気長に待っているようだ。




アスファルトが完備された中国から東南アジアに入ると、
いきなりのガタガタ道でラオスの洗練を受ける。
曲がりくねった山道のアスファルトは陥没だらけで、ある意味ラオスらしい。
前回訪れたのは2009年だが、木造の家屋に暮らす人々の生活をバスの車窓から眺める限り、
ラオスはそう変わっていない気もする。
ただ、よく見てみると当たり前のように電柱が並び、電線が張り巡らされ、
それぞれの家屋の前に大きな衛生アンテナの皿が設置されている。
ラオスに初めて訪れたのが2002年。
2004年、2009年に訪れた時にもラオスの発展を目の当たりにし、
さらに5年も経つのだから発展していないわけがない。 

3月6日の18時半に昆明を出発したバスは、
翌日7日の19時頃にルアンパバーンのバスターミナルに到着。
今までずっと中国人の群集を見ていただけに、
バスから降りた乗客に声をかけてくるのは数人のトゥクトゥクのドライバーだけというのが可笑しい。
トゥクトゥクとはモーターバイクを改造したタクシーだが、
ラオスの場合は軽トラックの荷台にベンチを取り付けたものなので、
大勢が集まらないと出発してくれないのが面倒くさい。
1人でトゥクトゥクを利用するとかなり割高になり、
バスターミナルの他の中国人は世界遺産ルアンパバーンの中心部には行かないようなので、
自分一人4ドルも払うはめになった。

ラオスの古都ルアンパバーンは前回の2009年のラオス旅行時に訪れていないので、
2004年からなんと10年ぶり。
メインの通りの静けさや裸電球に照らされるナイトマーケットの露店、
旅行者が集まる夜の屋台は当時と同じでほっとしてしまう。




変わった部分はメインの通りに並ぶレストランがバックパッカー向けの安食堂から
フランス人が好みそうな洒落たカフェやレストランになっていることだろうか。
10年も経てば物価も高くなっている。
フランスの植民地だった古都ではよりフランスのコロニアル雰囲気を醸し出し、
美味しそうなパン屋やカフェが増えてきている感じがする。
ラオスのコーヒーやクレープは確かに美味しい。




ルアンパバーンでは中国にはなかった圧倒的なスローな空気を満喫し、
世界遊牧住み渡りの舞台が中国人と高層ビルばかりの中華圏、
東アジアから東南アジアに移ったのだと実感した。




2014年3月11日火曜日

中国旅最後の雲南省(2014年3月5日)

ビザなしの中国、二週間の旅はあっという間だった。
広州で東京からの友人と別れた後、夜行列車で重慶に移動し、
重慶からバスで成都、そして成都から列車で20時間近くかけて雲南省の昆明まで南下し、
昆明に到着したその日に今度はバスで大理まで一気に移動した。
かかった移動時間もさることながら、やはり中国が巨大な大陸の国だと実感できる距離である。

昆明には3月2日の午前8時前に到着した。
駅を出るとなぜか一方通行で混み合っており、
また、武装警官が多くただならぬ雰囲気が漂っていた。
駅前には臨時待合室というのが設けられており、多くの人々が地面に座っていた。
この日、大理に到着してから友人のメッセージで分かったのだが、
前日の3月1日にまさにこの昆明駅で無差別殺傷のテロ事件があったそうだ。
29人が死傷したそうで、かなり大きな事件だったようだ。
思えば、成都にて2月28日の昆明行きの列車チケットが満席でとれなかったため、
翌日の3月1日の列車で昆明に移動することになったのだが、
仮に前日のチケットがとれていたら自分も事件当日に昆明駅に到着していただろう。
一日遅く成都を出発して救われた気がする。

昆明にはラオスに行く前に宿泊するので、今回は素通りで大理へ。
その前にビザなし滞在の二週間を超過しないように先にラオス行きのバスチケットを予約しておこうと思った。
列車といい、バスといい、先に予約しておかないとすぐに満席になるのが中国だと実感した。
面倒なのは昆明にはバスターミナルが行き先ごとに5つあり、すべてが郊外にあること。
大理行きのバスは西部バスターミナルから出ているが、
ラオス行きの国際バスのチケットを購入するためにわざわざ南部バスターミナルに行かなければならない。
昆明駅近くの市バス停留所から直通のバスで各ターミナルに行けるのは便利だが、
あまりにも遠い南部バスターミナルへの往復に2時間以上かかってしまった。
とはいえ、3月6日のラオスのルアンパバーン行きのバスチケットを手に出来たので一安心である。
再び昆明駅近くの停留所から今度は西部バスターミナルに移動し、
ターミナル窓口の長列でだいぶ待たされて大理行きのバスに乗り込んだのは午後1時近かった。

大理はかつてバックパッカーが長居する街として有名だったそうだ。
バックパッカーの聖地のような街として、バンコクのカオサン、カトマンズのタメル、カルカッタのサダル、
ホーチミンシティのファングーラオなんかが昔から有名だが、近いものを期待して大理を訪れると裏切られてしまう。
東南アジアのバックパッカー通りで見かけるような騒がしい西洋人はほとんどいなく、
大理の旧市街は中国人観光客で溢れている。
メインの通りには中国の観光地お馴染みの土産屋ばかりが並んでいる。
特に昼間は民族衣装をわざとらしくまとったガイドに率いられて歩く中国団体ツアー客も溢れており、
陳腐なチャイナタウンという感じがする。
昼間から西洋人バックパッカーがビールを飲んでいるバンコクのカオサンや
ホーチミンシティのファングーラオと、
奇抜なファッションの中国人のおばさんが西遊記の着ぐるみと記念撮影をする
大理のメイン通りとでは大きなギャップがある。
多少予想はしていたとはいえ、ショックである。
中国の急速な観光地化は雲南省の田舎の大理まで押し寄せているらしい。



それでも、大理の背景の大自然は昔と変わらないと思う。
西側には4000メートル級の山々がそびえ、東側には広大な湖が横たわっている。
大理を含め、湖周辺には白族という民族の村が多いので、
土産屋ばかりのチャイナタウンを離れて、湖近くの村に歩いていった。




歩くとかなりの距離。
畑を抜けていくので、自然の眺めは素晴らしかった。




白族の村は大理のメインの通りとは異なり、閑散とした田舎という感じでのんびりできるが、
湖周辺では観光客向けのホテルが次々と建築中だった。
ただ、昔ながらの村を求めるのはバックパッカーの傲慢に過ぎないかもしれない。

とはいえ、ビルが建ち並び、交通量が多い中国の都会に疲れてきた時には、
歩行者天国が多い大理の旧市街は寛げる。
メインのチャイナタウンを外れれば、民族衣装を来たおばちゃん達が路上で果物を売っているし、
小さな市場は中国というより東南アジア的なまったりとした時間が流れている。



また、大理旧市街には洋人街という通りがあり、
まさにカオサンで売られているような民族のアクセサリーや衣服、バックを売る店が並び、
洒落たオープンバーが並んでいる。
季節的な問題なのか、バックパッカーが喜びそうな洋人街でも西洋人はほとんど見かけず、
カクテルを飲んでいるのは中国人観光客のみ。
あるいは、手作りアクセサリーを路上で売る中国人のバックパッカーだったりする。
少なからず、大理でバックパッカーの聖地のような幻想を見た気がする。




大理で3日間のんびり過ごし、テロ事件があった昆明に1泊してからはいよいよラオス。
世界遺産の古都ルアンパバーン、そしてルアンパバーンの後は今度こそ間違いなくバックパッカーの聖地、
ラオスのカオサンとも言えるバンビエンが待っている。
2002年、2004年、2009年に続き、4度目のバンビエンには自ずと期待感が湧く。

なんだかんだ、人が多過ぎて列車チケット予約などが大変だった中国だが、
どれだけいい人にあっただろうか。
中国に行くと言えば反日を心配する日本人が多いかもしれない。
でも実際には、地下鉄やバスターミナルの荷物チェックで手持ちの防臭スプレーなどが引っかかった時、
日本人というだけでスルーしてくれるケースが多かった。
宿のドミトリーでは皆当たり前のように中国語で声をかけてくるが、
日本人であることを告げると興味を持って英語で話しかけてくる若者や、
英語が話せないのにスマホのアプリでコミュニケーションを求めてくる中国人若者がいた。
自分がこれまでの旅の話や今後の住み渡りの計画を話すと、
中国人はビザ取得が難しいため日本人みたいにいろんな国に行けないんだよ〜、
と愚痴をこぼしつつも真剣になって聞いてくれる若者達もいた。
また、中国語が話せない日本人にジェスチャーで優しくメニューを教えてくれる食堂のおばちゃん達は有り難かった。
そして、一番驚いたのが、鉄道駅やバスターミナルの窓口の係員が英語を話せる、話せないにかかわらず、
丁寧に対応してくれたことだろう。
希望日時の列車が満席だった場合、メイヨー(ない)と一蹴されることなく、
前後の日付をコンピューターで調べて見せてくれたり、筆談してくれるので助かった。
いい思いばかりさせてもらったのに、駅窓口の列が長すぎると文句を言っていた自分が恥ずかしくもある。

中国には来年の夏、再び訪れるつもりだ。