広州で東京からの友人と別れた後、夜行列車で重慶に移動し、
重慶からバスで成都、そして成都から列車で20時間近くかけて雲南省の昆明まで南下し、
昆明に到着したその日に今度はバスで大理まで一気に移動した。
かかった移動時間もさることながら、やはり中国が巨大な大陸の国だと実感できる距離である。
昆明には3月2日の午前8時前に到着した。
駅を出るとなぜか一方通行で混み合っており、
また、武装警官が多くただならぬ雰囲気が漂っていた。
駅前には臨時待合室というのが設けられており、多くの人々が地面に座っていた。
この日、大理に到着してから友人のメッセージで分かったのだが、
前日の3月1日にまさにこの昆明駅で無差別殺傷のテロ事件があったそうだ。
29人が死傷したそうで、かなり大きな事件だったようだ。
思えば、成都にて2月28日の昆明行きの列車チケットが満席でとれなかったため、
翌日の3月1日の列車で昆明に移動することになったのだが、
仮に前日のチケットがとれていたら自分も事件当日に昆明駅に到着していただろう。
一日遅く成都を出発して救われた気がする。
昆明にはラオスに行く前に宿泊するので、今回は素通りで大理へ。
その前にビザなし滞在の二週間を超過しないように先にラオス行きのバスチケットを予約しておこうと思った。
列車といい、バスといい、先に予約しておかないとすぐに満席になるのが中国だと実感した。
面倒なのは昆明にはバスターミナルが行き先ごとに5つあり、すべてが郊外にあること。
大理行きのバスは西部バスターミナルから出ているが、
ラオス行きの国際バスのチケットを購入するためにわざわざ南部バスターミナルに行かなければならない。
昆明駅近くの市バス停留所から直通のバスで各ターミナルに行けるのは便利だが、
あまりにも遠い南部バスターミナルへの往復に2時間以上かかってしまった。
とはいえ、3月6日のラオスのルアンパバーン行きのバスチケットを手に出来たので一安心である。
再び昆明駅近くの停留所から今度は西部バスターミナルに移動し、
ターミナル窓口の長列でだいぶ待たされて大理行きのバスに乗り込んだのは午後1時近かった。
大理はかつてバックパッカーが長居する街として有名だったそうだ。
バックパッカーの聖地のような街として、バンコクのカオサン、カトマンズのタメル、カルカッタのサダル、
ホーチミンシティのファングーラオなんかが昔から有名だが、近いものを期待して大理を訪れると裏切られてしまう。
東南アジアのバックパッカー通りで見かけるような騒がしい西洋人はほとんどいなく、
大理の旧市街は中国人観光客で溢れている。
メインの通りには中国の観光地お馴染みの土産屋ばかりが並んでいる。
特に昼間は民族衣装をわざとらしくまとったガイドに率いられて歩く中国団体ツアー客も溢れており、
陳腐なチャイナタウンという感じがする。
昼間から西洋人バックパッカーがビールを飲んでいるバンコクのカオサンや
ホーチミンシティのファングーラオと、
奇抜なファッションの中国人のおばさんが西遊記の着ぐるみと記念撮影をする
大理のメイン通りとでは大きなギャップがある。
多少予想はしていたとはいえ、ショックである。
中国の急速な観光地化は雲南省の田舎の大理まで押し寄せているらしい。
それでも、大理の背景の大自然は昔と変わらないと思う。
西側には4000メートル級の山々がそびえ、東側には広大な湖が横たわっている。
大理を含め、湖周辺には白族という民族の村が多いので、
土産屋ばかりのチャイナタウンを離れて、湖近くの村に歩いていった。
歩くとかなりの距離。
畑を抜けていくので、自然の眺めは素晴らしかった。
白族の村は大理のメインの通りとは異なり、閑散とした田舎という感じでのんびりできるが、
湖周辺では観光客向けのホテルが次々と建築中だった。
ただ、昔ながらの村を求めるのはバックパッカーの傲慢に過ぎないかもしれない。
とはいえ、ビルが建ち並び、交通量が多い中国の都会に疲れてきた時には、
歩行者天国が多い大理の旧市街は寛げる。
メインのチャイナタウンを外れれば、民族衣装を来たおばちゃん達が路上で果物を売っているし、
小さな市場は中国というより東南アジア的なまったりとした時間が流れている。
また、大理旧市街には洋人街という通りがあり、
まさにカオサンで売られているような民族のアクセサリーや衣服、バックを売る店が並び、
洒落たオープンバーが並んでいる。
季節的な問題なのか、バックパッカーが喜びそうな洋人街でも西洋人はほとんど見かけず、
カクテルを飲んでいるのは中国人観光客のみ。
あるいは、手作りアクセサリーを路上で売る中国人のバックパッカーだったりする。
少なからず、大理でバックパッカーの聖地のような幻想を見た気がする。
大理で3日間のんびり過ごし、テロ事件があった昆明に1泊してからはいよいよラオス。
世界遺産の古都ルアンパバーン、そしてルアンパバーンの後は今度こそ間違いなくバックパッカーの聖地、
ラオスのカオサンとも言えるバンビエンが待っている。
2002年、2004年、2009年に続き、4度目のバンビエンには自ずと期待感が湧く。
なんだかんだ、人が多過ぎて列車チケット予約などが大変だった中国だが、
どれだけいい人にあっただろうか。
中国に行くと言えば反日を心配する日本人が多いかもしれない。
でも実際には、地下鉄やバスターミナルの荷物チェックで手持ちの防臭スプレーなどが引っかかった時、
日本人というだけでスルーしてくれるケースが多かった。
宿のドミトリーでは皆当たり前のように中国語で声をかけてくるが、
日本人であることを告げると興味を持って英語で話しかけてくる若者や、
英語が話せないのにスマホのアプリでコミュニケーションを求めてくる中国人若者がいた。
自分がこれまでの旅の話や今後の住み渡りの計画を話すと、
中国人はビザ取得が難しいため日本人みたいにいろんな国に行けないんだよ〜、
と愚痴をこぼしつつも真剣になって聞いてくれる若者達もいた。
また、中国語が話せない日本人にジェスチャーで優しくメニューを教えてくれる食堂のおばちゃん達は有り難かった。
そして、一番驚いたのが、鉄道駅やバスターミナルの窓口の係員が英語を話せる、話せないにかかわらず、
丁寧に対応してくれたことだろう。
希望日時の列車が満席だった場合、メイヨー(ない)と一蹴されることなく、
前後の日付をコンピューターで調べて見せてくれたり、筆談してくれるので助かった。
いい思いばかりさせてもらったのに、駅窓口の列が長すぎると文句を言っていた自分が恥ずかしくもある。
中国には来年の夏、再び訪れるつもりだ。
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