中国の昆明からの寝台バスに24時間揺られ、ラオスに入った。
自分にとって5年ぶり、4回目のラオスはルアンパバーンを訪れた限り小さな変化はあるが、
根本的なスローな部分は変わっていなかった。
昆明からのバスは中国でお馴染みの棺桶のような寝台が上下に並ぶ夜行バス。
これまでは寝台が三列なのに、今回は通路を挟んでシングルベッドが一列、
ダブルベッドが一列であり、
自分の指定された寝台はダブルベッドだったので、
見ず知らずの中国人と隣り合わせで寝ることになった。
寝返りを打つこともできず、隣を見ると坊主頭の中国人男性の顔が目の前にある。
しかも、乗客はラオスにビジネス目的で行くようなおっちゃんばかりで、
寝台バスは靴下の悪臭が充満していた。
さらに、夜はあちこちでいびき合戦が始まり、やかましくてしょうがない。
人口が多すぎる中国の移動の過酷さを最後まで味わった。
個人的にいえば、国境越えは荷物チェックなどがなくスムーズで、
中国出国、ラオス入国の手続きも簡単だった。
それでも、バスが国境を越えるということはいろいろ書類手続きがあるのか、
食事タイムも含め4時間以上は待たされることになった。
他の乗客の中国人はいつもどおりタバコを吸いつつ気長に待っているようだ。
アスファルトが完備された中国から東南アジアに入ると、
いきなりのガタガタ道でラオスの洗練を受ける。
曲がりくねった山道のアスファルトは陥没だらけで、ある意味ラオスらしい。
前回訪れたのは2009年だが、木造の家屋に暮らす人々の生活をバスの車窓から眺める限り、
ラオスはそう変わっていない気もする。
ただ、よく見てみると当たり前のように電柱が並び、電線が張り巡らされ、
それぞれの家屋の前に大きな衛生アンテナの皿が設置されている。
ラオスに初めて訪れたのが2002年。
2004年、2009年に訪れた時にもラオスの発展を目の当たりにし、
さらに5年も経つのだから発展していないわけがない。
3月6日の18時半に昆明を出発したバスは、
翌日7日の19時頃にルアンパバーンのバスターミナルに到着。
今までずっと中国人の群集を見ていただけに、
バスから降りた乗客に声をかけてくるのは数人のトゥクトゥクのドライバーだけというのが可笑しい。
トゥクトゥクとはモーターバイクを改造したタクシーだが、
ラオスの場合は軽トラックの荷台にベンチを取り付けたものなので、
大勢が集まらないと出発してくれないのが面倒くさい。
1人でトゥクトゥクを利用するとかなり割高になり、
バスターミナルの他の中国人は世界遺産ルアンパバーンの中心部には行かないようなので、
自分一人4ドルも払うはめになった。
ラオスの古都ルアンパバーンは前回の2009年のラオス旅行時に訪れていないので、
2004年からなんと10年ぶり。
メインの通りの静けさや裸電球に照らされるナイトマーケットの露店、
旅行者が集まる夜の屋台は当時と同じでほっとしてしまう。
変わった部分はメインの通りに並ぶレストランがバックパッカー向けの安食堂から
フランス人が好みそうな洒落たカフェやレストランになっていることだろうか。
10年も経てば物価も高くなっている。
フランスの植民地だった古都ではよりフランスのコロニアル雰囲気を醸し出し、
美味しそうなパン屋やカフェが増えてきている感じがする。
ラオスのコーヒーやクレープは確かに美味しい。
ルアンパバーンでは中国にはなかった圧倒的なスローな空気を満喫し、
世界遊牧住み渡りの舞台が中国人と高層ビルばかりの中華圏、
東アジアから東南アジアに移ったのだと実感した。
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