2015年7月16日木曜日

モンゴルから中国横断、フフホト〜西安〜ウルムチ列車移動(2015年6月27日)

ゴビ砂漠ツアーの休養も含めて6日間滞在したウランバートルを去り、
北京〜エレンホト〜ザミンウード〜ウランバートルのルートを遡る日がやってくる。
今回のビザなし中国滞在15日間でシルクロードを沿うように中国大陸を横断し、
新疆ウイグル自治区を駆け抜けて中央アジアへと進んでいく。

当初は来た時と同様ウランバートルから北京まで戻り、西安、ウルムチへと列車移動を考えていたが、
すでに8日間足止めをくらい、物価高な北京に戻らなくても済む方法を探す。
ウランバートルの快適なホンゴル•ゲストハウスで出会った広州出身の旅人が教えてくれたところ、
エレンホトから内モンゴル省のフフホトにバスで移動し、フフホトから西安に列車で移動すれば時間を大幅に短縮できるそうだ。
さらに教えてくれた便利な中国鉄道アプリ(時刻表、座席残数、料金はチェックできるが予約購入は外国人不可能)を調べ、
フフホトから西安行きの夜行列車があることも確認。
もちろん満席だと元も子もないけれども中国鉄道アプリを見る限りまだまだ大丈夫そう。
ついでにフフホト駅で西安からウルムチ行きの列車予約も済ませてしまおうと目論む。
ちなみに西安〜ウルムチは人気があるのか予定日の寝台はほぼ満席、
座席がとれてもリクライニングができないベンチスタイルの硬座となるだろう。
しかも乗車時間は34時間と座ったまま2晩列車内で過ごすことになりそうだ。


快適なウランバートルのホンゴル•ゲストハウスを去る。
ホンゴル•ゲストハウスではロシアへ旅立った世界周遊中の日本人カップル、
かつてイビザ島からアフガニスタン経由でユーラシア大陸を横断した元ヒッピーの62歳のタイ人、
フィルム一眼レフカメラ片手に中国、モンゴル、ロシアを旅する元カメラマン•アシスタントの日本人の若者、
7年間働かずに世界を旅している広州出身の男性、東南アジアを周遊しているアジア系のロシア人、
と旅好きの話が合う人々に恵まれ、ちょっとした飲み会も楽しんだりした。
また久しぶりの高速インターネットもありがたく、
文明からかけ離れたワイルドなツアーの反動として引きこもりのようにネットサーフィンしたりした。
ゴビ砂漠ツアーの満足感に浸りながら寛げるホンゴル•ゲストハウス滞在となった。





モンゴルから中国へ2日かけて移動する。
順調に乗り継ぎが上手くいってもウランバートル〜ザミンウード〜エレンホト〜フフホト〜西安まで40時間前後かかるはず。
まずはウランバートル17時20分発の夜行列車でザミンウードへ。
二等寝台は約23000トゥグルグ(1500円)と安い。
中国の列車もモンゴルほど安ければと願うも、
運良く西安〜ウルムチの二等寝台の切符がとれたとして10000円近くする。

なぜかモンゴル人のおばさんだらけの車両からモンゴル大草原最後の車窓を満喫する。
ゴビ砂漠ツアーで念願の遊牧民家族のゲルに泊まれた達成感も噛み締める。
思い出に浸りつつも線路と草原を隔てる柵、電柱がひたすら続く草原を眺める。


かれこれ18日間過ごしたモンゴルで見る夕日は毎回素晴らしい。
地平線にゆっくりと沈んでいく。


食事はスーパーで買ったカップ麺。
韓国食品があふれるモンゴルを東京で生活していた時も毎週食べていた辛ラーメンで締めくくる。


18日前、モンゴル国境の町ザミンウードからの夜行列車で寒さに滅入っていたもののすでに暖かいモンゴル。
半袖でも十分快適な夜だった。
夜中モンゴル人のおばさんたちが寝息をたてている車内は暗闇に沈んでおり、
車窓からの満点の星空はゴビ砂漠に近かった。


早朝7時頃にザミンウードへ到着。
足早に列車を降りていくおばさんたちを追いかけるようにバックパックを担いでプラットホームへ。
ザミンウード駅前広場には何台ものバスが停まっている。
なんとフフホトと表記されたバスもあり、急いで向かうと難なく席を確保できた。
モンゴル国境越えのようにジープではなく、またザミンウードからエレンホトまでの国境越えバスでもなく、
ダイレクトにフフホトまで行けるのが嬉しい。

バスは国境が開くのを待っているようでしばらく停車したまま。
自分はすぐに座席で眠りに陥った。

来るとき同様国境越えは簡単。
ただジープと違いバックパックを含めた荷物をすべて持ってイミグレに並ばなければならない。
と思ったら、バスのモンゴル人女性の車掌が最前列に通してくれて他の乗客よりも早く手続きが終わった。
一足先にやってくるフフホト行きのバスを待つ。
まるでラッシュアワーのように他のバスやジープを待つモンゴル人で溢れている。



再び乗り込み中国側国境へ。
こちらも難なくクリアして18日ぶり中国入国。
今回はビザなし滞在できる15日間で広大な中国大陸を東から西の辺境ウイグル自治区へ向かって横断し、
滞在日数オーバーすることなくキルギスタンに入らなければならないのでのんびりしてられない。

フフホト行きのバスがエレンホトに入ると、
バス数台が停まる駐車場のようなところで停車し、他のモンゴル人はバスを降りてどこかに消えていった。
どうやら実際にフフホトにダイレクトに行くのは数人らしい。
座席に座ったままのんびりしていると、自分もバスを降りるように先の車掌に言われる。
バックパックは車体に入れたままでいいとのこと。
出発時刻を尋ねたら腕時計の12を指した。
現在中国時刻10時なので2時間はある。
バックパックをバスに残し、リュックだけ背負って駐車場前の中華食堂に入った。
遅い朝食というか早い昼食をとりつつモンゴル人女性の指した時刻が1時間時差のあるモンゴル時刻12時、
つまり中国時刻11時ではないか気になったりする。
すでに車掌もドライバーも乗客もいなく、フフホト行きのバスは洗車中である。

ジャージャー麺を食べながら食堂の窓から洗車中のバスを見ているといきなり動き出す。
少し慌てたが給油でもしてまた戻ってくるのだろうと思っていた。
しかし、食事を終えてバスを待つもなかなか来ないし、フフホトへ向かうと思われた乗客や車掌の姿もない。
そろそろ11時が近づいてきたので駐車場を離れて歩いてみると、
なんと駐車場のすぐ近くにエレンホトのバスターミナルがあった。
しかも何気なく入ってみたバスターミナルには先のフフホト行きのバスが停車しており、
乗客も何人か座っている。
再び慌ててバス内で車掌から受け取ったチケットを見せてゲートをくぐり、チケットに記載のナンバープレートを確認。
車体を見るとバックパックも入ったまま。
何がなんだか分からないままバスに乗ると11時ちょうどにバスターミナルを出発した。
モンゴル人女性の12時はやはりモンゴル時刻だったようで早く来てよかった。
というよりも、バスの再出発場所が先に降ろされたレストラン前の駐車場ではなく、
すぐ近くにあるバスターミナルだとモンゴル人女性は教えてくれなかった。
あのまま駐車場で待っていたらバックパックだけフフホトに向かっていたかもしれない。
間一髪の状況に安堵が湧くと同時に、もしバックパックを積んだバスが行ってしまったら、という恐怖にどっと疲れが湧いてきた。
言葉が通じないのは仕方がないにしろ、詳しく教えてくれてなかったモンゴル人女性の車掌を呪いたくなったりする。

なんとか元のバスに乗り込み、モンゴルと変わらず平坦な内モンゴル省の大草原を走っていく。
人工的なゲルや観光的な看板を見つつも再び眠りに陥った。

フフホトには17時頃到着。
フフホトのバスターミナルは鉄道駅に隣接しており、
バックパックを背負ったままチケット売り場へ直行。
前もって紙に書いていた日時、列車番号、時刻を見せると、
当日21時40分発のホフホト〜西安の列車、
西安で1泊してからの2日後23時半発の西安〜ウルムチの列車のチケットを両方とも無事購入。
残念ながらどちらも寝台ではなくリクライニングができないベンチ風の硬座だったが。
おかげで料金はそれぞれ139元(2700円)、273元(5400円)と安め。
交通が混雑したフフホト駅前のレストランで旨い中華飯とビールを飲み、
ウランバートル〜ザミンウードに続く夜行列車を待った。




西安で1泊2日過ごしてウルムチへ。

西安は到着日、ウルムチ行きの夜行列車待ちの日もずっと雨で中国入って早々失望感が漂う。
21時40分フフホト発西安行きの14時間の夜行列車の硬座で最初窮屈だったものの、
深夜0時頃に到着した駅で多くの乗客が降り、ガラガラになった車両で3席を陣取って横になることができた。
睡眠はとれても陰鬱な雨が降り続けると街歩きのモチベーションが下がる。
それでも西安の世界遺産、兵馬俑は見に行った。
世界遺産だけあって体育館のようなスペースに等身大の秦時代の兵士が立ち並ぶ光景は圧巻。




ただし西安から1時間バスに乗って訪れ、入場料150元(3000円)も払う価値があるかどうか微妙だが。

兵馬俑への日帰り旅行から戻り、23時30分発のウルムチ行き列車のため20時過ぎに西安のユースホステルから鉄道駅へ。
相変わらずの雨によりユースホステルから市バス乗り場まで、
市バスを降りてから駅入口に到着するまでバックパック、
靴が濡れて不快感に包まれながら34時間の夜行列車を待つ。
やはり西安〜ウルムチは人気路線のようだ。
出発1時間前からプラットホームへのチケットチェックのゲート前に人だかり。
とりあえず硬座の指定席はあるものの早めに列と言うにはおぞましい人だかりに加わった。

実際にゲートが開き、チケットをチェックされてから巨大な荷物をかついた中国人のおじさんやおばさんを見習って
足早にウルムチ行き列車が停まっているプラットホームへ向かう。
少なからずテンションが高くなり、ワクワク感さえ抱いてしまう。
が、ワクワク感はすぐに消えてしまう。
先の巨大な荷物を持った人々は同じ車両であり、荷台は瞬間的にいっぱいになっていき、
自分の慌ててバックパックを載せておく。
車両にはなぜか南部出身と思われる浅黒い人々の20人ほどのグループと一緒で
34時間終始やかましいというありさまだった。
西安を去って早々自分のテーブルでトランプ博打が始まり、3時頃まで騒いでいる。
最悪だったのはいやらしいほど垂直で寛げない硬座という事実だけでなく、
列車連結部にドアや隔たりがないためトイレからの悪臭や連結部周辺で吸っているタバコの煙が流れてくる。
恐ろしく換気が悪い車両は臭く、息苦しく、自分以外の人も咳き込んでいた。

昼間もトランプ博打で喧しい中、シルクロードに沿った山脈や砂漠を眺めながら居眠りを繰り返す。



靴下臭い車内であまり食欲は湧かなかったけれどもカップ麺や車内販売の弁当を食べる。
20元(400)円もする弁当は肉が少なく唐辛子ばかりで旨くなかった。


時間の感覚がなくなり、前日23時半に西安を出発した列車で22時間経とうとする。
かなり西に移動したため日の入り時刻が遅い。
向かい席の中国人も疲れ果てたのか黙って西日を眺めていた。


思えば、ウランバートルから中国に戻り、内モンゴル省を大きく南側に回り込んで時計回りに西に移動してきたことになる。
車窓を流れる北の山々の向こう側に2週間前ツアーで訪れたゴビ砂漠があるという事実に感慨が湧く。
もちろんモンゴル西側から中国の新疆ウイグル自治区へと抜けられる国境が開いていればこんな長距離移動はいらなかったが。



列車での2晩目はさすがにトランプ博打連中も疲れ果てたようで床に雑魚寝している。
服務員や乗客が歩く通路には眠れないので座席の下に潜り込んで寝るという雑技団のような技だ。
閉所恐怖症でなくても辛いし、そもそも車両の床は汚すぎる。
自分は垂直の背もたれで筋肉痛になり、両足のむくみに悩まされつつ仮眠をとるしかなかった。
西安で列車に乗り込んでから31時間後に見た朝日が霞んでいたのは車窓が汚れていたからではなく、
疲労の蓄積で目も疲れていたからだろう。


西安から34時間リクライニングもできない硬座に座りっぱなしでウルムチについに到着。
新疆ウイグル自治区の中心都市である。
ウルムチには再びの休息を含めて2日滞在する。





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