モンゴルから中国に戻り、10日間で東西横断して中央アジアへ向かう。
今回の中国の旅の最後の町はカシュガル。
中国最西端にある町でウイグル族が6割以上を占めておりエキゾチックな雰囲気が漂っている。
旧市街の路地を歩いているとシリアやモロッコの迷宮のような旧市街に彷徨い込んだ気分になる。
カメラをぶら下げて路地をぶらついていると、元気な子供達が近づいてくる。
中国で子供が寄ってくることはなかったので新鮮である。
ウイグル族の子供達にこれから向かうイスラム圏の中央アジアへの期待感が湧く。
日が暮れてからモスク近くの広場を埋める屋台街にマラケシュのジャマ•エル•フナ広場を思い出す。
まだ中国にいるという事実が信じられなくなってくる。
屋台街では羊肉とジャガイモのスープに米粉を入れたものや目の前で焼いてくれる串肉を食べる。
カシュガルからキルギスタンのオシュへ月曜と木曜の週2便、国際バスが運行されており、
月曜のバスに乗る日と中国のビザなし滞在15日目が重なるようにモンゴルを出国日を設定しておいた。
1日滞在日数オーバーするごとに600元(12000円)も罰金がとられるので、
満席でバスに乗れなくなることがないようカシュガルに着いた翌日にチケットを買いにいった。
数日後にまったくもって無意味な心配と分かるのだが。
いきなりの難関として街の北側にある国際バスステーションが移転されており、
すでに閉鎖された旧国際バスステーション近くのホテルで尋ねると、
どこからかおじさんが現れ、車で連れて行ってくれることになった。
もちろんただではなく、30元なので高いが情報料として妥協する。
おじさんは街中から新しい国際バスステーションまで遠いとジェスチャーで伝えてくる。
実際にカシュガル市街から遠く、新しく建設中の広州ニューシティーという郊外にあった。
広州ニューシティーはどちらかというと建設が中断したようなゴーストタウンである。
モダンだけど閑散としている新しい国際バスステーションの窓口で聞いてみると、
月曜と木曜にキルギスタンのオシュ行きのバスが運行予定となっているものの、
前日にならないと出発確定とはならないので日曜日にチケットを買いに来いと言われる。
仕方がなく3日間カシュガルでのんびり過ごし、
日曜の午前中に今度は旧市街ちかくの西域広場から市バス4番で広州ニューシティーのバスステーションに出直す。
当たり前のようにバスチケットを取得できると思って窓口に向かうと、
なんとバスは故障中で木曜日まで待たなければ分からないらしい。
国際バスでカシュガルからキルギスタンに行く方法はなくなってしまう。
どうすべきか困惑しながら旧市街のオールドタウン•ユースホステルに戻る。
そこで同じくバスステーションにて故障中でバスが運行しないと言われたフランス人カップルと出会った。
彼らは旅行会社に問い合わせ、中国側のイミグレがあるWuqia(ウチャ)までのタクシーを手配したと言う。
タクシー1台で200元(4000円)。
フランス人カップルからの嬉しい誘いにより、有り難くウチャまでのタクシーに便乗させてもらう。
もともと570元(11400円)もするカシュガル〜オシュの国際バスに乗るつもりだったので、
1人67元は安く感じられる。
7月6日月曜日。
中国最後の街カシュガルからキルギスタンへ。
前夜オールドタウン•ユースホステルに集まっているユニークな西洋人たちと話し込み、
多少寝るのが遅くなった。
5日間滞在したカシュガルのユースホステルではヨーロッパからバイクや自転車で中央アジアを横断して中国にやってきた西洋人が多く、
一緒にキルギスタンに向かうフランス人カップルを含めて有意義な時間を過ごせた。
残念ながらカシュガル3日目に屋台で食べた羊飯があたったらしく、
4日目、5日目は激しい下痢に襲われ、カシュガルメインの日曜マーケットを訪れる気力はなかった。
オールドタウン•ユースホステル目の前に9時前から停まっているタクシーに乗り込みウチャへ。
英語、ロシア語を話せるイケメンのフランス人、
東京近くで二ヶ月間ホームステイしながらホテルで働いたことがある彼女。
カップルとはいろんな話で盛り上がった。
2時間ちょっとでゴーストタウンのようなウチャに到着し、
タクシーを降りて無意味に長いイミグレまでひたすら歩く。
不思議なことに他の旅行者や中国人はほとんどいなく、
前方に1人キルギスタン人と思われる若者が歩いているだけ。
同行のフランス人がロシア語を話せるため、キルギスタン人の若者と話し、
イミグレのあるウチャから100キロ以上離れた本来の国境のIrkeshtam(イルケシュタム)に向かうタクシーをシェアする。
中国側イミグレと実際の国境まで100キロ以上あるのは謎である。
その前に中国側イミグレで出国手続き。
理不尽なほど時間がかかった。
イミグレの建物に入ってから感じのいい女性の係員にパスポートをチェックされ、
しばらく入口近くの席で待てと言われる。
前方では西洋人の年配ツアーグループの人々が時間をかけて出国手続きを行なっているようだった。
年配グループの出国が済んでから自分らも向かおうとすると、
なぜか顔つきの恐い若い男性の係員に止められ、再びパスポートチェック。
これからタクシーをシェアするキルギスタン人若者のパスポートを丹念に眺めてから
なぜか再び入口付近で待てと言われる。
どう見ても誰も出国手続きを待っていないのに。
後からやってきたキルギスタン人のおばさんも待たされている様子。
明らかに中国人の若い男性係員の嫌がらせである。
20分くらい経って男性係員の代わりに最初の感じのいい女性が戻ってくると、
すんなりと前進することができた。
それでも中国イミグレの嫌がらせは続く。
検疫チェックで並ばされ、荷物チェックはX線に通すだけとはいえ、
肝心のセキュリティチェックの機械に電源が入っていなく、
機械が動き始めるまで無意味に待たされることになった。
すでにイミグレの建物に入ってから1時間以上が経過している。
ようやく係員の1人がセキュリティチェックの機械の電源をつけてから何もチェックされずにバックパックとリュックを受け取り、
自分とフランス人カップル、キルギスタン人数人しかいないのに出国手続きのカウンターに等間隔で並ばされる。
出国する外国人よりも中国人係員の方が多いのに手際が悪すぎるイミグレである。
モンゴルに行く際の中国出国は荷物チェックもなく数分だったのに、
出国審査で嫌がらせを受けるのは初めて。
そういえばキルギスタンに向かう中国人は1人も見かけないので両国の仲が悪いのだろうか。
1時間半かけて出国スタンプをもらう。
すでに建物の外で待っていたタクシーに4人で乗り込み、中国とキルギスタンの国境へ。
これまた嫌がらせのようにパスポートの出国スタンプチェックが途中何回かあった。
さらに中国北京時刻13時頃、新疆時刻、キルギスタン時刻11時頃にイルケシュタムの国境にたどりつくと
ランチタイムで国境が閉まっていると言われる。
しかも国境があくのは2時間後と再び理不尽な話しだった。
もし会話相手のフランス人カップルがいなければウンザリしていただろう。
カシュガルのユースホステルを出発してから6時間後の北京時刻15時にやっと国境を越え、
またまたパスポートの出国スタンプチェックを終えてからキルギスタン側へ移動。
イルケシュタムまでのタクシーを辺鄙な場所で降りる。
中国側イミグレで見かけた西洋人ツアーグループをランチタイムに追い越し、
自分と若いキルギスタン人、フランス人カップルが先導してキルギスタンのイミグレへ。
先の中国出国と裏腹にキルギスタン入国はあまりにも簡単。
パスポートに入国スタンプを押され、「キルギスタンにようこそ」と英語でウェルカムされる。
形だけの手荷物X線チェックもなく、3分後にはキルギスタンのイミグレを発つ軽トラックの荷台に載っていた。
キルギスタンはなんて楽なんだろうと思っていた矢先、
軽トラックを降りてからのキルギスタン最初の滞在場所となるサリータシュまでの乗り合いバンの交渉が難しかった。
中国側国境まで同行してくれたキルギスタン人の若者は一気にオシュまで行くのでお別れ。
フランス人カップルと一緒に交渉するもサリータシュまでのバンは4000ソム(8000円)からまったく下がらず。
3で割ると1人1333ソムと半端なので1300ソム(2600円)×3→3900ソムでお願いしても無理。
もちろん人数が増えれば一人当たり安くなるけれども他の人はまったく現れず。
思い返せばたとえカシュガル〜オシュの国際バスが故障していなくても、
乗客が少なすぎて運行していなかったかもしれない。
結局1人1333ソムで諦めてサリータシュに行くことにした。
他に交通手段がないという弱みを握られているので諦めるしかない。
ようやく乗り込んだバンはなぜか途中で停まり、
またまたどういうわけか後からオシュに向かうキルギスタン人の若者ともう1人のキルギスタン人を乗せた別のバンが現れ、
それに乗り換えさせられるという状況になり、
最初から最後まで理不尽で謎だらけの中国〜キルギスタンの国境越えとなった。
それでもサリータシュから見える7000m級の山々の絶景に癒される移動となった。
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