2015年8月23日日曜日

ビシュケクでのビザ取得耐久戦終了(2015年8月18日)

ビシュケクに滞在し始めて5週間以上経ち、
長かったビザ取得耐久戦が終了する。
11日間待たされたトルクメニスタンビザも取得でき、
タジキスタン、ウズベキスタン、アゼルバイジャン、イランと5つのビザがそろった。

ビシュケクでのビザ申請、取得の経過を改めてまとめておく。

7/9(木)  ビシュケク到着
7/10(金) 午前10時、ウズベキスタン大使館に申請日を電話予約→14(火)午前10時申請と指示
       ペルシア•エージェンシーにイランのインビテーションレター依頼
7/11(土) ウズベキスタンビザ申請書をウェブ上で作成し、プリントアウト

7/14(火) 午前10時、ウズベキスタンビザを申請→17(金)に電話確認と指示
       正午、タジキスタンのビザも申請する→午後3時、タジキスタンビザ取得
7/17(金) 午後2時、ウズベキスタン大使館に電話確認→午後4〜5時にかけ直すよう指示
       午後4時半、ウズベキスタン大使館に再度電話確認→21(火)午前10時受取と指示
7/18(土) イシククル湖へ2泊3泊週末旅行

7/20(月) イシククル湖からビシュケクに戻る
7/21(火) 午前10時、ウズベキスタンビザ取得
       ペルシア•エージェンシーにてインビテーションレター催促①
       →いつ届くか不明とのこと
7/23(木) アルマティへの4泊5日週末旅行

7/27(月) アルマティからビシュケクに戻る
7/28(火) アゼルバイジャンビザ申請に必要な書類準備
                    ペルシア•エージェンシーにてインビテーションレター催促②
                   →本国に電話確認してくれるとのこと
7/29(水) アゼルバイジャンビザ申請→8/5(水)に電話確認と指示

8/3(月)   ペルシア•エージェンシーにてインビテーションレター催促③
       →再度本国に電話確認してくれるとのこと
8/5(水)   午前10時、アゼルバイジャン大使館に電話確認→まだビザが出来ていないとのこと
8/6(木)     ペルシア•エージェンシーからインビテーションレターがイラン大使館に届いているとメール通知
8/7(金)   午前10時、アゼルバイジャン大使館に2回電話確認→大使が不在とのこと
        午前11時、イラン大使館へ→午後3〜5時に改めて来るように指示
        午前11時半、直接アゼルバイジャン大使館へ→アゼルバイジャンビザ取得
        午後3時、トルクメニスタンビザ申請→8/17(月)に電話確認と指示
        午後4時半、イランビザ申請→銀行払い込み後、8/10(月)に来るように指示

8/10(月)  午前10時、イラン大使館でパスポートホールド
8/11(火)  午前10時、イランビザ取得

8/17(月)  午前10時、トルクメニスタン大使館に電話確認→まだビザが出来ていないとのこと
        午後3時、トルクメニスタン大使館に電話確認→ビザが用意できたので銀行払い込み指示
        午後4時、トルクメニスタン大使館でパスポートホールド
8/18(火)  午前11時、トルクメニスタンビザ取得
8/19(水)  ビシュケクからオシュへ

◎ビザ取得手続きの詳細

ビシュケクでのウズベキスタン、タジキスタンビザ申請
ビシュケクでのアゼルバイジャンビザ申請、これまでのビザ取得耐久戦経過
ビシュケクでのイランビザ、トルクメニスタンビザ申請


サクラゲストハウスから移って10日間怠惰な生活を送った南旅館もついに去る。
ドミ部屋2室だけの集合団地の狭い空間に長居する7〜8人の日本人旅行者と雑談し、
シェア飯の買い出しに行ったり、野菜を切ったりし、
夜な夜な酒を飲み交わす合宿のような、シェアハウスのような日々も終了。
これまで1年9ヶ月以上過ごしてきたアジアや今後の中央アジア諸国、ヨーロッパ、北中米おいても
ビシュケクほど多くの日本人旅行者が集い、
長ければ1ヶ月にも及ぶビザ待ちという同じ境遇の老若男女の旅人と何日も一緒に沈没することはないだろう。



ビシュケクの南旅館から久しぶりに重いバックパックを担ぎ、
怠惰な沈没生活から旅人として未知なる世界を廻る生活に戻る。





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