街のど真ん中にパスポートチェックのイミグレがあり、
円形の旧市街を南北に分断する国境線が走っているニコシア。
トルコ以外の国連加盟国に国家承認されている南のキプロス共和国の首都であり、
トルコにしか国家承認されていないが独立国家の形をとっている北キプロスの首都。
東西ベルリンが統一された現在、世界唯一かもしれない街の中心に国境が引かれている首都ニコシアを実際に訪れてみる。
キプロス共和国の地中海リゾートのラルナカ4泊、パフォス2泊の6泊7日の日程。
ザギントス、サントリーニ、キプロス、そしてロードスと続く季節外れのエーゲ海、
大人の格安バカンスの第三弾となる。
厳密に言うと、ザギントスとキプロスはエーゲ海でないけれども。
キプロスはギリシャよりもトルコや中東のシリア、レバノン、イスラエルに近い。
1時間45分の短いフライトなのに機内食が出るのが嬉しい。
ラルナカ国際空港の滑走路に他の飛行機が見当たらず、トランジットルームも閑散としていた。
ギリシャと同じくEU諸国なので入国は簡単。
活気のない空港二階出口から市バス乗り場に歩き、ラルナカ市街に向かう。
ラルナカ最初の3泊の滞在はPetalmo City Apartmentsというホリデーアパート。
地中海リゾートのラルナカにおいてベランダ、キッチン付きで1泊20ユーロ(2700円)のホリデーアパートはコスパがいいかもしれない。
キッチンで自炊して食費も節約出来る。
パスタを作って免税店で購入したTsipouroというギリシャの酒に酔いしれた。
やはり大人の格安バカンスはこうでなければ、と中央アジアを旅してきた節約バックパッカーは思う。
イタリアやスペインを含めた南欧、アテネも冬の寒さに覆われつつあるのに
陽光が射す日中のラルナカで暖かささえ感じる。
こじんまりとした地中海リゾートのビーチで缶ビールを飲みながら日光浴している人や少なからず海水浴している人がいる。
断崖絶壁から眺めるエーゲ海と異なる波の心地よさがある。
長年手に触れていないクリスマスツリーが海に向かった桟橋に突っ立ている。
ラルナカを海沿いに南下して行くと、空港近くに塩湖が現れる。
ウユニ塩湖やイランのオルミーエ塩湖に比べると小さすぎるけれども、
鏡張りの塩湖に周囲の景色が映り込んで綺麗だった。
若干靴が塩湖のぬかるみにはまっていくのに気をつけながら水際まで歩き、夕焼けを待つ。
他に誰もいないラルナカ塩湖は静寂に包まれている。
一瞬フラミンゴかと思った水鳥も微動たりともしない水面に反射している。
空を貫いていく飛行機雲がいい味を出している。
やがてラルナカ塩湖の向こうに太陽が沈んでいく。
先週の今頃、サントリーニのイアから眺めたサンセットに遜色ない日の入りに見とれる。
断崖絶壁からのエーゲ海の絶景はないものの、
鏡張りの塩湖により夕日の美しさも2倍になっている。
一週間前のサントリーニの最高の夕焼けに重なったからか、
あるいは周りに誰一人いないからか、深まる感慨も大きくなる。
再び現実離れした鏡張りの夕焼けの世界に塩まみれの靴を気にすることなく立ちすくむだけだった。
ラルナカ塩湖の幻想的でもあったサンセットに圧倒された翌日、日帰りでニコシアを訪れる。
ラルナカ市街のビーチ沿いのバス停からニコシア、パフォスの経由地となるリマソル行きのインターシティのバスが出ている。
そう本数が多くないので時刻表で予めチェックしておく。
ラルナカから1時間でニコシアの円形旧市街沿いのバスステーションに到着。
要塞のような円形の街を上下半円に分けるようにグリーンラインが引かれている。
wikiによると、「キプロス島にある南部のギリシャ系住民が支配する地域と、
分離独立を求めている北部のトルコ系住民との衝突を抑止するために1974年に国連が引いた緩衝地帯(停戦ライン)の通称」がグリーンラインだそうだ。
つまりキプロス共和国と北キプロスの国境線のようなものだ。
旧市街の趣があまりないキプロス側のニコシアを北に向かって歩いて行く。
小洒落た歩行者天国に見馴れたマックやKFC、スターバックス、ファッションショップが並んでいる。
歩行者天国の延長のように何の前触れもなくイミグレが現れる。
円形の旧市街のど真ん中にあるパスポートチェックポイント。
地図に表示されないが、ここがキプロス島を南北に分断するグリーンラインが走っているところであり、
キプロス共和国から北キプロスへの越境ポイントとなっているのだろう。
イミグレ窓口での手続きは簡単。
係員がパスポートを見ながらキーボードを叩くだけでスタンプが押されることがない。
自分のパスポートを返してくれる際、イミグレ係員が日本に行きたいけど高いなどと笑いながら言う。
とりあえず南側のキプロス共和国を出国したことになり、
道路一本分の緩衝地帯を歩く。
振り返ってみると、好天のもと、キプロス共和国とEUの旗がうつむいていた。
東西が封鎖された道路を渡ると北キプロス側のイミグレになる。
通行者は越境手続きをしているというより売店に並んでいるような感覚だろう。
北キプロスのイミグレ窓口でもスタンプは押されなかった。
北キプロス側のニコシア、別名レフコシャに入ると、
ギリシャ語と英語表記のキプロス共和国からトルコ語一色の世界に変わる。
エフェスビールの売店に1ヶ月前にいたイスタンブールが懐かしくなる。
尚、北キプロスにおいてトルコリラが通貨なのでユーロは使えるもののあまりレートがよくない。
あまりにも激変したトルコ世界にテンションが高くなり、旧市街を歩き回る。
グリーンライン前の小洒落た歩行者天国から一転、
ところどころが壊れかけた石造りの旧市街にヨーロッパというより中東に近いものを感じる。
街にはモスクがあり、ハマムもある。
また、案内板の地図を見る限り国境線は描かれていないけれども、
南側に行くと有刺鉄線で越えられないグリーンラインが不意に現れる。
有刺鉄線の壁の向こうに道路一本分の緩衝地帯があり、
その先にギリシャ系住民が住むキプロス共和国が当たり前のように広がっている。
同じ街なのに南北を隔てるグリーンラインによってがらりの雰囲気が変わるニコシア。
やはり世界広しといえども、こんな首都見たことがない。
要塞のすぐ外にはトルコのアタチュルクの銅像が立っている。
旧市街のどこからでも見える小高いミナレットを目指して歩いていると、
パリにあるようなゴシック調の大聖堂が現れる。
どうみても大聖堂なのに後付けのようにモスクのミナレットがそびえている。
パリのノートルダム大聖堂のように頭上にあるはずのガーゴイールの頭はもぎとられている。
上空を突き刺すミナレットとミナレットの間でゆらめくトルコと北キプロスの国旗がキプロス共和国から北キプロスとして独立宣言した首都の象徴のようにも見える。
かつて聖ソフィア大聖堂と呼ばれた建物は現在セリミエモスクとなっている。
内部も大聖堂のゴシック様式を残したまま十字架の類はすべて排除されて絨毯を敷かれたモスクである。
モスクに改造された教会のようだ。
静かなモスクの絨毯に座りいまだ解決しない南北キプロス問題を思ったりする。
尚、教会の十字架がもぎ取られ、ミナレットが付けられて改修されたのはキプロス紛争よりずっと前、オスマントルコ帝国の征服によるものだそうだ。
セリミエモスク近くに小さなバザールがある。
野菜や売られている奥内バザールはヨーロッパより中東、アジアに近いかもしれない。
トルコで見かけたような布やランプを売る店もあり、懐かしさがこみ上げる。
寒さがつのるヨーロッパから一時的に脱出した感覚が芽生える。
物売りのおじさんたちも和やかなトルコ人と変わらない。
EU圏のギリシャやキプロスに入ってから物価が急激に上がり、
安食堂でまともな食事をとるのがままならなかったけれども、
北キプロスの首都ニコシアでは普通にランチが食べられる。
庶民的な食堂でトルコでお馴染みの肉団子キョフテを注文すると、
サラダとフレンチフライ、食べ放題のパンがついて4ユーロ(550円)だった。
日中は暖かくても北半球の冬の日照時間の短さを避けられないニコシア。
日の入りは16時半なので西日を浴びる旧市街をうろつく。
朽ち果てた石造りの建物が異国情緒を誘う。
イスタンブールからEUのブルガリアに入り、
ギリシャにかれこれ3週間近く滞在していると地元の人との交流が希薄になっていたが、
久しぶりに元気な子供達や陽気な青年に声をかけられたりして旅の感覚が高まっていく。
季節外れのエーゲ海、大人の格安バカンス第三弾として訪れたキプロスでいまだかつて見たことないふたつの国に共有される首都を訪れていろいろと考えさせられた。
2015年、今年も残りわずか。
クリスマス直前、アテネからロンドンに飛ぶ前に大人の格安バカンス第四弾、
最後にアテネからトルコにほど近いロードス島を訪れる。
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