2014年3月10日月曜日

中国一人旅再開(2014年2月25日)

広州、ハノイで8日間共に過ごした友人が東京に帰り、再び中国一人旅が始まった。

70日間滞在した香港を出発した2月15日の夜、広州空港に友人を迎えに行き、
広州、ハノイ、ハロン湾、ハノイ、広州と旅行して廻ったのだが、
予想に反して広州、ハノイが寒かったこと、
移動が多かったこと、不規則な睡眠時間でお互い風邪をひいたり、下痢になったりと体調を壊して大変だった。
予約したハノイの宿の暖房が故障しているとかで別の宿に移動させられたり、
船での1泊を楽しみにしていたハロン湾のツアーは天候の理由で船内泊ができない、
などの悪運も続いた。
住み渡り中の束の間のバカンスからはほど遠いハードトリップになってしまった。
結局、久しぶりの友人との再会で夜遅くまで飲み語り合う時間もなく、
再びの一人旅のスタートとなる。
ちょうど35歳の誕生日の2月23日のことだった。

友人は早朝の5時半頃に広州の宿をタクシーで去る。
自分は当日の午後の列車で広州から22時間かけて重慶に向かう。
友人のタクシーを見送り、1人になると異様に広く感じられる2人部屋で二度寝をする。
10時過ぎに目覚めた時には再び1人になってしまったという現実感が湧かなかった。


友人と過ごした期間、曇り空で肌寒かった広州の最終日は皮肉にも陽光で溢れている。
中国では何度も夜行バスに乗ったことがあるが、実は夜行列車というのは初めて。
広州駅で長列に加わって切符と身分証の提示、荷物のセキュリティーチェックは面倒だったが、
おかげでプラットフォームや列車内は乗客のみで、インドや東南アジアのように物売りがいなく、
物足りなさはあるものの、治安の面では安心できそうだ。
指定の車両に乗る前に切符を車掌に渡し、
代わりに寝台の番号が記載されたカードを受け取るシステムで、
乗客がどの駅で降りるかすべて管理されているような感じがする。
夜中や朝方に目的地に到着する場合は車掌に起こしてもらえそう。
まぁ、今回は終点の重慶北駅までなので何の心配もないが。

寝台は上中下三段あり、自分の寝台は一番下だったが、インドの列車のように他の乗客が腰かけているということはなく、
すでに枕と布団がセットされているので、横になりながらの快適な22時間の列車旅である。
食事は駅弁のような中華食とカップ麺で悪くはない。

短期間で広州とハノイを往来した疲労もあって、列車ではほとんど寝てばかり。
たまに川に沿った村や街、山々を眺める。
薄らと霧に包まれた風景はいかにも中国という感じ。
重慶周辺は雄大な長江の流れによる景勝地が広がっているようだ。
また、ハイスピードで発展していく都市部とはかけ離れた農村の風景も車窓に続く。




誕生日の翌日、午後3時頃に重慶に到着。
雨は降っていないが、霧がかかったような灰色の空。
長距離列車でずっと眠っていただけあってバックパックを背負うとふらつく。

重慶は古くて薄汚れた部分とモダンさを兼ね備えた重厚な都市だ。
都市の人口は700万らしいが、周辺を含むと2800万人が住む巨大な都市圏だそうだ。
重慶北駅から乗ったメトロは一部地下鉄で、一部スカイトレインらしく、
高層ビルが建ち並ぶ都市が眼下に広がる光景は独特である。




一人旅が再開してから、ずっと列車の中だったので、
うっぷんを晴らすかのようにホステルにバックパックを置いて早々、重慶を歩き回る。
重慶では長江と嘉綾江が合流し、独特な地形になっている。
また、川が流れている場所と川辺の高低は大きく、街が天空にあるように感じてしまう。
川に架かる橋は頭上高く走っている。
長江の横断手段として面白いことにケーブルカー、ロープウェーがある。
川に架かるケーブルカーはこれまで見たことがないと思う。

翌日、中国人でぎゅうぎゅう詰めのケーブルカーに乗って、霧に包まれた重慶の街を眺めたりする。
長江に架かる橋も圧巻で、見た目に凄みのある重慶のような都市はそうないと思った。
一人旅が再開して、最初の街として幸先がいい。







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