2005年のイラン旅行で足を延ばさなかったバンダルアッバースからアラビア半島に船で渡れるという。
今後のルートとして船でのクウェート入国も考えたが、空港でアライバルビザ取得が簡単で、
カタール航空を利用すればドーハにストップオーバー出来るので海路でなく空路を選ぶ。
純粋にペルシャ湾を見るべくシラーズからバンダルアッバースをわざわざ訪れる。
10年ぶりのシラーズ訪問で前回見逃していたマスジェデ•ナスィーロル•モルク、
別名ピンクモスクのステンドグラスから差し込早朝の陽光に魅了される。
二度目のペルセポリスで見た夕日に未知の国を訪れるよりも
一度訪れた国を再訪する方が感動が深まるのではないかと思ってしまった。
また、偶然街中で見かけたパレードを追っていくと鏡のモスクにたどり着き、
ホセインを追悼する儀式を眺める。
ライトアップされたモスクはもちろん、鏡で覆われたモスク内部にも目が釘付けになる。
追悼儀式に集まる人々の熱気も凄まじい。
二度目のシラーズはエスファハーン以上にペルシャの美に魅了された。
シラーズ〜バンダルアッバースは夜行バスで移動。
前日に続き、シラーズ最終日もマスジェデ•ナスィーロル•モルクを訪れ、
虹色の模様がこぼれる空間の虜になる。
夜行バスに21時頃乗り込むも出発は22時過ぎ。
快適なVIPでなく20万リアル(700円)のノーマルバスは途中からエアコンも効かず暑苦しかった。
朝晩寒かったジョージアやアルメニア、これまでのイランと異なり、
東南アジアや南インドのように蒸し暑いバンダルアッバース。
バンダルアッバースのバザールはイランというよりオマーンやイエメンに近い気がする。
パキスタン人の物乞いも目立つ。
直接カメラを向けるわけにはいかないので、サチコさんとマキヨさんに試着してもらう。
バサールの人々はこれまたフレンドリーで何度も写真をせがまれる。
Tシャツが汗でぐちゃぐちゃになる炎天下を避け、日陰のバザールで写真撮影。
10月後半に入ったのに暑すぎるバンダルアッバース。
ちなみに夏の最高気温は50度後半に軽く届くという。
バンダルアッバースのモスクのミナレットは暑すぎる青空に届きそう。
宿が高いバンダルアッバースで初めてカウチサーフィンを利用。
カウチサーフィンに登録しているサチコさんがホストを捜してくれ、
これまで何人もの宿泊客を迎え入れてきたオミードさん宅にお世話になる。
午後に会って早々、イラン料理のゴルメサブジをご馳走してくれて嬉しい。
バンダルアッバース自体海とバザール以外にそれほど見どころはなく、
とにかく蒸し暑い町なのでオミードさんが勧めてくれたホルムズ島を訪れてみる。
バンダルアッバースのバザール向かいの港から40分ちょっと。
片道4万リアル(140円)でペルシア湾に浮かぶ直径5キロ弱のホルムズ島へ。
ホルムズ島に到着すると地形はもはやイランではなくイエメンの漁港アデンのよう。
対岸のバンダルアッバースの大気汚染のせいか、ペルシャ湾の湿気のせいか、
海に青さがなく、風景が霞んでいる。
ホルムズ島にも仮面を被った女性がいる。
建物の壁画にもこの地域の象徴のように描かれている。
バンダルアッバース以上に暑い中、波で打ち寄せられたゴミだらけの浜辺に沿って要塞を目指して歩く。
リゾート空気は皆無で漁港特有の腐った魚の生臭さが漂っている。
殺伐とした町はゴーストタウンのようだが、島人は穏やかな表情。
やはりイランよりもイエメンに近い。
目の前に現れた廃墟と化した要塞。
赤土のせいで歩いているとサンダルが赤く染まっていく。
要塞近くからのぞいてみると海水を泳ぐ魚がいる。
とはいえ透明度が小さいホルムズ島の海。
要塞の敷地にも入ってみる。
正午になっていないのに日差しが厳しく、
リュックを背負っていると背中が汗で濡れてくる。
数日前に朝晩が寒いイラン内陸部にいたのが夢のようだ。
要塞で男に案内された貯水池はサウナのごとく蒸し暑い。
ちょっとだけ要塞を探索し、早くもギブアップ。
正午過ぎのボートでバンダルアッバースへ引き返す。
イランで訪れたペルシャ湾の島は内陸周遊で乾いてきた心身に潤いを与えてくれる。
バンダルアッバースから夜行バスでヤズドに移動すれば10月22日。
福岡から釜山に渡り、世界遊牧住み渡りを始めてからちょど2年が経過する。
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