洗練されたヨーロッパをアゼルバイジャンのバクーで先取りしてからジョージアのトビリシへ。
まだグルジアと呼ばれていた2005年に訪れたときビザが必要な国だったが、すでにビザ不要国。
中央アジアを抜けるとビザ取得の心配がなくなり気が楽になる。
バクー20時半発の夜行列車でトビリシまで行ける。
3等寝台で21マナト(2400円)。
20時前にプラットホームに行くとすでに列車が停まっている。
奥のダブルデッカーのモダンな電車ではなく手前のロシア製の車両だった。
アゼルバイジャン〜ジョージアの国際列車なので夜中起こされると思っていたが、
まったくパスポートチェックの様子はない。
目覚めるとすでに午前6時。
国境まで意外と時間がかかったものの、午前7時頃にアゼルバイジャンの出国手続き。
列車内にイミグレ係員が乗り込んで手続きを行なわれる。
順番に車掌室に呼ばれ、イミグレ係員の頑丈なラップトップでパスポートのバーコードをスキャンされる。
備え付けのカメラで写真も撮られ、アゼルバイジャン出国手続き完了。
再び寝台に横になり、1時間近くたってから今度はジョージア入国手続き。
ジョージア側ではパスポートを預けるだけで係員と対面なし。
でも車両内での軽い荷物チェックがあった。
中央アジアの国境越えのような面倒臭さが皆無で東欧の陸路国境越えに似ている。
時差調整で腕時計を1時間遅らせる。
すでに日本時刻マイナス5時間で東京や香港よりパリやロンドンの方が近い。
午前11時過ぎに10年ぶりのトビリシに到着。
オンボロだった駅がちょっとしたステーション•ショッピングセンターのようになっており驚く。
ラップトップやスマホを並べている電化製品店に陰気な旧ソビエトぽっさがない。
今回のトビリシ滞在の宿泊先はホステル•ジョージア。
ネット予約サイトで汚いなどと叩かれていて人気なさそうだけど日本人旅行者に好評な安宿。
狭いバスルームの水回りの悪さ、梯子がなくて上り下りに骨が折れるドミのバンクベッド、
交通量の多い通り前の騒音などデメリットが多いけれども、
ビシュケク以来の日本人宿。
久しぶりにディープな日本人が集まる宿にほっと一息つける。
新市街をぶらつく限りトビリシの街並に変化が感じられない。
同時に安心感もある。
ソビエト風の住宅のボロさは中央アジアのビシュケクにもなかったかもしれない。
物価も安めで中央アジアに戻ってきた錯覚を覚える。
バクーのバブリーな高層ビル群のラッシュもなく、逆にちょっとした建設中のビルが際立っている。
キリル文字を覚えざるを得なかったキルギスタン、カザフスタン、タジキスタン、
アルファベット表記になったウズベキスタン、トルクメニスタンから一転して解読不能な文字が目に飛び込んでくる。
あまりにも奇妙な文字の形にもはや文字というよりアートの一種のように目に映ってしまう。
川を渡った旧市街の夜は東欧を思い出させてくれる。
ホステル•ジョージアで再会したり、新しく出会った旅行者4人で旧市街の小高い丘に登り、
吸い込まれるような夜景を眺めた。
トビリシ滞在4日間もあるのでまたまた再会したマキヨさんに勧められたカズベキを訪れる。
ホステル•ジョージアで出会ったインドから飛んで来たばかりの22歳の若者リオ君と日帰りでカズベキ旅行。
朝8時頃ホステル•ジョージアを出発し、歩いて10分のステーション•スクエアからメトロに乗り、
3つ目のDidube駅で降りる。
Didube駅に隣接したマルシュ乗り場からカズベキ行きのマルシュルートカに乗れる。
ここ最近の移動は鉄道とシェアタクシーばかりであり、マルシュはキルギス以来かもしれない。
やはり旅のスタイルも中央アジアっぽい。
マルシュ乗り場に行くとすぐにカズベキ行きのマルシュの客引きに声をかけられる。
ダイレクトでカズベキまで行くローカル用のマルシュと途中の名所で何度か立ち寄ってくれる観光客用のマルシュがあるようで、
行きは15ラリ(750円)の観光客用の交通手段を選ぶ。
中央アジア同様、マルシュやシェアタクシーは満席になるまで出発しないのが難。
アゼルバイジャンに入り、効率の悪い移動手段が終わったと喜んでいたのにジョージアで中央アジアの延長戦のようだ。
バンの席についてから1時間以上待たされることになった。
日帰り旅行でいきなり足止めを食らうのはつらいが、出発までひたすら眠りまくった。
ホステル•ジョージアではビシュケクの日本人宿サクラゲストハウス、南旅館のときのように飲んべえ生活。
朝方の小雨もあがり、最初の名所ストップ。
ダムの湖畔に立つアナヌリ教会。
この日は土曜日だからか地元の観光客や子供達が多い。
陽光が出ていなくても微動たりしないダムをバックグランドとした教会はジョージアらしい。
まるでヨーロッパの観光地に紛れ込んだごとく団体客だらけの教会内にも入ってみる。
ジョージア正教はカトリックやプロテスタントとも異なり、
特にウズベキスタンやトルクメニスタンでモスクばかり見てきた目に新鮮に映る。
観光客用のマルシュとはいえ、ストップ時間は10分のみ。
乱暴な運転のマルシュに再び揺られ、次の名所はロシアとジョージアの友好記念碑。
カズベキ北10キロ先にはロシアがあり、すぐ西側には南オセチア共和国がある。
ここもまたロシア系、地元の観光客、さらにはヨーロッパからの団体客で溢れている。
土産屋も多く半ば日本の観光地のようでもある。
それでもロシアとジョージアの友好記念碑のモザイクに見入ってしまう。
断崖絶壁からの景色に地元の若者でなくてもポーズを撮りたくなってしまう。
モデルはなかなか写真撮影を終えないジョージア人とカズベキ日帰旅行の相棒のリオ君。
友好記念碑を過ぎると、タジキスタンのパミール高原に劣らない山々の絶景が続く。
そしてついに5000mのカズベキが現れる。
パミール高原以上に地上と山頂で落差があるので壮大に映る。
タジキスタンで一週間山漬けの後でもテンションが上がってしまうカズベキ山。
正午過ぎにカズベキ到着。
結局観光客向けのマルシュが途中止まってくれたのは二ヶ所だけだった。
カズベキ村は観光地だけあって安いローカル食堂が見つからず、
たいして美味くもないのに4ラリ(200円)チーズパイを山登り前の腹ごしらえにする。
土曜日だからか若者グループが多い中、小高い丘に立つ教会に向かってハイキング開始。
教会ははるか山頂に佇んでおり、ハイキングというよりトレッキングになりそう。
少し登ればマルシュを降りた村が小さく見え、背景の険しい山々が絵になる。
思っていたよりずっと楽な山登り。
知らぬ間に急勾配の崖登りコースでなく、緩やかなハイキングコースを選んだからかもしれない。
でも22歳の若者リオ君は息を切らしている様子。
14歳の年齢差がある元気いっぱいの若者と同レベル以上でトレッキングできる自分に自信が持てそう。
いや、ニコニコ顔の地元ジョージア人の少女たちはどんどん登っているので、
最近の日本の若者が体力不足なのかもしれない。
…なんて言い始めたら、おじさんの仲間入りしそうだ。
牛がのんびりと戯れる草原の道を進むと、秋の落ち葉が絨毯の山道になっていく。
ぐっと近くなるカズベキ山。
雪化粧の山頂は薄らと雲に覆われている。
速い鼓動で登っていると半袖でも暑いくらいだけれど、
立ち止まると空気が肌寒い。
1時間強で小高い山を登り詰め、視界が開ける。
断崖絶壁に立っていた教会もすぐ近くに見える。
途中から予想していたことだが、教会周辺は凄まじい人混み。
ハイキングしている若者以外にも自動車で訪れる人が多いようで、
草原が駐車場になっている。
大自然にぽつんと佇む教会を期待していただけにどん引きのディズニーランドのお城のようだ。
ドラクエの教会というには抵抗がある。
それでも周囲の大自然の圧倒的な美しさに頭の中でシガーロスの音楽が流れてくる。
丘に佇む十字架の前で寝そべる犬に牧歌的な空気を感じる。
せっかくなので教会の内部まで足を運んで山登りを締めくくる。
教会には観光客以上に経験的なジョージア人の信者が多く、
荘厳な雰囲気に垢抜けたテーマパーク感が蒸発した。
最後に教会前の断崖絶壁でリオ君に写真を撮ってもらう。
モデルが誰であれ様になる絶景。
山下りは緩やかコースではなく、断崖絶壁コースを選ぶ。
息を切らしながら急勾配を登る若者たちを冷やかしながら下るつもりが、
滑りまくる砂利道に冷や冷やで他人に構っている暇がない。
何度かバランスを崩し、靴が滑って尻餅をついたりした。
40分ほどで一気に落ちるように下り、16時頃マルシュ乗り場へ。
帰りはローカルの10ラリ(500円)のマルシュルートカを選んだが、
まさか1時間半も満席になるまで待たされるとは思ってもみなかった。
にほんブログ村
↑↑
いいね!と思われましたら
閲覧ごとにクリックお願いします!
0 件のコメント:
コメントを投稿