まもなく日本を発ってから2年が経過する。
オーストラリアとニュージーランドを含めて2年間滞在したアジアを舞台とした旅が終わりに近づく。
今回の世界周遊で訪れたのは25ヵ国。
26ヵ国目、そしてアジア最後の国としてイランを10年ぶりに周遊する。
2005年にパリからヨーロッパ、トルコ、グルジア、アルメニア、イラン、パキスタン、インド、東南アジア…と、
ユーラシア大陸を横断していた際、国際バスでイェレバン〜テヘラン間を移動した。
現在このバスの料金は55ドルと高く、同じ方法で再びアルメニアからイランへ移動するのも味気ないので、
今回マルシュルートカ、シェアタクシーを乗り継いで国境越えを試みる。
メンバーは中央アジア諸国、コーカサス三国でちょくちょく一緒だったマキヨさんとサチコさん。
1人だと割高でも手っ取り早い国際バスで妥協してしまいそうだけれども、
3人いればローカルな乗り物を乗り継いで安く行けそう。
その恩恵はクラシック•ホステル•イェレバンを早朝7時に発ったときから受けられた。
1人の場合、マルシュルートカでバスステーションに向かうのが定番だけど、
3人なのでタクシー1台をシェアして合計1000ドラム(250円)。
イェレバンのバスステーションからゴリス、メルグ、イランとの国境にほど近いアガラクと移動していく。
ステパナケルト行きの途中下車でメルグ行きを乗り継ぐのに、
5000ドラム(1250円)と距離に関係なく同料金なのがマルシュの理不尽なところ。
いずれにせよ、今日でマルシュの利用は最後。
マルシュルートカでの街移動が日常茶飯事の中央アジア諸国、コーカサス三国の旧ソビエト圏から中東のイランに入れば移動は快適なバスになるだろう。
ゴリス行きのマルシュの屋根にバックパックを載せているのを見守るも、
ゴリスまでの道程何度も雨が降り、深い霧に覆われた山中を進んでいくので、
3人のバッグは防水カバーをしていても浸水してしまった。
イェレバン最終夜は快適なホステルで再びザリガニパスタを食べ、
禁酒のイラン前に残ったブランデーを飲み干した。
夜遅くまでネットサーフィンもして寝不足での早朝起きのため車中爆睡。
夢にまでザリガニが出てきそうだ。
途中の休息ポイントでステパナケルト行きの日も見かけた売店の女性と記念撮影。
女性がチャドルで肌を隠しているイラン入国前にアルメニア美人を見納めする。
正午近くに雨が降り続けるゴリスに到着。
せっかくロシア圏の旅が終わり、新しい旅の舞台として中東に入るのに濡れてしまったバックパックを背負っているとテンションが下がる。
いきなり声をかけてきたタクシードライバーとイラン国境、あるいはメルグ行きを交渉するも、
25000ドラム(6000円)だったり、50ドルだったり、高すぎてパス。
マルシュ降車地のガソリンスタンド近くで停まっている別のタクシードライバーと交渉してみる。
22000ドラム(5500円)から始まり、
最終的にメルグ先のイラン国境アガラクまでのマルシュルートカ代、
マルシュルートカとの合流地までのタクシー代1人5000ドラム(1250円)でまとまった。
イェレバンからゴリス経由で一気にメルグ、アガラク、国境まで行く交通手段を知らなかったのはうかつ。
それでもイェレバンからイラン国境まで合計2500円なので国際バスよりずっと安い。
が、13時にタクシードライバーが連れて行ってくれた合流地に現れたマルシュはすでに満席で、
途中の街で何人か下車するまで狭い通路の風呂椅子に座り、
山道のカーブで椅子が転倒しそうになるのを太ももに力を入れて堪えなければならなかった。
ようやく乗客が減り、席を確保してからも爆睡。
16時頃にようやくアガラク先のイラン国境に到着した。
相変わらず雨が降り続ける中、マルシュで一緒だった親切なイラン人男性グループと国境まで歩く。
周辺の山々は険しく、
アルメニア側のイミグレは近くても雨の中歩くのがしんどい。
アルメニアの出国はX線の機械にバックパックを通すだけ。
出国スタンプも簡単に押される。
確か2005年にここを通ったときはアルメニア出国後になぜかロシア連邦の出国手続きもあったが、
現在はなくなっていた。
再び雨の中を歩き、川に架かる橋の向こうのイランのイミグレに向かう。
イラン側も思っていた以上にスムーズ。
中央アジア諸国入国時のように用紙を記入したり、税関申請も必要ない。
こちらから挨拶しても返答がない無愛想なイミグレの男性に入国スタンプをもらい、
X線の荷物チェックではなぜかバックパックにしまっている古い腕時計だけをチェックされ、
なんなくイラン入国。
ビシュケクにてインビテーションレター待ちで27日間要しただけあって入るのが楽なイラン。
イミグレオフィスにある両替所で50ドルをイラン通貨のリアルに換えておく。
1ドル=34500リアルらしく、170万リアル以上ももらう。
桁が多すぎてややこしいイラン通貨。
0を一つ切り捨てたトーマンという呼び方が一般的なようで、
国境からタブリーズまでのシェアタクシー代は1人300000リアル=30000トーマン(900円)で頭が混乱しそう。
タクシー代の交渉はゴリスからのマルシュで一緒だったイラン人のおじさんが行なってくれ、
いきなり親切なイラン人のもてなしを受けた感じがする。
タクシーで体が温まるチャイをもらったりする。
10月上旬のイラン北部は雨が降り、肌寒い。
アルメニアとイランの時差はマイナス1時間。
18時を指していた腕時計を17時半に修正し、タブリーズに順調に進んでいくはずだった。
残念ながら途中の玉突き事故があり、大渋滞で1時間近く待たされる。
結局タブリーズに到着したのは21時過ぎだった。
10年ぶりのイラン旅行はまだ始まったばかり。
タブリーズのマシュハド•ゲストハウスでイラン初夜を迎える。
3人で50000トーマン=500000リアル(1600円)と安めだけど、
シャワー代別途1人60000リアル(200円)もとるのがせこい。
バザール、バスステーション行きのバスストップからも近く立地はいい。
イラン2日目はタブリーズ街歩きせずに近郊のオルミーエ塩湖に行く。
タブリーズのバザール近くのバス停から104番の市バスでバスステーションに行き、
頻繁に出ているオルミーエ行きのバスに乗車。
片道80000リアル(260円)で4時間なので安い感じがする。
オルミーエ行きのバスで隣席だった若いイラン人女性が親切にも
オルミーエのバスステーションから塩湖までのタクシーを手配してくれる。
1台500000リアル(1600円)で頑張っても割引にならなかったけれど、
オルミーエ塩湖まで往復1時間強なのでこれが相場なのかもしれない。
午後2時頃にバスステーションの食堂でトマトと卵を煮たものを食感がいい生地に包んで食べて出発。
2008年に見たボリビアのウユニ以来の塩湖は途中雨が何度も降っただけあって鏡張り。
オルミーエ塩湖を貫通する橋から眺めた。
アラル海のようにかつて深い湖だったらしく、塩の大地に埋まった船もある。
タクシーを出る直前、いや外に出てからも雨が降っており、
速い流れの雲が去っていくと太陽が顔を出し、オルミーエ塩湖に虹がかかった。
水が干し上がった塩湖に降りて塩の平原を眺める。
地表の塩はさらさらしており、なめてみると塩辛い。
真っ白な塩湖を黒い服装をまとったサチコさんが歩いているとシュール。
青い空と白い塩のコントラストは7年前に目の当たりにしたウユニ塩湖と遜色がない。
そして、鏡張りに近づく。
オルミーエ塩湖を貫通する橋や山も動きがない水面に映り込んでいる。
マキヨさんが拾ってきてくれた塩の結晶が素晴らしい。
自分も塩湖の奥に進もうと思ったらタクシードライバーに止められてしまった。
それでも鏡張りでポーズをとったりして、
タブリーズからの日帰りで大満足なオルミーエ塩湖となった。
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