2015年11月8日日曜日

ナゴルノ•カラバフの首都ステパナケルトを訪れる(2015年10月6日)

アゼルバイジャンの領土にナゴルノ•カラバフというアルメニア人が住む国がある。
ソ連崩壊前はナゴルノ•カラバフ自治州だったらしいが、
崩壊後独立宣言し、現在未承認のナゴルノ•カラバフ共和国として存在している。
アルメニア人が多く住み、通貨も言語もアルメニアと同じだけれど、
アゼルバイジャンはもちろん、アルメニアにも独立国と認められていないという。


アルメニアの首都イェレバンからナゴルノ•カラバフの首都ステパナケルトまでマルシュルートカで7時間。
独立未承認国なのにビザが必要。
とはいえ、ナゴルノ•カラバフ入国後にステパナケルトの外務省でビザが取得出来るというちょっとばかりの曖昧さに他国に独立を認められていない事情を察してしまう。

滞在中のクラシック•ホステル•イェレバンからキリキア•バスステーションまで
マルシュルートカ58番で行けると宿の人に教わったが早朝だからか見つからず、
タクシーで1000ドラム(250円)払ってキリキア•バスステーションへ。
着いて早々、ステパナケルト行きのマルシュルートカ1台は満席で出発してしまう。
そのすぐ後に2台目が現れ、車内で待つこと15分。
すぐに満席になってキリキア•バスステーションを発つ。
イェレバンからステパナケルトまで5000ドラム(1250円)。
ちなみに帰りは4500ドラムと若干安かった。

曇り空のもと、アララット山はまったく見えず。
道中ひたすら眠り、アルメニアとアゼルバイジャンの国境、
つまりアルメニアとナゴルノ•カラバフの国境でパスポートチェックがある。
イミグレで出入国スタンプを押されるわけでないのでアルメニアのビザが失効しない。
アルメニア入国時に取得出来るシングルビザで十分である。
イミグレの係員にステパナケルトでビザと滞在許可証をもらうように言われ、
再びマルシュに乗り込む。
悪路の曲がりくねった道を進み、車窓の風景は霧に覆われている。


国境から1時間ちょっとでステパナケルトに到着。
ナゴルノ•カラバフの首都とはいえ田舎町のようにこじんまりとしている。
バスステーションに着くと、噂に聞いていたノープロブレムおじさんが窓からのぞいてくる。
ノープロブレムおじさんは英単語をちょっとしか話せない宿の客引きのおじさんで、名前はAshot。
前日までステパナケルトに宿泊していて、今後イランへ一緒に向かうサチコさんが自分とマキヨさんがこの日イェレバンからやってくると話をつけてくれたのかもしれない。
割引料金の1泊2000ドラム(500円)でノープロブレムおじさんの宿に泊まる。
見た目は普通の家のようなAshot Arevikホステル。


ノープロブレムおじさんAshotの見た目は『地獄の黙示録』や『ゴッドファーザー』のマーロン•ブランドのように怖そうで、
声がでかくて同じ言葉を繰り返すしつこい人だが、実際は親切なおじさんだった。


残念ながらドミのシーツは取り替えていないようでちょっと汚く、
4ヶ所だけとはいえダニに噛まれたりする。
それでもWi-Fiや温めのホットシャワーがあるのが有り難い。

まずはステパナケルト到着早々、当日中にビザを取得する必要があり、
16時過ぎに外務省へ足を運ぶ。
外務省は街の中心のロータリーを南西に進み、橋の手前のヨーロッパホテル隣。


申請用紙に必要事項を記入してすぐにビザが貼られたパスポートを受け取れた。
滞在許可証も同時にゲット。
一作業を終えて一安心してからステパナケルトの一番の見どころと思われる「我らの山」を見に行く。
「我らの山」というので小高い丘にあるのかと思っていたら、
街の中心のロータリーを北に下っていき、何もない辺鄙な場所に突然現れた。



確かにイースター島のモアイに似ていなくもない2つの像。
2つの像はナゴルノ•カラバフの象徴なのかビザにも描かれている。
曇り空のもと何となく寂しげでもあり、虚無を感じる。


2体の像が見つめる方向に何があるのか分からない。



ステパナケルトは一見アルメニアの普通の街と変わらない。
人々は陽気でハローと声をかけてきたり、名前を聞いてきたり、
一緒に写真を撮ってくれと頼んでくる若者もいる。
アルメニア同様美人だらけのナゴルノ•カラバフなので、
陽気な少女たちも大きくなったら美人になるのだろう。



ナゴルノ•カラバフでよく目につくのが垂れ幕のような洗濯物。
マンション間をロープで結び、ロープに洗濯物を干している。
取り入れる際はレールに巻かれたロープを引き寄せているシステムらしい。




これまでいろんな街を訪れてきたけど、
洗濯物が目についたのはナポリの下町スパッカナポリや干し竿が雑居マンションの窓から突き出ている香港くらいだろうか。



ナゴルノ•カラバフ2日目はステパナケルトからちょこっと郊外に足を延ばしてシューシを訪れる。
ステパナケルトのバスステーションからバスで30分。
200ドラム(50円)の市バスのようである。
シューシは数年前アゼルバイジャン人が住んでいたという面影があり、
住居やモスクの廃墟が点在している。


イスラムの象徴の三日月マークを破壊されたモスクのミナレットは痛々しい。



モスク内部は完全に廃墟となっており、ここでムスリムの人々が祈りを捧げていたと想像し難い。



閑散としたシューシ。
廃墟は植物に侵食され、新しい生命として木の実が宿っている。




いたるところにある廃墟は植物に侵入を遮られているようだ。
ここでも「夏草やつわものどもが夢のあと」とつぶやきたくなる。




なんとも不思議なナゴルノ•カラバフからイェレバンに戻れば、
日本人3人でイランに向かうまで残り2日。
3ヶ月に及んだ中央アジア諸国、コーカサスという旧ソビエトの国々の旅が終了する。






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