2014年7月6日日曜日

ラマダーン中のクアラトレンガヌ(2014年7月3日)

3日間、漂流した気分で過ごしたプルフンティアン島を去る。

きれいな海での海水浴、日光浴は最高だったが、
モダンな文明社会が恋しくなってきた。
5年前まで携帯電話やパソコンなしで世界周遊していた時代を思えば信じ難いものの、
メールはおろか、ワールドカップの試合結果もチェックできないのはもどかしい。

また、東南アジアの安い屋台飯も恋しい。
プルフンティアンでの食事は旅行者用の高めのレストランに限られ、
マレーシア本土の2倍の料金でナシゴレン(炒飯)、
ミーゴレン(焼きそば)などを食べていた。
透明度が世界トップクラスの海を前にして、
ネットや食事のことを気にするなんて俗な旅行者になってしまったと思う。
かつてのようなディープな旅をするなら
SIMロックフリーのiPhoneやMacBookは持たない方がいいのかもしれない。

朝7時半に隙間だらけの小屋を出る。
穴だらけの蚊帳やウィンドブレーカー、長ズボンは無意味だったようで、
3日連続蚊の猛攻にあって寝苦しかった。

浅瀬で上陸できないスピードボートに乗るために
2リンギット(60円)払い、渡し船のような小舟に乗る。
海に浮かぶスピードボートからは眩しい朝日と静かなロングビーチが見える。
透明過ぎるプルフンティアン島の海ともお別れ。



ロングビーチ以外の地点からも乗客をかき集め、
スピードボートは本土のクアラビスーに出発。
たった30分でモダンな現代社会に帰ってきた。
クアラビスーでは当たり前のように車やバスが走り、
携帯電話も普通に繋がる。

クアラビスーのバスステーションからは次の目的地のクアラトレンガヌ行きのバスはないそうだ。
橋近くの交差点で待つように言われる。
自分以外にもバックパッカー4人がバスを待っており、
1時間半近く何もない路肩で待たされてようやくバスが現れた。
クアラトレンガヌ行きのバスはエアコンがない乗り合いバスで、
開け放たれた窓やドアからの風が清々しく、
熱帯の車窓に心が躍る。



クアラトレンガヌには2時間くらいで着く。
他のバックパッカーはこの町には宿泊せず、
次の町に移動するらしい。
ガイドブックに載っていたping anchorage travellers innにチェックインするものの、
宿泊客は自分以外1人もいなかった。
宿の台帳を見ると、2日前に2人西洋人が泊まっていた痕跡がある。
クアラトレンガヌはそれほど有名な町ではないらしい。

すでに正午過ぎで、プルフンティアン島ではろくなものを食べていないので、
ガッツリ食べまくるため、セントラルマーケットに行く。
が、セントラルマーケットのフードコートは閉まっている。
他のローカル食堂も閉まっており、
現在ラマダーン中であることを思い出す。
イスラム教徒にとって日が暮れるまで飲食ができない断食の月。
クアラトレンガヌはムスリムの割合が多いそうで、
厳格にラマダーンが守られているようだ。


せっかくマレーシア本土に戻ってきて、
日中マレー料理を食べられないのは残念である。
ただ、多民族国家のマレーシアだけあって、
ファーストフード店やインド料理食堂、
中華街のレストランや茶店は営業している。




ランチタイムのマレー料理は諦めて、
南インド風のバナナの葉に載せた魚と玉子と野菜のカレーや
中華街にてカレー味の麺や石焼豚肉飯を食べて、
食欲を満たす。





クアラトレンガヌには特に見所はなさそうだが、
3日ぶりの文明社会だし、
マレーシア滞在は2ヶ月間の予定で急ぐ必要はないので3日滞在する。

地元の市場をうろつき、のんびりとした空気に包まれるだけで癒される。
東南アジアに限らず世界中のどの町でも地元の市場を訪れるだけで面白い。





町の中心から少し歩いた川沿いにはクリスタルモスクがある。
水辺に面したモスクは橋から眺めるのがいい。




ラマダーン中は日が暮れだすと同時にムスリムの人々が食事を始める。
夕暮れ時には川沿いにお惣菜屋のような出店が出ており、
人も多くてお祭りのような感じだった。




なんだかんだと特に見どころもないクアラトレンガヌでは3日間過ごしてしまった。





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